サッダームの命日(シリア訪問最終日)
シリア訪問3日目の30日、サッダームの命日に元バアス党員に会った。
唐突な話で恐縮ながら、綿井健陽監督の映画「Little Birds」をご覧に
なった方があれば、イラクの病院を訪問するNGOの活動のシーンで
私が登場するのはあるいはご存知かと思う。
バグダードの小児がん病棟を訪問して写真を撮らせて頂くことも多い
けれども、次回訪問した時には焼き付けた写真を渡せることが少ない。
なぜならすぐに亡くなってしまって会えなかったり、生きていても、
治るまでの期間を長期入院するよりも、少しでも具合が良くなったら
退院して自宅療養に切り替えるので、次に同じ子どもさんに会える
可能性が少ない、ということ伝えたかったのだが、実際そこで写真を
渡そうとしたら実は似ている別人だったという話でもある。
この話ではないが、宗教的に女性は例外として、男性や子どもの場合、
イラクの人をはじめ中東の皆さんは、本当に写真に撮られるのが好きだ。
次に会って写真を焼いて渡せる当てがあるわけでなくても撮って欲しい
と言ってくる。次に渡せないことがほとんどだけに、この一期一会の
出会いはいつも申し訳なく思う。
なので、いくらかでも写真を次に渡せる可能性がある時は、極力渡す
ようにしている。とは言いながら、中東で写真を焼く場合は、データを
預けて受け取りは翌日以降というところが多く、日本のように簡単に
デジタル写真を待ち時間十分以内に焼けるところなどは少ないので、
つい写真を焼いてもらうタイミングを失ってしまう。
今回のシリア行きの時も、前回11月訪問時の写真データを用意するところ
まではやったのだが、ヨルダンで事前に焼き付けることができなくて、
焼いた写真を出発前には用意できなかった。
諦めかけていたら、ダマスカスの宿のすぐ近くにPhotoExpressの看板を
見かけた。どのくらいExpress(早い)かが問題なので、最短でも数時間を
覚悟して恐る恐る聞いてみたら数分でできると言う。これはラッキー!
最終日にヨルダンに帰る前にもう一度訪問して写真を渡す機会ができた!
というわけで、例によってジャラマーナとサイダ・ザイナブをもう一回り
することにした。
【ジャラマーナ】
そう言う訳で前日に引き続きジャラマーナを再訪問。念のため立ち寄った
例のNGOのサービスセンターも、やはり閉まったまま。しかし訪問者は
やはりポツリポツリと現われては、年末休止中という張り紙を見て、残念
そうに帰って行く。
写真を渡せたのはイラクレストランのスタッフ。喜びついでにさらに写真
を撮って欲しいということで厨房の皆さんが勝手に全員集合してポーズを
取ってくれる。そこまでされてはこちらも撮らない訳にはいかない。きょう
撮った写真も次はいつ渡せるだろうか。
今回、焼いて持参した前回11月訪問時の写真の中にも、本人はバグダードに
帰ってしまってもうレストランにはいないというケースが幾人もいた。
やはりシリアからイラクへの帰国の流れがあることが、こんなことからも
わかる。
さて、今日はお茶だけにしてレストランを出て、メインストリートを歩く。
この辺りは固まって何軒もイラク向けのバスや4輪駆動車の手配を行う旅行
業者が軒を連ねている。店の前の通りにはたくさんの4輪駆動車が駐車中で、
屋根の上に荷物を満載している車もある。
そのようなところを通り抜けようとしたら、店の戸を開けて「ニンハオ」
と中国語のあいさつで呼ぶ声あり。
苦笑しながら声に応えてそのお店にお邪魔することにした。
中東に滞在したり旅行をしたことのある日本人であれば多くが同じような
経験をしたことがあると思うが、日本人は中国人に間違えられることが
非常に多い。
お店にお邪魔ついでにこちらも良い機会と気を取り直して、イラク行きの
便について質問して教えてもらう。予想通り、経営者も、一緒にいて声を
かけてきた人、そして店に雑談をしに来ていたもうひとりの人も全員が
イラク人だった。
ダマスカスからバグダード行きの4輪駆動車は午後の2時過ぎに出発し、
翌朝の8時にバグダードのチグリス川右岸、マンスール地区に到着する。
そのマンスール地区も以前は治安が悪かったのだが、今は大丈夫だと言う。
途中の通り道の安全も今では問題ないと言う。
バグダード行きの4輪駆動車のお値段は一人当たりUS$85-で、バスの場合
にはUS$24-(=1,200-シリアリラ)だと言う。
私が店に入った時間帯がちょうど午後2時過ぎに当たり、道の反対側に大型
バスが来て駐車するのが見えた。これもバグダード行きだ。
残りは世間話しという訳で、相手の話を聞くには自分の身元も明かさなくて
はならないので、イラクに関わる仕事でバグダード滞在経験があることを
話す。すると、相手も自分の話をしてくれる。
声をかけて来たアブ・アリさんはもともとバグダード市内のシェラトンホテル
のすぐ近くに事務所を持ち、ビジネスをやっていたのだと言う。そのビジネス
の内容までは明かしてくれなかったが、サッダーム政権崩壊後、ビジネスが
続けられなくなったのだと話す。そして、そのビジネスが続けられなくなった
