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2008.03.31

3月25日~その日のバグダッド(4)

6日間のバスラ掃討作戦の後、イラク政府側とサドル派の間で停戦協定が

結ばれた。しかし主要な戦闘がこれで終わったことになっても、

現地での窮乏状況は簡単に終わらず、散発的な戦闘もまだ続いている。

バグダードでは外出禁止令が解かれる動きになったけれども、

シーア派地域のサドルシティなどはその対象から除かれており、

人々の苦難はまだ続いているのだ。

とりあえず、連載分としてはこれでいったん終わりとするが、

今後も必要に応じて情報掲載は続けたい。

4. バグダッド3月30日(日)夜 =バスラ掃討作戦開始6日目

   外出禁止令のおかげで疲れきっていて2日前からひどい状況だったが、

つい先ほど良いニュースが伝えられた。イラキーヤTVによれば、明日の

朝6時からバグダッドの外出禁止令が解除されるとの話だ。前はひどく

危険だったので、このニュースを聞いてみな安堵している。

 本当にひどいこの2日間だった。全ての物価は上がった。(正式には

店は空いていないが)人々はトマトや鶏肉を持ち寄っては売っていた。

しかし値段が高い。以前の4-5倍に上がった。パンも半分の大きさに

切って売っている。1個100gが50gになってしまった。私もお金が

ないので、物を買うために隣近所に借金をした。うちの近所はシーア派も

スンニ派もクルド人もキリスト教徒も仲良く暮らしている。

 誰かが箱入りのトマトを持ってきて売っているが、これを買うために

長い列ができた。1kgのトマトが、以前は500イラクディナール

(約33セント)だったのが、現在は4,000イラクディナール

(約3.3ドル)する。鶏肉は2,000イラクディナールだったのが

4,000イラクディナールになった。携帯電話のプリペイドカードも

10ドルが20ドルになった。

 しかし、明日から外出禁止令が解かれるのはありがたい。全ての蓄えを

使い尽くしてしまったところだから。タマネギ、ジャガイモ、などなど、

蓄えがなくなってしまった。バグダッドは暑くなってきて冷蔵庫なども

必要なのだが、冷蔵庫はだいぶ前に売ってしまったので持っていない。

 ムクタダ・サドルが、多分、彼はイランのコムに居るのだが、指令を

出して、彼の支持者に銃を取り、警察やイラク軍を攻撃すること、イラク

人同士の血を流すことを禁じた。イラク政府の使者がバグダッドから

イランに向かい、イランで合意書をまとめた。イラク政府とサドル派の

間で9項目の合意文書をまとめた。最初の項目は、マリキ首相がバスラ

を離れてバグダッドに戻ることになっているが、実際どうなったか分か

らない。政府側のスポークスパースンのアリー・ダッバーグは、サドル

師側の提案を歓迎するとの声明を発表したけれども。

 合意項目には政府側に逮捕された人々の釈放や、自宅に戻った者の

家屋の保証などが含まれている。合意はされたが、バグダッドのサドル

シティでは、まだアメリカの掃討作戦が続いている。バグダッド市内の

他のシーア派地区のシューラ地区やカダミーヤ地区も同様だ。多分明日

にはこれらの地区を去ると思うが。

 イラク政府は武器、特に重火器を差し出すように求めている。この

3日間に回収されたのはカラシニコフなどの銃だけなので、その後

10日間の間に重火器を回収するように要請している。しかし実際に

どういうことになるのかわからない。

 知人の話では、ニューバグダッド地区では路上に死体が転がっている。

シーア派の民兵同士の争いでマハディー軍が警察と戦い、また、バドル

旅団やダワ党の人々を殺傷している。マハディ軍が優勢で、これらの

人々の集まるところを爆破するなり襲撃するなどしている。危険でその

地区には近寄れない。米軍は駆けつけてもその地区に立ち入れないので

外から撃つだけ。上空のヘリコプターから爆撃をするだけだ。警察でも

サドル派の支持者がいて武器や自動車を提供している。政府系で働いて

いた人々が職を失い、サドルシティで武器を取って戦っているケースが

数多くある。警察や軍の制服を脱いで、武器を持ったままサドル派に

寝返っている。

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2008.03.29

3月25日~その日のバグダッド(3)

