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2007.06.23

情報を伝えることとインフラと

伝え続けること

1ヶ月ほど前から始まったレバノンのナハル・アル=バーリド
パレスチナ難民キャンプでの戦闘について、21日夜のTV番組で
レバノンの国防相が勝利宣言をしたことになっているが、
対する武装勢力側のファタハ・アル=イスラームがギブアップ
していないので、まだ推移が気になる。
アルジャジーラ国際版(英語放送)の解説では、レバノン軍が
確保したのは北側の新難民キャンプであって、武装勢力側が
拠点としている南側の旧難民キャンプは抑えられていないと
している。

また、戦闘が終わったとしても住民の生活の再建はまだ先の
話である。住居は破壊されているし、地雷や仕掛け爆弾が
まだ処理されずに残っている。

もっと推移が気になるのがイラクのラマディやファルージャの
状況だ。ファルージャの外出禁止令もレバノンの事件と同じ頃に
始まり、米軍・イラク軍による治安作戦もまだ続いているのだが、
こちらの方の情報はレバノンほどには伝わって来ないのが現状だ。
情報がないと忘れられる、関心が薄れる、それで余計に情報が
来なくなり、そしてついには何事も起きていないかのように扱わ
れる。
そのような傾向になることが最も懸念される。

そういう意味で、関心を持ち続けること、情報をつなぎ続ける
ことは大切である。
そうは言いながら、なかなか自分のブログでもそういう事が
できていないのが悩みである。
ヨルダン・イラク「報告」と名づけながらも、具体的な活動報告
の方は書かずに四方山話になっているのも、ひとつには活動が
優先で報告が二の次になるという言い訳もあるが、具体的に
書いてしまうと、現場での差し障りがあるということもある。
気にし過ぎないでもっと発信すれば良いのだけれど。

             *****

中東カフェと情報インフラ

「中東とアジアをつなぐ新たな地域概念・共生関係の模索」という
意欲的な目標を掲げて進行中のプロジェクトがある。
東京外国語大学の研究室が中心になって進めているこのプロジェクトも、
日本と中東をつなぐ貴重な情報のつながりである。

硬いことを言っていても伝わらないので、少人数でのカフェ形式での
イベントを各地で催している。題して「中東カフェ」
http://www.japan-middleeast.jp/55.html

今週は中国地方での催しが続いている。
22日は島根高専での催しがインターネット中継された。
日本に居なくてもヨルダンで中継を見ることができるのは画期的な
ことだった。
しかし、自宅アパートからダイヤルアップでの接続は、音声はともかく
画像を扱う環境としては厳しかった。

内容に触れられるだけの長時間の接続ができなかったので、ここでは
通信技術についでだけ触れておく。

ヨルダンでもADSLは使えるが、まだまだ普及度は高くない。
恐らく全体のバックボーン回線が細いのだと思うが、ADSLでつないだと
しても日本で体感するほど高速なスピードが出ないことが多い。

以前、プチ停電というタイトルでお伝えしたこともあるが、真夏の
ピーク時の電力供給に不安があるようで、ヨルダンでも計画的に
停電が起きる。
今週も二回ほど、30分、1時間という単位で停電することがあった。
電気が来ないことを考えると、インターネットのスピードが遅いこと
などは贅沢な悩みかも知れない。

電気が来ない悩みと言えばイラクはもっと深刻だ。
しかし2003年時点でのイラクのインターネットカフェでは
停電が前提で無停電電源装置(分かりやすく言うと大型の電池)が
備えられていたし、PCは戦後に新しくなったお陰で最新型だったし、
通信は地上回線は全く当てにならない代わりに衛星通信インターネット
だったりと、最新のインフラになっていて、妙な感じがした。
今でも大きくは変わっていないと思う。
この間、イラクの中で大きく変わったのは通信手段として携帯電話が
一気に普及したことだろう。
今ではイラクとの通信手段として携帯電話の音声通信とメール、
PCでのメッセンジャーは欠かせない。

