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2008.05.25

困難な国づくり

5月25日(日曜日)

イスラーム国のヨルダンは木曜が週末で、金曜と土曜の二連休が普通。
なので、ふだんは日曜日から新しい週の仕事がはじまる。

しかしこの25日はヨルダンの独立記念日とかで祝日となり、3連休の長い
週末となった。

独立記念日の祝日らしさがどこかにありはしないかと思ったが、私の
身近なところでは普段の休日と変わりない一日が過ぎて行った。

ヨルダンのTV局は愛国心を強調するような映像を流し、国内の名所や
名物、国旗、そして国防の軍事訓練の模様を映して「我が祖国」といった
たぐいの歌を流していたが、しかしふだんでもそのような放送を見ることは
珍しいことではないので、特別にこの日のためのものかどうかわからない。

むしろこの日のトップニュースは隣国のレバノンの大統領選挙の模様だ。
アル・ジャじーラはアル・アラビーヤなどの汎アラブの衛星TV局はもちろん、
レバノンのヒズボラ系TV局のアル・マナール、シリアの衛星TV局、そして
イラク、クウェートなどなど各局の衛星TV局がこぞってレバノン議会での
投票と大統領の指名の模様を生中継していた。
(ちなみにこれだけの多チャンネルを自宅アパートのTV1台で見ることが
 できるのもありがたいことだ。後はアラビア語がちゃんとできるように
 私が勉強しなくてはいけない。と苦笑する。)

昨年以来、大統領職が空席で混乱状態に陥っていたレバノンでは、先週に
ドーハで行われた調停会議で合意に達する前には首都ベイルート市内での
市街戦という事態にまで達していた。

政治的妥協の産物にしても、このような形で合意ができ、大統領選出に
至ったことは、とりえあえず喜ばしいこととすべきだろう。

ベイルート南部のヒズボラ支持者が支配的な地域からのアルジャジーラ
(英語版)の中継によると、大統領の選出よりも、8年前の同日、2000年
5月25日のレバノン南部からのイスラエル軍撤退を記念するポスターや
看板の方が多かったという話があるのも、政治的背景の複雑さを示すもの
だろう。

レバノンにおいてもシーア派とスンニ派、そしてキリスト教徒の間の
国民的和解策が問題となっている。

振り返ってイラクはどうか。
イラクでも宗派的な分裂が取り沙汰されて久しいが、レバノンの場合でも
イラクの場合でも、思うのは別に信仰が悪さをしているのではないと言うことだ。
ここを取り違えてしまうと問題がわからなくなる。