引き続きの報告ですが、お伝えするのも辛くなって来ました。

3. バグダッド3月28日(金)夜 =バスラ掃討作戦開始4日目

 バグダッド市内はまだ危険な状態が続いている。近所でも2時間前

から戦闘があり、少し前に終わったばかりだ。

 きょうになってから、わずかながら電気と水が来るようになった。

電気は2時間来たが、今は暗闇の中だ。

 きょうはチグリス川右岸のシーア派混在地域で治安作戦とそれに伴う

戦闘が起きている。

 バグダッドの外出禁止令は正式にはきのう(27日)の23時に始まり、

30日の午前5時まで継続する。

 近所のパン屋は相変わらず一軒は閉まったままで、もう一軒は開店した

が、売っているパンの大きさが一回り小さくなった。

 治安状況に詳しい知人から、お前の地域の近くにも武器を持ったマハディ

軍が近づいてきているから気をつけろと警告があった。警察は見てみぬふり

をしている。警察はマハディ軍と戦うつもりはないから。

 きょう、米軍はカダミーヤ(シーア派地区)とサドルシティの2-3箇所

を空爆した。相変わらずサドルシティの電気と水は米軍によりカットされて

いる。サドルシティの中の診療所では薬が足りず満足な治療ができない。

あるけが人が治療のためにサドルシティの外に出ようとしたが、米軍の許可

が出ずに戻されたと聞く。

 サドル派とマリキ首相の交渉だが、サドル派はマリキ首相がいったん

バスラを離れてバグダッドに行き、バグダッドで交渉することを希望して

いる。

 マリキ首相は民兵の武装解除の期限を更に10日間延長した。提出した

武器は買い上げると政府約束していて一部には従う者もいるようだが、

いったん武器を手放すと身を守る力の保証がないとして従わない者も

少なくない。

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2008.03.28

3月25日~その日のバグダッド(2)

昨日に引き続き、バスラでの掃討作戦と平行してのバグダードの

状況を知人からのレポートを元にお伝えします。

2. バグダッド3月27日(木)夜 =バスラ掃討作戦開始3日目

   状況がひどいがまだ生きている。燃料が手に入ったので自家発電機を 動かしているが、公共の電気は来ていない。

 5リットルの燃料の値段は5,000イラクディナールだ。1リットル当たり 1ドルに当たる。

   きょうは恐らくバグダッドは外出禁止令の状態だ。カチューシャ砲が沢山 撃たれた。バグダッドのサッカースタジアムの裏にも着弾した。

   市内の友人とは電話で連絡を取り合っている。ドーラ地区やハイファ通り など、チグリス川右岸の治安は比較的良いようだが、サドルシティのある チグリス川左岸の治安が悪い。

   米軍はシーア派のカダミーヤ地区を封鎖して治安作戦に入っている。 サドルシティでは大きなデモが行われ、マリキ首相の退陣を要求している。 バスラでの治安作戦での人殺しを止めるようにと要求している。

   サドル派とイラク政府の間で交渉が行われているが、その間でも沢山の 爆破、撃ち合いがあり、戦闘が継続している。交渉がうまく行くことを願って いる。

   このままの状況が続けば食料が尽きる、お金が尽きる。大きな問題になる。

   私の家の地域ではとりあえず大丈夫だが、通りには車は通行していない。 通りには小さな明かりが点いているだけだ。ニュースを見ることができない のでわかっていないが、恐らく外出禁止令が敷かれているはずだ。