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2007.06.22

日本での難民関係イベント

6月20日の世界難民の日の記事の最後に日本の難民の受け入れ状況と
言いますか、「受け入れなさ状況」についてちょっと触れました。

今は海外、特にイラクの支援に関わっていますが、私がNGOの活動に
携わるようになった原点は日本の難民支援、とりわけアフガン難民と
クルド難民の皆さんと知り合ったことがきっかけです。
しかし、日本の支援者の皆様にはご無沙汰をしていてごめんなさい。

そういう訳なので、この問題には今後もこだわり続けます。

さて、既に「世界難民の日」の20日は過ぎていますが、これから開かれる
難民関係のイベントについて少々紹介しておきます。

■ 6/24(日) 世界難民の日フットサル大会

  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/20070624_futsal.html

  既に申し込みは締め切られていますが、今年で4回目。
  都内某所で開かれます。
  私も日本に居る限りは足を運んでいて2回観戦したことがありますが、
  今年は足を運べず残念です。
  事前練習までして気合を入れながらも、本選で敗れて悔しがる
  クルド人の友人の姿が印象に残っています。

■ 7/1(日)関西、7/8(日)東京 
 「世界難民の日」記念シンポジウム’07

 【関西集会】
  日時:2007年7月1日(日)午後12:30~(写真展11:00~)
  場所:大阪市立住まい情報センター 3Fホール
     地図 http://www.sumai.city.osaka.jp/subpage.php?p=3661&t=1175401432
  講演:
* デイビッド・マティソンさん
   (ヒューマン・ライツ・ウォッチ アジア局ビルマ担当)
「ビルマ人の人権侵害の真実 
   ―ビルマ民主化のために日本が果たす役割」(仮題)
* キンマウンラさん(ビルマ難民)
「偽装難民と呼ばれて ―難民認定までの長く厳しい道のり」
* 馬島浄圭さん(日本ビルマ問題を考える会)
「私が寄り添うビルマ人難民申請者たちの素顔」
  参加費:1000円
 
 【関東集会】
  日時:2007年7月8日(日)午後6時~
  場所:文京シビックホール小ホール
    (地下鉄「後楽園」または「春日」徒歩3分、 JR「水道橋」徒歩8分)
     地図 http://www.b-civichall.com/access/main.html
  講師:
* 渡邉彰悟さん(在日ビルマ人難民申請弁護団)
* 土井香苗さん(ヒューマンライツ・ナウ)
  * ビルマ難民
  参加費:800円

  http://www.rafiq.jp/wrd/index.html

  ポスターもかなりいい感じにできていて主催者の力の入れようがわかります。
  主宰者の皆さんにはご無沙汰していてごめんなさいです。

  今回のシンポジウムでは特にビルマ難民に焦点を当てられています。
  ビルマ難民は日本での  難民申請者のなかでも多数を占めています。
  本国が軍事政権であることは国際的に知られており、比較的迫害が
  明確だと思うのだけれども、それでもなかなか認定状況に関しては
  厳しい状態が続いています。
  私は2003年3月にアメリカに滞在していた時に、難民と認定され、
  アメリカに定住しているビルマ人と知り合ったことがあります。
  その人はアメリカの前には日本で難民申請をしながら認められなかっ
  たと言っていて、その話を聞いた私としては大変恥ずかしかった覚え
  があります。

  ちなみに、報道や政府の公式文書などではかの国の名前をミャンマー
  と呼ぶようですが、私は軍事政権を認めず、民主化運動を続けるビルマ人
  の皆さんに共感を覚えるので、ミャンマーとは言うのには抵抗を感じます。


■ 7/18(水)~26日(木) 第2回「難民映画祭」

  昨年に引き続き、2度目の開催です。
  「難民についての映画」という先入観にとらわれない方が良いと思います。
  難民の人々にスポットを当てることで人間ドラマになるという側面は否定
  しませんが。

  http://www.unhcr.or.jp/event/2007/2007RFF.html

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2007.06.21

世界難民の日

6月20日は世界難民の日。
2000年12月4日国連決議で決められ、翌年の2001年以来、
この日を記念してキャンペーンが行われている。

なぜ6月20日かと言うと、もともとOAU(アフリカ統一機構)難民条約の
発効がこの日で、それを記念する「アフリカ難民の日」(Africa Refugee Day)
だったのを、世界全体の難民に思いをはせる日にしたとのこと。