宗派や民族の違いに名を借りた政治権力を巡る闘争がそこにあるのだと
見なくてはいけないだろう。

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2008.05.21

4か月ぶりのヨルダン行き(2)ドーハ~アンマン

5月20日 ドーハ発アンマン到着 15:30

乗り継ぎの待ち時間も含めれば自宅を出てから30時間余りに及ぶ旅路の末、

アンマンに到着。

前回ここを離れて日本に帰ったのは1月で最も寒い時期だった。今は季節も

変わり、既に夏でかなりの暑さになって来ている。既に日中は35度を超える。

搭乗していたエアバスA300も空港に着陸する際に結構の揺れだった。

天気は良かったので、悪天候が理由ではなく、晴天により暖められた地上の

空気が急激に上昇することによる気流の乱れが原因のようだ。

乗継ぎの後に最終的に中東に到着する機内は、当たり前のことだが中東色に

あふれているのがいつものこと。今回の機内でも人々の言葉の中にアラビア

語が飛び交うのは当たり前だが、しかし今回はいつもほど現地色を感じ

なかったのは、たまたま両脇に座った乗客が英語を読み、話し、アルコールを

飲む人だったせいだろうか。

いずれもヨルダン人だが、右脇のMazen氏は建築業の仕事をしているとかで

中国からの帰り。日本語も挨拶程度は話せる。日本人の勤勉ぶりを褒める。

中国も最近は一人っ子政策の影響か、労働人口が減っており、ひとりひとりを

大事にするようになったとかで、夜間シフトの超過残業の傾向は少なくなった

と言う。

左側に座っていたのMさんは機内サービスが良くないと不満を言っていた。

何でも彼自身が航空会社の専門家だそうで、国連機に搭乗しているのだと言う。

平和監視などを目的とした兵士の輸送にも関わっているという。

頼まれもしないのに国連の身分証明書を見せてくれたので、どうも本当らしい。

これまでに訪問した国を聞くとほぼ世界中どこでもという状態だった。

今回はアフリカ各地を結ぶフライトの仕事の後、2週間ほどの休暇でのヨルダン

への里帰りということで、ケニアのナイロビからドーハ経由アンマンへの帰途

だそうだ。お疲れ様なことである。

昨年はドバイとカブールを結ぶフライトに従事してアフガニスタン勤務3か月

の経験があったという彼にしても、例えば今のイラクに行くのは遠慮したいと

言う。イラクは現状では国連機を飛ばしてはいないが、兵士の輸送に関われば

敵対勢力からの攻撃にさらされるのは必定だからだ。

その彼はビール二杯を飲んだ後で、機内食のサービスの際にブランデーを飲み、

さらにお代りをした上で、前の席の子供たちがうるさいと文句をつけている。

昼間のフライトのせいか、今回の機内で目立ったのは子ども連れの家族の姿だ。

さて、到着してすぐ直面したのが物価高だ。

空港から市内行きのバスにしてからが、4か月前には1.4ヨルダンディナール

(JD)だったのが、いきなり2倍以上の3ディナールになっていて驚く。

急な値上げに間に合わなかったようで、渡された切符には旧価格の上に新価格の

スタンプが押されていた。

市内の乗合いタクシーも0.17JD→0.28JDと、やはり1.5倍以上。

後から聞いたらガソリン代が1リットル当たり1ドルと、ここでは以前には

考えられなかった高価格などで、なるほどと思わざるを得ない。

物価高には私の懐も痛いが、ヨルダンに住む難民や貧困層のとってはなおさらの

こと。先行きが心配になる。

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4か月ぶりのヨルダン行き(1)羽田-関空-ドーハ

5月19日 東京

1月に帰国して以来4か月ぶり、再びのヨルダン行きとなった。

15:30、出発前に自宅でアルジャジーラ英語版を視聴していると、一斉にサイレンが鳴り、黙祷の様子を生中継している。

何事かと思ったら中国からの中継で、四川省の大地震から丸々一週間が経ったことになると言う。あちらの被害の様子もすさまじい。

知り合いのジャーナリストは中国に取材に飛び、また別の知り合いはビルマのサイクロン被害者の救済に奔走しているところだ。

私といえば、関わり先の状況は丸で違うのだが、心してかからねばならないと心を引き締める。

5月20日 カタールの首都ドーハ着 午前5時台

西から崩れてきた天気を気にしつつ羽田空港を発ち、関西国際空港でいったん乗継ぎ、国際線の機上の人となった。

今回はカタール航空でドーハ経由になる。ここはアルジャジーラの本社のあるところになる。

関空からの便は日本人観光客と韓国人客でほぼ満席。

韓国人客が多いと思ったら、飛行機はソウルを発って関空経由ドーハ行きのフライトなのだった。

機内で新聞を読むと、成田空港開港30周年の記事。羽田空港の国際化の進展に伴い成田空港の地位が相対的に低下するという内容。

私の世代では成田空港反対闘争の記憶がまだある。                あれほどの反対を押し切って成田に新空港を造ったのは何だったのか。

今の旅行者の動静から30年前のことを言っても仕方がないところもあるが、地元の人々にとっては仕方がないで済まされない出来事だったはず。

さて、関空発ドーハ行きのフライトの話に戻ると、私の隣は韓国人のキリスト教の宣教師の方で、エジプト(シナイ半島)、イスラエル/パレスチナ、ヨルダンと10日ほどかけてキリスト教のゆかりの地訪問するツアーなのだった。