   近所のパン屋の一軒が閉まり、もう一軒は大忙しだ。沢山の客が押しかける から。米軍は市内では見かけない。きょうの昼間は2台通りかかるのを見かけた だけだ。

   バグダッド市内の他の地区に向かう道路は全部封鎖されている。特にサドル シティに向かう道は警戒が厳しい。米軍はきょう、サドルシティへの電力と 上水道の供給をカットしたと聞いている。電気がない、水がない状態にしている。 これは報道で伝えられているのではなく、人のうわさとして伝え聞いた。

   サドルシティの上空からは米軍のヘリコプターとF16戦闘機が攻撃を加えて いる。市内ではその振動と音が聞こえる。

   バグダッド市内の戦闘はバスラと異なり、イラク軍とシーア派民兵の戦闘では ない。>米軍とシーア派民兵の戦闘で、米軍は空から空爆を加えるだけだ。

   イラク中部、南部で電力設備に対する攻撃により、電力供給に支障が出て いると伝えられるが、いつまでに直るのかわからない。戦闘はイラク全土に 渡っている。ヒッラでは米軍による空爆が行われた。クートでも戦闘が行われ ている。ディワニーヤの米軍基地も攻撃された。サマワでも戦闘になっている。

 これらの地域(ヒッラ、クート、ディワニーヤ、サマワ)ではすべて外出禁止令 が敷かれた。カルバラでもそうだ。ナジャフでも、アマラでも...南部の都市は みんなだ。南部はシーア派同士の戦いだ。

   バグダッドの問題はカチューシャ砲だ。イラク政府と米軍に抵抗してサドル シティからあらゆる方向に向かってカチューシャが撃たれる。

   バスラではまたひとり医師が撃たれた。病院には医師が居ないし、けが人 を運ぶために病院から出動した救急車も出かけたきりで病院に戻っていない という。病院は多数のけが人に対応するために献血を募っているという。 輸血用の血液のストックも、手当てに必要な特別な医薬品も無くなっている と言う。これはTVの報道で見た。

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2008.03.27

3月25日~その日のバグダッド(1)

イラク現地時間の3月25日からイラク政府軍によるバスラ掃討作戦が はじまった。

突然の攻撃開始の対象とされたのは、バスラを根城にしている犯罪組織 や民兵ということだが、直接にはシーア派のムクタダ・サドル師に忠誠を 誓うとされる民兵組織のマハディ軍を指す。

しかし、マハディ軍も一枚岩ではなく、必ずしも全てがムクタダの統制下に ないことは、当のムクタダ自身が認めていることでもある。

攻撃を加えているイラク政府側にしても、治安部隊の中にはマハディ軍と 対立するシーア派の民兵組織が深く浸透している事情もあるので、今回 の戦いは政府主流派のイスラム最高評議会SIIC(傘下の民兵組織は バドル旅団)とダワ党(マリキ首相の出身母体)がサドル派とファディーラ党 の一掃を狙ったシーア派同士の権力闘争がその実体ではないかと思う。

 10月に実施予定の地方選挙を前にして、南部のバスラ(港湾は石油の 輸出基地として戦略上重要)での権力闘争に出たという見方もできる。

 そして、当初はバスラから始まったこの危機的状況がさらにイラク南部 の各地に飛び火して、サドル派を中心とした一斉蜂起につながった。 また、バグダードでもシーア派地域を中心に反政府、反占領軍の武装闘争 の動きが活発化しており、これを抑えるためと称してのイラク治安部隊と 米軍によるシーア派地域への掃討作戦が活発化しており、一般市民への 被害が懸念される。

 さて、私からはバグダード在住の知人からの情報を元に現地情報を お送りしたい。まずは3月26日のバグダードの模様から。

(これらの報告はJVCイラクのHPにもアップしています。)

1. バグダッド3月26日(水)夜 =バスラ掃討作戦開始2日目

 きょうのバグダッドの状況は非常に悪い。10分前に大きな爆発があった。 数分ごとに爆破が起き、現在、通りには多くの警察官が出ている。

 きょうは昼間から人通りはなく、店は閉まっていた。水、電気が来ていない。 この2日間、全く電気が来ていないので、水の供給も止まった。貯めておいた 水でまかなっているが、この先が心配だ。