ヨルダン地元英字紙JordanTimes記事によると、世界難民の日にちなんだ
特別番組をCNNが制作し、アンマンからの生中継でイラクからの避難民の
模様も放送すると言うので期待して見た。

番組は、今注目される世界の難民の模様を多角的に伝えようとするもので、
なかなかの力作だった。

1.ヨルダンに避難しているイラク難民

2.イラク国内で住家を追われて避難している国内避難民
  (バグダッドからの避難民の例)

3.スウェーデンに行き、定住を果たしたイラク人難民

4.トルコで難民申請の手続きをして、米国行きを待たされて
  いるイラク人難民

5.米国(シカゴ)に定住を果たしたキリスト教徒のイラク
  難民とそれを支えるアメリカの地元の市民団体


6.アフガニスタン難民
  (パキスタンでは難民キャンプを閉鎖されて強制的に帰国、
   イランからも追い返される難民が増えている。)

7.スーダン、ダルフールの難民

8.パレスチナ難民
  (ハマスの支配下に入ったガザからの脱出を図りながら
   検問所でイスラエルに止められて脱出ができない避難民)

これだけ多角的に取り上げて全部で1時間に渡るボリュームと、
パレスチナ難民の最新の状況まで取り上げる新しさは大したもの。

しかし、それでも釈然としない思いが最後に残った。
それはやはりCNNはアメリカのTV局であるという限界から
来るものだと思う。

どのトピックスも記録番組としては一級だと思うものの、
共通して欠けていたのは、そもそもこのような難民を生む
根本の原因となっている紛争がどこから来るものかという
点に全くと言って良いほど触れていないことだ。

なので、かわいそうな人を助けてあげましょうという
「人道主義」で話が終わってしまう。
紛争の原因に対して全く他人事なのだ。

イラク、アフガニスタン、パレスチナの紛争に米国は深く
関わっているのにそれに触れないので、当事者意識が
全く無い番組作りになっている。それが致命的に問題だった。

イラクからの難民にしても、CNNの取材の限界なのだろうが、
イラクの中で米軍関係の通訳をしていたり、米国に関わりを
持っていることによってイラクに居られなくなった人々を
主に取り上げている。
そういう人々が居ることも否定しないが、イラクからの難民が
そういう人々ばかりであるかのような誤解をされ易い取り上げ
方になっていたのはやはり問題だ。

米軍と直接のかかわりがある、なしに関わらず、抗争に巻き込
まれて難民となることを余儀なくされた人が多くいることを
忘れてはならないし、そもそもその抗争は米国によるイラク
攻撃とその後の占領政策の失敗の所産なのだ。

しかし日本人の私たちもこのような当事者性を忘れてはならない
ことを教訓にしたい。

日本もイラク戦争を支持した国のひとつであり、先進国の中で
有数の「難民を受け入れない国」だからだ。

1-2週間ほど前に、スウェーデン行きを希望して難民申請を
しようとしているイラク人の知人に「日本もイラク難民の
受け入れ枠を決めたという噂を聞いたが」と相談された。

日本がイラク難民の受け入れを決めたという話はただの噂に
過ぎない。
しかしそれ以前の問題で、2006年の難民申請者が954人に対して
認定者数がわずか34人というのが現実(法務省発表の数字)
だけに、恥ずかしくて「ようこそ日本へ」とはとても言えない。

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2007.06.19

金星食(6月18日)

Moonvenus

この時期、西の空に宵の明星(金星)がきれいに見える。

アンマンでは砂漠の砂で空が煙っていたり、特に夏は湾岸諸国からの
避暑を兼ねての滞在者が多く、車が増えるので、市内の空気はきれい
とは言えず、透明度がそれほど高くないのだけれども、さすがにまだ
東京よりはきれいな空である。
また、日没が遅く8時過ぎまで空も明るいということもある。

金星と月が接近して仲良くランデブーしている。

後から聞くところによると、6月18日は金星食だったそうな。
月の軌道が地球と金星の間を通過するので、金星が月に隠され、
また出現する現象が見られる。

気づくのが遅かったので、目撃して写真に撮れたのは金星食の後、
再出現してからのシーンのみで残念。

空では天体ショーが見られて悠久の時を感じている間もなく、
地上では争いごとが絶えないこの地である。

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2007.06.18

翻弄されるパレスチナ人

June012007nab
(写真:戦闘が続くレバノン、ナハル・アル=バーリド難民キャンプ
    アル・ジャジーラ英語放送の中継画面より6月1日)