このような話を聞いていると、いつかはイスラエル/パレスチナを訪問してみたくなる。

5月20日 ドーハ発、アンマン行きの便を待ちながら

ドーハの乗継ぎ待ち時間が7時間もある割には空港は小さくて退屈するので、今回はいったんカタールに入国してみる。

入国審査官は(後から通った出国審査も)全て女性だった。            この審査官が小さな声で話しかけてくるので、聞き取るのに苦労する。       なにぶんアラブのお国柄なので、女性に対してもっと大きな声で話して欲しいと頼むのは気が引ける。

見ていると、他の日本人と思しき入国者はパスポートに加えてカタール内務省発行の書類を持っていた。恐らくこれらの人々はビジネス目的なのであろう。

乗り継ぎの合間の入国が目的なので、もちろん私は内務省発行の書類などを持っていない。説明に手間取ったが、何とか観光扱いで入国してタクシーで市内中心部に向かう。

クウェートでも経験ずみなのだが、ここのタクシードライバーは大半がインドがパキスタン方面の出身者である。

ドーハ市内中心部は建築ラッシュだった。

湾岸諸国の中ではアラブ首長国連邦のドバイの繁栄ぶりがつとに有名になってきているが、それを彷彿とさせる趣きだ。

建築会社の名前を見るとアラブ現地系と並んで中国系も目につく。

このような建築現場で働いているのもパキスタンやインドなど南アジアの出身者なのである。

朝7時台、市内中心部に居ると、バンやミニバスに乗せられてこれらの労働者がやって来る。

私の方はと言うと、全く予習をしていなかったので市内の地理がわからず、とりあえず中心部までタクシーで運んでもらったのは良いが、考えてみると平日の朝7時台ではまだ中心部のショッピングモールも開いておらず、また本当の中心部はオフィス街を建築中の有様で、およそ観光客として訪れるには場違いなのだった。

仕方ないので、朝から既に猛暑の中、荷物を抱えて海岸沿いの公園まで歩く。中心部は車社会で歩いている人などまずいないので目立つことはなはだしい。クラクションを鳴らしてくる普通の車がいるが、たぶんタクシー代わりに乗らないかという誘いではないか。

しかし、このまますぐに空港に戻るのも癪なので、とりあえず公園まで行き、一休みする。

公園も芝生が植えられ、清掃車も走り回りきれいに整備されている。

植物には自動で散水されることになっているのは、本来は水に不足しているはずのこの国ならではのぜいたくか。

公園の掃除をしているのも、どう見ても地元の人ではなく南アジアの出身者である。

公園のコーヒーショップの前を通りかかるとこれまた南アジア系の店員に中国語で「こんにちは(ニーハオマー)」と話しかけられる。

中東諸国では私はたいてい中国人と間違えられるので、またかと思うが、あるいはこの国で見かける東洋人といえば中国人が多いという証しであるかもしれない。

海沿いの公園で休息後、空港に戻る。空港に戻るタクシーの運転手もインド系、前に書いたように出国審査官は全員女性というわけで、結局、この間地元の人と思しき男性に行き会うことはなかった。

しかしこの国の経済はこうした外国系労働者の働きによって成り立っているのである。建築中のビルも、市内の交通標識も、アラビア語であるのはもちろんとしても、今回気になったのは全て英語も併記されていること。

今回の最終目的地のヨルダンのアンマンでも郊外の新興開拓地は別にすれば、英語併記がそこまで進んでいるとは言えないので、私のような外国人には不便だったりすることが思い浮かんだ。(もちろん私がアラビア語に慣れさえすれば良いのだが。)   

労働の根幹を外国人だのみという経済構造は、少子化社会を迎える日本にとっても他人事ではない。そして、イラクの場合でもとても気になることなのだ。と言うのは、イラク人の間でも、単純労働は外国人の出稼ぎ労働者に任せておけば良いという感覚があったりするからだ。おかげで医療分野でも、医師などの高度なスペシャリストが自前で育てられる一方で、看護師、介護士などはイラク人はなりたがらないし、イラク人の中でそのような仕事を担う人々を育てようという発想がなかなか根付かない。

しかし、いずれにしても今のイラクにそれほどのことを求めるのは酷だろうと思い直す。なにぶんこの戦争では私たちは加害者なのだから。卑屈になる必要はないが、イラク人の彼らにそこまでを求める私たちは何様なのか?ということは問われてもおかしくない。

       

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