 市内はいたるところで危険だ。ニューバグダッド地区は無政府状態で、 通りにはマハディ軍が横行している。警察は彼らに声も掛けて静止する こともできない。マハディ軍はPRG7(迫撃砲)を持ち出している。 この地区の青果市場は占められ、路上にタイヤを積み上げて燃やし、 よそ者が入って来れないようにしている。彼らは一般市民の生命に直接 の危害を加えるようなことはしていないが、今朝、タイヤを売る市場の店に 火を放って燃やした。マーケットの全ての店を焼いた。

 マハディ軍はカチューシャ砲をグリーンゾーンやカラーダ地区に打ち込ん でいる。きょうはカラーダ地区の通りには4発のカチューシャが撃ち込まれ た。日本大使館のすぐ近くだ。5分ごとに爆発音が聞こえる。

 先ほどムクタダ・サドル師がマリキ首相と連絡を取り、バスラからバグ ダッドに帰れ、政府は使者を送ってサドル派と交渉すべきだと語ったと 聞いた。しかし戦闘は継続しており、マリキ首相は72時間の期限以内に 民兵は武器を捨てて投降すべきと宣言した。

 バグダッド市内のサドルシティでは24時間の車両通行規制が敷かれ、 米軍による治安作戦が行われている。米軍が展開しているのはサドル シティだけだ。バグダッド市内の他の地域では日中は米軍は全く見かけ ない。他の地域を警備しているのはイラク軍と特殊警察(筆者注:恐らく 自警団:Sahwaのこと)だけだ。

 きょうは全ての工場や政府機関、学校が閉められた。マハディ軍は うちの地域にやって来て紙を撒いた。それには家に居て外出するな、 店は開けるな、などと書いてあった。きのうは、酒類を扱っている近所の マーケットが焼き討ちにあった。キリスト教徒の店主は連れ去られ、戻っ てきていない。近くに居た警官はこの様子を見ていたが制止しなかった。

 病院は営業をしているが、普通の店は9割がた閉まっている。数軒の パン屋が開いているだけだ。

 昨日(25日)12時以降、車両通行規制がはじまりバグダッド市内を 車で通行できなくなった。店が開いている間にと思って、慌てて卵、 チーズとタバコを買い込んだ。いつまで持つかわからないが。

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2008.03.25

4,000人か○○万人か?

イラク戦争開戦後5年が経過した。

3月23日に米軍の死者数が4,000人に達したということで、報道がかまびすしい。
5年目というのも、4,000人というのも、ある意味きりの良い数字と言うか、節目に
なるいう意味で報道は扱っているのだろうが、この数字の裏にあるひとりひとりの
物語を思うと、数字を挙げることは空しく思える。

また、挙げられない数字にも思いを致す必要がある。
4,000人という数字が語られる一方で、それこそケタが違う○○万人という、
イラク人の民間人犠牲者の数が4,000と同等か、あるいはそれ以上に語られる
ことがあるのだろうか?

私はここで正確な数字を挙げずに○○万人と書いたが、そもそも正確な数字を
誰も挙げることができないという問題がある。

イラクボディカウントの推計値では約8万人~9万人ほど

世界保健機構(WHO)が2008年1月9日に発表した調査結果では、2003年3月から2006年6月
までの死者数が推計で15万人とされている。

2006年の米国Johns Hopkins大学の調査結果報告では
この数が約60万人となる。

数字の桁が大きくなって来ると、どうも私たちの日常感覚の想像を超えて
感覚が麻痺してしまいそうになる。

正確な数がどこにあるのかと問えば、わからないと答えるしかないが、もちろん
4,000人という数字を遥かに越えて大きな数字であることは確かであるし、
そこの裏には、またひとりひとりのイラク人の物語があるはずなのだ。