6月17日 その1

今回、アンマンに来てからあっと言う間に1ヶ月近くが経とうと
している。

日本を出た5月20日の直前に始まった、レバノン北部、トリポリ
近郊にあるナハル・アル=バーリドのパレスチナ難民キャンプを
拠点にしたイスラム教過激派組織ファタハ・アル=イスラームと
これを掃討しようとするレバノン軍の戦闘がまだ続いている。

戦闘の場となった難民キャンプのパレスチナ人にとってはとんでも
ない迷惑である。人の命がかかっていることなので、「迷惑」と
いうことばで済まされることではないのだけれど。

私が日本を発つ際に見たニュース速報では、パレスチナ人の
過激派組織が闘っているかのように誤解されやすい報道で
あったので、アンマンに着いてからはじめてちゃんとした
状況が分かった。

バグダッド在住の知人のパレスチナ人も、ただでさえ治安の悪い
イラクの中で大変な思いをしているはずなのに、それをさて置いて
怒っていた。電話口で彼は叫んだ。

「パレスチナ擁護を語るどんな暴力も私は支持しない。そんな
 暴力はパレスチナ人にとっては迷惑以外の何物でもない。
 これまで、パレスチナ人はそんな具合に政治的な道具として
 さんざん利用されて来た。もうたくさんだ。」と。

              ***
6月17日 その2

アンマンでタクシーに乗ると、運転手が話しかけてくることは
珍しくない。きょうのドライバーも、そんなひとりだった。
彼は英語がかたことだし、私はアラビア語がかたことなので、
かたこと同士の会話だが、熱心に話しかけてくる。

まずは「フィリピン人か?」と聞いてきた。こう聞かれること
にはもう慣れている。アンマンにいる日本人は目立たず、
アジア系といえば中国人かフィリピン人が多いからだ。
とりわけ私の住んでいる地域にはフィリピン人が多い。
ただし女性で下働きに来ている労働者が多い。

日本人だと答えると、「フーン。日本人ならいいや」と言う。
ドライバー曰く、フィリピン人はお金にうるさく、態度が悪い
と言う。
フィリピン人がお金にうるさくなるのは、もともと経済的に
余裕がないからで仕方が無い部分があると私は思うのだが、
だまっておく。

続けてドライバーは「俺はパレスチナ人だ。」と言う。
多少誇張された数字らしいが、ヨルダンの人口の7割は
パレスチナ人だと言われているくらいなので、こういう
ケースも多い。
加えてパレスチナ人はヨルダン国籍を持っていても、
ヨルダン人である前にパレスチナ人であることに
自分のアイデンティティを持っているからなおさらだ。

元からのヨルダン人は官公庁や軍の仕事をしていて、
ビジネスをやっていたり、こういうタクシー運転手を
やっているのは大概パレスチナ人だとドライバーは言う。

タクシーのラジオでは、パレスチナでファタハとハマスの
対立が極限に達し、ついにアッバース議長がハマスとの
連立内閣を解消して非常事態を宣言し、ファタハ単独の
新内閣を発足させた模様を報じている。

欧米の各国政府は、これまでイスラエルを認めて来なかっ
た「強硬派」ハマスに冷淡で、「穏健派」ファタハを
支持してきた方針を変えず、むしろ今回の動きに際して
パレスチナ自治政府からハマスが外されたことを歓迎し、
ファタハ内閣発足後から凍結して来たパレスチナ自治政府
に対する経済支援を再開しようという動きを見せている。

ドライバーは言う。

「俺はもともとパレスチナ西岸のナブルスの出身だ。
 親兄弟はまだヨルダン川西岸(イスラエル占領下の
 パレスチナ)に住んでいる。
 1967年(中東戦争)の際に占領に反対する運動で
 イスラエル軍と衝突したおかげで俺ひとりだけが
 追い出されてここ(ヨルダン)に来た。
 パレスチナには帰れない。」

