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2008.05.21

4か月ぶりのヨルダン行き(1)羽田-関空-ドーハ

5月19日 東京

1月に帰国して以来4か月ぶり、再びのヨルダン行きとなった。

15:30、出発前に自宅でアルジャジーラ英語版を視聴していると、一斉にサイレンが鳴り、黙祷の様子を生中継している。

何事かと思ったら中国からの中継で、四川省の大地震から丸々一週間が経ったことになると言う。あちらの被害の様子もすさまじい。

知り合いのジャーナリストは中国に取材に飛び、また別の知り合いはビルマのサイクロン被害者の救済に奔走しているところだ。

私といえば、関わり先の状況は丸で違うのだが、心してかからねばならないと心を引き締める。

5月20日 カタールの首都ドーハ着 午前5時台

西から崩れてきた天気を気にしつつ羽田空港を発ち、関西国際空港でいったん乗継ぎ、国際線の機上の人となった。

今回はカタール航空でドーハ経由になる。ここはアルジャジーラの本社のあるところになる。

関空からの便は日本人観光客と韓国人客でほぼ満席。

韓国人客が多いと思ったら、飛行機はソウルを発って関空経由ドーハ行きのフライトなのだった。

機内で新聞を読むと、成田空港開港30周年の記事。羽田空港の国際化の進展に伴い成田空港の地位が相対的に低下するという内容。

私の世代では成田空港反対闘争の記憶がまだある。                あれほどの反対を押し切って成田に新空港を造ったのは何だったのか。

今の旅行者の動静から30年前のことを言っても仕方がないところもあるが、地元の人々にとっては仕方がないで済まされない出来事だったはず。

さて、関空発ドーハ行きのフライトの話に戻ると、私の隣は韓国人のキリスト教の宣教師の方で、エジプト(シナイ半島)、イスラエル/パレスチナ、ヨルダンと10日ほどかけてキリスト教のゆかりの地訪問するツアーなのだった。

このような話を聞いていると、いつかはイスラエル/パレスチナを訪問してみたくなる。

5月20日 ドーハ発、アンマン行きの便を待ちながら

ドーハの乗継ぎ待ち時間が7時間もある割には空港は小さくて退屈するので、今回はいったんカタールに入国してみる。

入国審査官は(後から通った出国審査も)全て女性だった。            この審査官が小さな声で話しかけてくるので、聞き取るのに苦労する。       なにぶんアラブのお国柄なので、女性に対してもっと大きな声で話して欲しいと頼むのは気が引ける。

見ていると、他の日本人と思しき入国者はパスポートに加えてカタール内務省発行の書類を持っていた。恐らくこれらの人々はビジネス目的なのであろう。

乗り継ぎの合間の入国が目的なので、もちろん私は内務省発行の書類などを持っていない。説明に手間取ったが、何とか観光扱いで入国してタクシーで市内中心部に向かう。

クウェートでも経験ずみなのだが、ここのタクシードライバーは大半がインドがパキスタン方面の出身者である。

ドーハ市内中心部は建築ラッシュだった。

湾岸諸国の中ではアラブ首長国連邦のドバイの繁栄ぶりがつとに有名になってきているが、それを彷彿とさせる趣きだ。

建築会社の名前を見るとアラブ現地系と並んで中国系も目につく。

このような建築現場で働いているのもパキスタンやインドなど南アジアの出身者なのである。

朝7時台、市内中心部に居ると、バンやミニバスに乗せられてこれらの労働者がやって来る。

私の方はと言うと、全く予習をしていなかったので市内の地理がわからず、とりあえず中心部までタクシーで運んでもらったのは良いが、考えてみると平日の朝7時台ではまだ中心部のショッピングモールも開いておらず、また本当の中心部はオフィス街を建築中の有様で、およそ観光客として訪れるには場違いなのだった。

仕方ないので、朝から既に猛暑の中、荷物を抱えて海岸沿いの公園まで歩く。中心部は車社会で歩いている人などまずいないので目立つことはなはだしい。クラクションを鳴らしてくる普通の車がいるが、たぶんタクシー代わりに乗らないかという誘いではないか。

しかし、このまますぐに空港に戻るのも癪なので、とりあえず公園まで行き、一休みする。

公園も芝生が植えられ、清掃車も走り回りきれいに整備されている。

植物には自動で散水されることになっているのは、本来は水に不足しているはずのこの国ならではのぜいたくか。

公園の掃除をしているのも、どう見ても地元の人ではなく南アジアの出身者である。

公園のコーヒーショップの前を通りかかるとこれまた南アジア系の店員に中国語で「こんにちは(ニーハオマー)」と話しかけられる。

中東諸国では私はたいてい中国人と間違えられるので、またかと思うが、あるいはこの国で見かける東洋人といえば中国人が多いという証しであるかもしれない。

海沿いの公園で休息後、空港に戻る。空港に戻るタクシーの運転手もインド系、前に書いたように出国審査官は全員女性というわけで、結局、この間地元の人と思しき男性に行き会うことはなかった。

しかしこの国の経済はこうした外国系労働者の働きによって成り立っているのである。建築中のビルも、市内の交通標識も、アラビア語であるのはもちろんとしても、今回気になったのは全て英語も併記されていること。

今回の最終目的地のヨルダンのアンマンでも郊外の新興開拓地は別にすれば、英語併記がそこまで進んでいるとは言えないので、私のような外国人には不便だったりすることが思い浮かんだ。(もちろん私がアラビア語に慣れさえすれば良いのだが。)   

労働の根幹を外国人だのみという経済構造は、少子化社会を迎える日本にとっても他人事ではない。そして、イラクの場合でもとても気になることなのだ。と言うのは、イラク人の間でも、単純労働は外国人の出稼ぎ労働者に任せておけば良いという感覚があったりするからだ。おかげで医療分野でも、医師などの高度なスペシャリストが自前で育てられる一方で、看護師、介護士などはイラク人はなりたがらないし、イラク人の中でそのような仕事を担う人々を育てようという発想がなかなか根付かない。

しかし、いずれにしても今のイラクにそれほどのことを求めるのは酷だろうと思い直す。なにぶんこの戦争では私たちは加害者なのだから。卑屈になる必要はないが、イラク人の彼らにそこまでを求める私たちは何様なのか?ということは問われてもおかしくない。

       

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