アフガニスタン戦争もイラク戦争も9-11以後の「対テロ戦争」の文脈で
語られることが少なくなく、私はそれに必ずしも賛成できないのだが、
9-11で亡くなった人々の数(3,000人台)と比べても、既に4,000人はそれを
越えており、ましてイラク人の○○万人という数字はとてもそれと比較は
できない数字であることも確かである。

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2008.03.19

Bush at War ~その日、平和と正義は棺桶に入った~

私はイラク戦争の開戦日を3月19日として記憶している。

【2003年3月20日朝、サンフランシスコ中心部の街頭にて撮影】

米国時間の3月19日に米国はイラクへの攻撃を開始した。

この時、私は米国カリフォルニア州のサンフランシスコ市にいた。

皮肉なことに、現地時間でこの日の晩、開戦時刻を迎えた頃、

私は日本人のNPOインターンが手作りで開催した、平和をどのように

作り出すかという市民集会の司会を務めていた。

この催しも終わる頃、ゲストの平和活動家の知人の携帯電話が鳴り、

そこで攻撃の第一弾が加えられたことを知った。

そして翌20日の朝、この地での反戦デモも荒れ、逮捕者を出す騒ぎとなった。

その中で、Peace & Justice (平和と正義)と大書された棺を担ぎ出す

パフオーマンスを見せているデモ隊の一団が居たことをはっきりと覚えている。

そう、この日、平和と正義は棺桶に入った。

しかしまだ、この時は私はまだイラクの人々の本当の苦しみを知らなかった。

あれから5年が経った。私はイラクの人々の本当の苦しみを知ったと言える

のだろうか。そしてそれに対して何ができているのだろうか。

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2008.03.18

イラク:2003-08年

この20日でイラク戦争開戦より5周年を迎えることになり、これに関連する
シンポジウム等もご紹介していますが、これ以外に私の直接関わったもの
として記事がインターネット新聞の日刊ベリタに掲載されたので、以下の通り
ご紹介します。

自分の関わった記事でありながら、全文掲載できないのが残念ですが、
見出しとリード文のみでご勘弁ください。

<原文次郎さんの見たイラク:2003-08年>

Baghdad2008_2

(1)国内外にあふれる220万人以上の避難民

  3月20日でイラク戦争が始まってから5年になる。このところイラクへの
関心が下がりつつあるように感じられるが、実情はどうなのか。開戦の
2003年から06年末まで国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター」
(JVC)のスタッフとして、07年後半は政府系のODA執行機関「国際協力
銀行」(IBIC)の外部専門家として、イラクやヨルダンに拠点をおいてイラク
支援をしてきた原文次郎さんに、現状と今後の展望、日本の支援について、
お話をうかがった。(加藤〈karibu〉宣子)


(2) 治安悪化で医療支援が困難に

  ──原さん自身が、JVC(日本国際ボランティアセンター)のスタッフとして、
そしてJBIC(国際協力銀行)の仕事として、イラクに関わってどんなことをして
きたのか、お聞かせ下さい。/原:2003年7月に初めてイラクに入りました。
2006年末まで3年半、JVCというNGOの立場で人道支援として、その後
2007年8月から、政府機関であるJBICに提言を行う外部専門家という立場で
イラクの医療支援に関わってきました。両方の立場で関わったことはとても貴重
な体験で、視野が広がりました。

(3) 日本政府の対応は正しかったか

  イラク戦争に、日本政府は復興支援の名目で自衛隊を派遣した。原文次郎
さんは国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター」(JVC)のスタッフとして
医療支援などに加わった。だが戦火は開戦から5年たっても収まる気配はない。
これまでの経験を踏まえて、私たちは今後、この国の人びとにどう向かい合う
べきなのか。原さんは、イラク戦争を支持し自衛隊を送り込んだ政府の方針の
正当性がいまだに国民から厳しく問われていないことを指摘し、「この点でイラク
戦争の教訓は過去のものではない。現在進行形の問題」なのだと強調する。
(加藤〈karibu〉宣子)