報道は今回の情勢を受けて、ファタハ支持者が喜んで
いるとヨルダン川西岸の模様を伝えている。

しかし、その西岸出身の彼はこう言う。

「国際社会は今回の件でファタハを支持し、お金が回って
 来るだろう。しかし、そのお金はパレスチナの庶民には
 回らない。アラファト時代のファタハが何をして来たか
 知っているか。国際社会からのお金を自分のポケットに
 入れて浪費して来たではないか。そんなファタハにまた
 お金を出してどうするつもりだ。」

彼の言うことが正論だろう。

政治の思惑で翻弄されて来たパレスチナの人々の本音は
こんなものではないだろうか。

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2007.06.17

アハラームの夢

Ahlaam

6月16日、アンマン中心部のアル・フセイン文化センターで
開催中のフランス=アラブ映画祭の作品を見に行く。

きょうのお目当てはイラク映画の「Ahlaam(夢)」だ。

この作品は2005年の製作で、会場に来ていた監督のMohammed
Al Daradji氏に上映後に声をかけて聞いたところでは、昨年、
外務省の招聘で日本でも上映をしたと言っていたので、日本で
ご覧になったかたもあると思う。

私がこの映画を知ったのは、アル・ジャジーラの英語放送の
中で映画を紹介する番組”Fabulous Picture Show"のスペシャル
版で2週間ほど前に放送された番組を通してだった。
30分のTV番組では、映画のイラクでの初上映を機にバグダッドに
里帰りした監督の模様を追ったものだった。

映画を製作した監督のモハメッド・ダラジ氏はTV番組では31歳と
紹介されていたのでまだ若い。しかし、彼自身も戦争の影響を
受けてイラクを脱出しており、今はイギリスに住んでいる。

映画はイラク映画なので、言葉はアラビア語になる。
TV番組の中では映画のシーンは英語の字幕だったが、今回は
フランス=アラブ映画祭と言うこともあってかフランス語の字幕
をつけての上映である。
ヨルダンはもとは英国領だった方に属するが、中東の国の中には
レバノンやシリアのように植民地時代にフランス領だったところ
も少なくないので、フランス語の影響も中東にはある。

余談ながら、私が滞在していた2003年時点でもバグダッド市内に
フランス語学校があったし、ローカルスタッフとして一時期
仕事をしたイラク人の兄弟がいたが、その妹さんはフランス語を
習っていて英語で話すよりフランス語の方が達者ということも
あった。

さて、会場はざっと見た感じで300名ほど入る会場に200名弱の
入場者だった。

会場を見渡したところで、明らかにイラク人という人がいないかと
探して見たが、残念ながら、私には外見だけで区別はできない。
ほとんどがアラブ系の人、つまり地元のヨルダン人かイラク人、
又は他のアラブ諸国の人ということはかろうじてわかる。
それ以外の欧米風の人々は数名程度、まして私のような者がいる
のは場違いといった感じ。そういう訳で、会場は字幕なしで理解
できる人がほとんどの模様。私としては中身が理解できるかプレッ
シャーがかかる。

夜8時40分。10分遅れで上映が始まる。それでも遅れて会場に
入ってくる人が居たりするのはやはりアラブ的な時間感覚のせい
だろうか。

フランス語でもとにかく字幕がついていることで中身の理解に
役立った。
ちなみにワタクシは第二外国語はフランス語を選択したものの、
落第しそうになった成績なので、偉そうなことは言えない。

映画のタイトルになっている「アハラーム」は主人公のひとりで
結婚式の当日に新郎を誘拐されてしまった花嫁である。
アハラームは、この事件の影響で精神病院に入れられてしまった。

この映画にはアハラームを含め、3人の主人公が登場する。彼らの
接点は精神病院である。2003年のイラク戦争で空爆にさらされる
バグダッド市内の精神病院のシーンが映画の冒頭である。

精神病院は治療を目的とするよりも、サダム政権時代は刑務所の
ような扱いであったことを思い浮かべると興味深いところである。
この点が上映後の観客と監督の議論でも焦点のひとつになっていた。

アハラーム以外の主人公のひとりはアハラームに治療を施す医師の
マハディである。彼はバグダッドの医学生の試験に合格するが、
父親がコミュニストであったことで迫害を受けた経緯がある。