理由が何であるかを、私が聞く前にあっさりと話してくれた。要するに自分が
サラハッディーン県の出身でこの地元出身のサッダーム・フセインを支持して
いること、そして、イラク戦争後のバアス党出身者の追放政策の影響を受けて
ビジネスが続けられなくなったということも。
シリアの旅行会社のビジネスはどうかと聞くと、今はシリアからイラク行きの
片道の通行が多いので、ビジネス的にはうまみはないと言う。
運転手もイラク人だが、その運転手もイラクに帰ったらシリアに戻らないこと
も多いと聞く。
ちょうどそんな話をしていると、店でつけていたイラクの衛星TV局のシャル
キーヤ(本部は英国)の放送はトップニュースのパキスタン情勢に引き続いて
イラクの国内情勢について報道している。おりしもきょう30日はサッダーム・
フセインが刑に処されてから1年になる。
アブ・アリ氏は続ける。「サッダームは偉大な指導者であり、イラクのヒーロー
だった。アメリカはシャイゼだ!」この「シャイゼ」という言葉の意味が分か
らず尋ねると、この言葉はアラビア語でもない様子。彼に言わせればドイツ語
で、どうも説明によると、ユダヤ人虐殺の時の「虐殺」に当たる言葉らしい。
裏を取らないと本当のところはわからないが、ここでは彼の言った通りの使い
方で書いておく。
彼はこの言葉がお気に入りのようで、日本のヒロシマやナガサキもアメリカの
せいでシャイゼだと言う。
「サッダームを失い、アラブの人々は皆、悲しんだ」と言って、サッダームを
自分が支持する証として、持っていた腕時計を見せてくれた。時計の文字盤には
サッダームの像が描かれていた。
どうも話が出来過ぎているという感じもしなくはなかったが、彼の言うことを
信じるしかない。
「サッダームを失って悲しい。アメリカは大嫌いだが、日本は好きだ。」と
彼は別れ際に言った。彼に限らずなぜか日本びいきのイラク人が多く、これは
ありがたいことだが、その逆でどれだけイラクの事を日本人が興味を抱いて
いるのだろうかとうことが心配になる。
【サイダ・ザイナブ】
結果的には、以前に写真に撮った人々には再会がならず、写真は渡せなかった
が、前日は夜に訪問したことで観察ができなかった昼間のイラク行きの自動車
ターミナルの模様を見ることができた。
駐車場の手前、モスク側にたくさん駐車していて目立つ大型の観光バスはイラン
からの巡礼者のもので、ナンバープレートがイランのテヘランナンバーである。
奥のイラク行きのターミナルは、やはり9月までの雰囲気とは異なり、バスは
少ない。しかし、前回の11月との比較で気がつくのは駐車している4輪駆動車の
多さだ。

【イラク行き4輪駆動車の列】 【巡礼者の観光バスはイランナンバー】
勝手に邪推すると、10月以降、シリア滞在にビザが課されるようになったこと
で、大勢が国境まで移動し、いったん出国した後にシリアに再入国する流れが
なくなり、この移動に主に使われていた大型バスの発着が少なくなった。
また、やはり10月以降のいわゆるイラクの治安回復理由でのイラクへの帰国の
流れの中でも、経済的にひっ迫している層の人々(交通手段も主にバス)は
いち早くシリアからイラクに帰国してしまっていて、今の帰国の流れの中では
最下層よりも中の下以上の人々が多くなってるのではないか、このためにバス
よりも4輪駆動車による移動が多いのではないか。
この仮説を検証するには統計などの裏付けが必要なので、現時点では何とも
言えないが、表面的に観察したところではなんとなくつじつまが合う気がする。
最後に訪ねたモスク隣接のイラク人街では、子どもたちに写真を撮ってくれと
取り囲まれ、せがまれて大変だった。しかしそのことよりも、最後に心残りと
なったのは物乞いの子どものことだ。イラク人ともシリア人とも区別がつかない
その子どもと目が合ってしまったがお金を渡してあげることができなかった。
ヨルダンへの帰途に備えて、手元には高額紙幣しか残していなかったので。
ここでなくてもしばしば途上国支援などでも議論になるのは物乞いにお金を
渡すよりもそのような物乞いが必要ない社会を作ることの手助けをすることが
大切という議論である。物乞いの中にもこれが一種の職業になっていて、
ヨルダンでもそのような物乞いが祝日に繁華街の人出を当てにしてやって来る
のを当局が排除しようとして新聞ダネになっているのを見たりするし、
イラクでの経験でも広場に出てくる、乳飲み子を抱えた母親の姿の物乞いも
実はあっせん業者が絡んでいて、子どもは実の子どもでなくてレンタルの
場合もあるというのは見聞きして知っているので、これには悩むところだ。
むろん、物乞いが定職になっているとしても、必要に迫られてやっている
ことであれば、保護なくして排除の論理はおかしいし、地域全体の支援という
お題目の前に、その日暮らしの目の前の人々にわずかな施しでも与えることが
必要であればやるべきだという考えもあるだろう。
この問題に関しては一般論で正解は持ち得ないと思う。
ヨルダンへの3時間半の帰路、そのことを考えつつ過ごした。
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