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2008.03.16

【3月20日JVCシンポジウム】イラク戦争から5年

JVCイラクチームの影武者として協力させていただいているシンポジウムの

案内を掲載します。

当日は私はパネリストではありませんが、会場でお会いしましょう。

(バグダッド 2008年2月)

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           イラク戦争から5年  

          ~今、中東の現場では~          

         2008年3月20日(木・祝)池袋          

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

 3月20日で、イラク戦争開戦から5年を迎えます。

 2003年3月20日に始められたイラク戦争に、日本政府は大多数の市民の

反対にも関わらず協力してきました。

 9.11以降、そしてこの5年、“対テロ戦争”の名のもとに繰り広げられる軍事

作戦の中、イラクのみならず中東は治安の悪化と政治的な混迷を深めてい

ます。

JVCが活動するアフガニスタン、イラク、パレスチナでは、そこに暮らす人々

から悲痛の声が伝わってきます。

 イラク開戦から5年のこの日、政治学者の武者小路 公秀氏にこの問題を

大局的に語っていただくとともに、JVCスタッフが中東の現場の状況をお伝え

し、日本と国際社会が何をすべきかを議論します。

 またアジアプレス・インターナショナル代表・野中 章弘氏の解説により、

最新のイラクの映像を上映する予定です。

■映像上映:野中 章弘氏(アジアプレス・インターナショナル代表)

■基調講演:武者小路 公秀氏

(大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センター所長、元国連大学 副学長)

■問題提起:谷山 博史(JVC代表理事)

■現場報告:谷山 由子(JVCアフガニスタン)

        田村 幸恵(JVCイラク)

        藤屋 リカ (JVCパレスチナ)

■パネルディスカッション:

      コーディネーター 高橋 清貴(JVC調査研究担当)

【日時】2008年3月20日(木・祝)13:30~16:30

【会場】生活産業プラザ「ECOとしま」多目的ホール

【住所】豊島区東池袋1-20-15 

【地図】http://mekuru.city.toshima.tokyo.jp/sangyo/ids/plaza/ids_plaza.html

【アクセス】池袋駅から徒歩7分

【参加費】800円(JVC会員の方は無料です。当日の入会も可能です。)

【お申込・お問合せ】

日本国際ボランティアセンター(JVC)