最後のひとりの主人公のアリはこの映画のポスターにも登場して
いる。
彼はイラク兵として従軍し、砂漠で米英軍の空爆に会う。この
米英軍の空爆(1998年の「砂漠の狐」作戦)で同僚のハッサンを
失い、助けようとした自分は逆に逃亡の疑いでイラク軍に捕らえ
られ、軍法会議で有罪になり、精神病院に送られる。

2003年のイラク戦争による空爆で精神病院も破壊され、患者として
収容されていたアハラームとアリの二人は自由の身となる。
しかし、戦争による混乱でバグダッドは略奪の嵐となり、武器を
持った無法者による殺戮の場となる。
このような状況の中では、どう見ても普通の境遇ではないはずの
3人の主人公が、最も人間性にあふれてまともな人間に見えてくる
ところがこの映画の核心ではないかと思う。

しかしこの映画には救いがない。
一応この映画はフィクションとされているものの、描写は結構
どぎつい部分もあり、110分の上映時間の間、いたたまれない
思いがすることも何度かあった。それに耐えながら何とか希望を
見出そうと見ていたが、最後のシーンまで、主人公の未来に、
そしてイラクの未来に希望は見出せなかった。
そういうこともあってか、私としては、ここ数年見た映画の中でも
最も衝撃を受けた映画だったと言って良いと思う。

上映後、挨拶に立った監督は拍手に迎えられたが、挨拶もそこそこ
に質問の矢面にも立たされていた。
会場から多くの手が上がり、活発な議論が展開された。
残念だったのは、このやり取りが全てアラビア語で、通訳がつかない
ので、私には理解ができなかったことだ。

かろうじていくつかの単語で分かった範囲で整理すると、質問の
ひとつはシーア派とスンニ派のこと、もうひとつは精神病院での
シーンの解釈に関することだった。

映画の中では取り立ててスンニ派とシーア派を色分けするような
シーンはなかったように私は見ていたものの、会場からの質問は
辛らつで、これに監督が気色ばんで応答するなど議論は熱を帯びた。
救いだったのは、スンニもシーアも(区別するつもりは)ないと
する監督の応答に対してこれを支持する拍手が質問者とは別に
会場から見られたことだ。

上映後に監督に声を掛けてみた。
アルジャジーラの番組でこの映画のことを知ったと話すと、監督は
「TV番組もドキュメンタリーではあるけどね」と含みのある返事を
した。
私なりに解釈をすると、TV番組も脚色をされているということを
言いたかったのかも知れない。

確かに、議論を呼ぶ作品なのかも知れない。
別の機会にこの映画について触れたところ、ファルージャ出身で
アンマンに滞在中のあるイラク人は、「フン」という顔をして、
「この映画のことは知っているが、見るに値しない、クズだ。」
と言い放った。

帰る途中で会場から出て来たヨルダン人には英語で声を掛けられ、
「どうだい、きょうの映画は良かったかい?」と言うので、
「まあ、良かったね。」と無難に答えると、彼は、
「ヨルダン人はみんな、この映画は嫌いだと思うね。サダム・
 フセインに批判的な映画だから」と言う。
「ヨルダン人はサダム・フセインが好きなんだ」と彼は続けた。

ヨルダン人のサダム・フセイン好きはこれまでも経験上良く知って
いるが、ここでもそうかと認識を新たにする。
歴史的にはバース党は汎アラブ主義を掲げ、サダム・フセインは
パレスチナ人を擁護したという理屈はつけられるのだが、それに
してもヨルダン人のサダム・フセイン好きは驚異的だ。
ヨルダン人はサダム・フセインの良い面から利益を得てきたが、
悪い面の直接の影響を得ていない。例えばイラク人のように
迫害を受けたり、家族が殺されるなどの実害を受けてきていない。
そんなところもサダム・フセインの人気の元なのかも知れない。

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恩人の訃報

アンマン時間で6月16日の午後、
ジャーナリストで日本の安保問題の分析では第一人者
であった松尾高志さんが亡くなったとの報に接する。
まだ60代前半であるし、元気でいらしたので、突然の
ことにことばを失う。
有事法制や自衛隊問題、米軍再編に関して勉強会で
お世話になっていた。
飾らない人柄と笑顔でいつも接して下さり、勉強の場の
厳しい顔よりも、終わった後の食事会の時の笑顔の方
が忘れられない。

すぐに日本行きの便に飛び乗れば葬儀には間に合う
タイミングだったので、ぜひともそうしたい思いに駆ら
れた。
しかし、我に返ってみると、それだけのお金と時間を
費やす代わりにここで引き続きイラクに関わる方が
松尾さんの思いにかなうと考え、自重する。

キリスト教の聖地に近いこの場所で、クリスチャンで
あった松尾さんを偲ぶのも、何かの縁なのかもしれない。

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2007.06.05

『パレスチナ週間』

40years

(写真はアルジャジーラ英語版の放送画面より。
 ”アラブ=イスラエル戦争”について、今週は連日、
 特集で放送している。)

レバノンのパレスチナ難民キャンプを現場に繰り広げられている
レバノン軍と過激派組織の攻防は3週間目に入っています。
軍事衝突が続いている限り、パレスチナ難民キャンプの住民に
救いの手が届かず人道的な危機の状態になっています。

日本ではこの状況がどのように伝えられているのか気にかかりつつ、
きょうの話題は中東の問題の根幹に位置するパレスチナ問題です。

40年前のきょう、1967年6月5日はパレスチナの運命を決める歴史的な
日となりました。
この日イスラエル空軍がエジプト各地を攻撃したことを機に第三次
中東戦争が勃発。わずか6日間の戦闘でイスラエルは戦争に勝利し、
それ以来ヨルダン川西岸とガザ地区、そして東エルサレムを支配下に
置き、現在も占領が続いています。
ちなみにアル・ジャジーラをはじめ、こちらの報道機関ではこの戦争を
「アラブ・イスラエル戦争」と呼んでいます。

JVCのパレスチナ・ボランティア・チームでは、この戦争の起こった
6月5日から10日までの6日間を『パレスチナ週間』と位置づけてイベント
を実施していますので、ご紹介します。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■6/10■ 『パレスチナ週間』:みんなで考えるパレスチナ問題
--------------------------------------------------------

今年は、国連でパレスチナ分割決議が採択されて(1947年11月29日)
から60年目、第三次中東戦争(1967年6月)から40年目にあたります。
JVCのパレスチナ・ボランティア・チームは、この節目の年に、より
多くの方にパレスチナ問題について知ってもらいたいと考え、第三次
中東戦争が起こった6日間(6月5日~6月10日)を『パレスチナ週間』と
位置づけ、全国各地の大学教員、学生団体、NGOの協力・協賛のもと、
イベント等を実施しています。

 この『パレスチナ週間』の最終日に、その締め括りとして、様々な
角度からパレスチナ問題を見つめ、専門家と共にその根源を考えていく
場を設けました。
みなさんのご参加をお待ちしています。

【日時】 2007年6月10日(日) 13:30~17:00
【内容】 第1部「パレスチナの『今』を歩く」
         発表者:林 博貴
            (JVCパレスチナボランティアチーム)
     第2部「地図が語るパレスチナ」
         発表者:今野 泰三
            (JVCパレスチナボランティアチーム)
     第3部「離散の民―パレスチナ人」
         発表者:錦田 愛子
            (東京外国語大学研究員)
     第4部「パレスチナ問題の根源を考える」
         発表者:臼杵 陽
            (日本女子大学教授)
     質疑・応答

【会場】文京シビックセンター 4階区民ホール
【住所】文京区春日1-16-21 Tel:03-3812-7111
【アクセス】
(後楽園駅徒歩3分、春日駅直通、水道橋駅徒歩8分)
【参加費】300円(週間講義を受講した学生、賛同団体関係者は無料) 
【お申し込み】 日本国際ボランティアセンター(JVC)
 Tel: 03-3834-2388 Fax: 03-3835-0519
 E-mail: jvc-jer@ngo-jvc.net  担当:藤屋


★『パレスチナ週間』講義一覧

今回の『パレスチナ週間』の趣旨に賛同してくださった大学の先生方が、
ご自身の講義をこの『パレスチナ週間』の一環として位置付けてくださ
っています。
大学の数は13、講座数は27になります。


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2007.06.03

スークJARAへようこそ!