http://www.ngo-jvc.net

TEL 03-3834-2388 info@ngo-jvc.net

※事前にお申し込みください

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2008.03.14

スタディ・ツアー2008春

この13-14日の二日間は財団法人アジア福祉教育財団、難民事業本部主催の

スタディ・ツアーに参加した。

国際協力関係でNGOのスタディ・ツアーと言えば海外の現場訪問という

イメージを持つことも少なくないと思うが、今回は、日本国内で、難民支援の

現場を知ろうという試みである。

サブタイトルも ~聞いて、見て、知ろう!難民支援の現場~ となっている。

でもやっぱり、どうして難民支援で日本国内なの?という疑問を持つ方も

もしかして少なくないかと思う。

そう、日本も少ないながらも難民として保護を求めて来る人々がいるのだという

ことを、もっと多くの人々に理解していただきたいものだと思う。

もともと日本で難民の人々に出会ったことが今の私の活動の始まりであり、

原点であることを思い出すつもりで今回の催しに参加したのだが、

どうしてどうして、他の参加者の方々もそれぞれにその道でがんばって

おられる方々が多く、感銘を受けた。

訪問先や活動の模様をここで詳述している余裕がないのだが、そのような

団体の活動の模様をさて置き、やはり活動に携わっているひとりひとりの

方々の人間性に魅せられたというのが今回の感想だ。

なかでも、最後にお話を伺ったベトナム出身の元軍人で、さまざまな経緯を

経た後にボートに乗って脱出し、日本で難民としての保護を受け、今は帰化

しているUさんの体験談が心に残っている。

ベトナム戦争というと、どうしても私の場合は今のイラク戦争との対比で

考えてしまうのだが、Uさんの話の中からいくつかの言葉を拾ってみたい。

*ベトナム戦争は一般的にはベトナムとアメリカの戦争だとして報道されて

 いるが、自分にとってはベトナム人同士の戦争だ。南ベトナムの民主主義、

 自由を守るための防衛戦争であり、内戦だった。

*兵士として戦っている間はただ夢中で、戦いの意味など考えている余裕など

 ない。しかしいったん銃を手放せば、傷つけた相手も同じベトナム人であり、

 人間同士であることに気づく。捕虜に対しても人間としてもてなした。

*帰化した今は書類上は日本人ということになっているが、自分は何人かと

 聞かれれば、胸を張ってベトナム人だという誇りがある。自分の子どもたち

 (日本国籍)もベトナム人として生きて欲しいと思っているし、そう教育

 している。

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2008.03.05

イラン大統領イラクを訪問

3月3日、その日のバグダッド

イランのアフマディネジャド大統領は3月2日、イラクを初訪問し、
タラバニ大統領やマリキ首相らイラク政府首脳と会談した。

さて、この日のバグダッドはどうだったのか、バグダッド在住の
知人の話から拾ってみたい。(以下、彼の発言より抜粋)

「イランの大統領がバグダッドに来た話は聞いているか?
 この日はさまざまなことが起こって散々な日だった。
 治安当局はバグダッド市内を通行止めにして封鎖したのさ。
 イラクの国内各地、あちらこちらでイラン大統領の訪問に反対し、
 帰れ!と訴えるデモが行われたよ。
 おかげで2日間の滞在予定のところを一日で早々に引き揚げて
 行ったよ。(注: 彼の発言のママ)」

「デモが起きたのはディヤラ、ファルージャ...
 そしてイラク南部のシーア派地域でもデモがあった。バスラでも...。
 デモの参加者はサインを掲げていた。
 サインの中身は
 『イランは私たちの国(=イラク)に災禍をもたらしている。
 またイランは民兵を支援している。イラクに来るならその前に
 民兵の 活動を止めさせろ!』といった内容だ。」

「イランの支援を受けた民兵が悪さをしているので、その活動を
 止めさせた上でなら訪問も歓迎するが、民兵の活動は止まって
 いないので、大統領の訪問は歓迎できないという意味で、南部
 のシーア派の部族もそういう主張をしているのだ。」

「例えば、イラク軍がアダミーヤ地区で二人のジャーナリストを
 殴り、カメラを壊したという事件が起きた。
 アダミーヤはスンニ派の地区だ。そのアダミーヤに爆発物と銃を
 持ったイラン人が来ていたということで地元の覚醒委員会の
 メンバーがそのイラン人を捕らえたのだが、その様子をこの
 ジャーナリストが撮影していたのを見かけたので、イラク軍は
 そのジャーナリストを殴ってカメラを壊したということだそうだ。
 これは、きょう、シャルキーヤTV(注:イラクの衛星TV局のひとつ)
 が報道していた。」

「昨日(3日)のバグダッドは曇りで、たくさんの爆破が起きた。
 ひどいことだ。
 ひとつはNew Baghdad 地区で起きた。イラク軍の検問所で、
 そこの裏には兵士が夜間に仮眠を取る休息所がある。
 朝6時に爆発物を満載した大きな自動車がやって来て、その
 休息所を破壊したので後には全部の部屋がむき出しになって
 外から見えるほどだった。そこに居た兵士はみんな亡くなった。
 昨日は本当にあちこちで爆破があった。」

「きょうも爆破がBab al-Mhadham地区であった。イラク保健省の
 建物のすぐ近くの地区だ。とても大きな爆破だった。
 昨日ときょうは本当にあちこちでたくさんの爆破があった。
 多分イランの大統領が来たからだと私は思う。」

終わり

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