Souk_jara

イスラーム諸国は金曜日が休日なので、ここヨルダンでも公共機関や
銀行などは金曜・土曜の週休2日で、新しい週は日曜から始まる。
こちらのペースで金曜・土曜に休んで、日本が休みだからと日曜も
合わせて休んでしまうと週休3日になってしまうので、さすがに
そんなに休んではいられない。

いずれにしても、金曜日はこちらの人と会う約束は全く無しにして
休むようにしている。

金曜の休日と言えば、青空市場が開かれる。
そんな青空市場の中で最も新しいのが、私のアパートのあるジャバル・
アンマン地区で開かれている『スークJARA』だ。

スークとはアラビア語で市場のこと。
常設であるダウンタウンの市場や、バスターミナルで金曜ごとに
前から開かれているアブダリのスークとはちょっと違うのは、
この『スークJARA』は日本式に言えば「期間限定イベント」で
あることと、地域の振興を狙っていたり観光客目当ての部分もあって、
ちょっとおしゃれなところだ。
この5月から毎週金曜日、10月までの期間限定開催になっている。

JARAとは、日本語で言えば「ジャバル・アンマン地域居住者協会」
という地元の振興を狙った団体名を英語表記して、頭文字を取ったもの。

地元の振興と言っても団体名を英語表記していたり、この団体と協賛で
地元で開いている店がイタリア風のカフェだったりするので、富裕層か
観光客を対象にしているという感じがやはりする。

さて、実際にこのスークに足を運んでみる。
他の市場が日用雑貨品を中心とした品揃えなのに対して、ここでは
アクセサリーや土産物、絵画や刺繍製品などを売る店が揃っているのが
特徴的だ。

Photo_3


また、こちらにしては珍しいと言っていいと思うのだが、地元のFM局の
キャンペーンで、缶などのゴミを捨てない様にとのキャンペーンも
やっている。

スークのど真ん中には飲食店の立ち並ぶ一角があるが、そこの
サンドイッチやさんもダウンタウンの庶民的な店とはひと味違って
欧米風のおしゃれな飾りつけをしている。
それでもそんな一番奥に、自家製の惣菜パンを売る店があって、
家庭的な雰囲気にちょっとほっとしたりする。

KIDSコーナーがあって子どもたちの遊び場が用意されていて、
子どもたちの顔に塗装を施してみたりする遊びがあるのも
こちららしい。少子化社会の日本と違ってこちらはこどもたちが
多いし、何よりこのようなところに出かけるのも家族連れが
当たり前の社会でもある。

さて、店の中には自然食の店があったり、パレスチナの農産品を
売って、イスラエルの占領下パレスチナの人々の生活を支えよう
というキャンペーンの出店もあったりする。
全体的におしゃれな雰囲気なので、日本で言えばアースデーの
代々木公園での出店を見ている雰囲気になる。

200ほど続いた出店の奥にはライブステージが用意されていて、
夜8時からはライブバンドの演奏があった。
バンドもアラブ伝統音楽ではなくて、若者が欧米のブルースや
ロックを演奏していた。
一番拍手喝采を浴びていた曲が『壁をぶっ壊せ』というのも
ここではパレスチナのことを考えると意味深である。

最終的に私が店で買ったのは、イラクの国の形を模った
携帯電話ストラップ(お値段は1ヨルダンディナール
=約180円)だった。
イラクにちなんだ製品も少なくないのは、やはりこの国にも
イラクからの難民が来ている影響と言えなくもない。

しかし、後日、この携帯ストラップを見せたヨルダン滞在中の
イラク人の知人のひとことは忘れられない。
彼はこのみやげ物を譲ってくれと言って、更にこう続けたのだ。

「僕自身は金曜のスークに買い物にも行けないんだ。
 どこで警察の職務質問に会い、ヨルダンの滞在資格を問われて
 強制退去の処分を受るかわからないからだ。
 強制的に出国させられたら、地獄のイラクに帰るしかない。
 そんな目には会いたくないから、僕は特に金曜日は外出せずに
 家にじっとしているんだ。」

僕らのような外国人や観光客目当てにイラクを模った製品を売る
華やかな金曜スークの一方で、イラク人にはこのような現実が
あるのだ。

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