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2006.02.23

シーア派「アスカリ聖廟」爆破事件(サマラ)

BBC02222
<事件を報じるBBCの放送>

イラクの首都、バグダッド北方125kmに位置する人口約20万人の街、
サマラはアッバース朝の首都であった時期、849年から851年にかけて
建設された螺旋状のミナレットで有名な都市です。

Samarra

この都市を州都とするサラハディーン州はスンニ派の住民が多く、
スン二三角地帯の一角として米軍による攻撃も激しかった場所とも言えます。
しかし、一方で、この街にはシーア派の10代、11代、そして最後の第12代
イマームの聖廟があり、シーア派の人々がこれらの聖地を守っていました。
この22日、第11代イマームのハッサン・アル・アスカリの聖廟がイラク内務省の
制服を着た武装勢力の襲撃を受け爆破され、黄金のドームが崩壊しました。

golden_dome
<破壊前の聖廟の模様を流すシャルキーヤTV>

これを伝える報道は、またしても「シーア派とスンニ派の宗派対立」や「内戦」を
懸念することばが踊っています。
確かにそれらが懸念されるのは本当のことで、現にアスカリ聖廟の爆破事件に
対して激しい抗議デモが起き、スンニ派もすくが報復攻撃を受けるという事件が
起きています。

しかし、聖廟破壊への抗議を信者に呼びかけたとするシーア派最高権威の
アヤトラ・アリ・シスターニ師にしても、暴力行為を回避するように訴えています。
タラバーニ大統領筋から「内戦」を懸念する声が出たり、シーア派強行派の
ムクタダ・アル・サドル師が報復行動を示唆する声明を発表したりしているのも
事実ですが、報道に煽られていると、冷静に対応すべきところが本当に危ない
ことになってしまいそうで心配です。

ジャファリ首相は22日から3日間を国民的な服喪期間に定め、冷静な対応を
訴えています。

Demo0222
<服喪を表す喪章を表示したアル・バグダディーヤTVの画面に映る抗議デモ>

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2006.02.22

【講演会】イラク小児がん治療の現状

あと数日になりましたが、以下の通りイラク人医師を招聘しての講演会が
予定されております。よろしかったら足をお運びください。
私自身は現場滞在ゆえ、講演会には参加できずとても残念です。

イブラヒム医師は今回の日本訪問をとても楽しみにされていて、
本日、張り切ってヨルダンから日本へ向かう旅路に着かれました。


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□      ■イラク小児がん治療の現状■      □
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□□□□□□□□□イラク人医師を囲んで□□□□□□□□□

イラクに臍帯血バンクを作りたい。
増え続ける白血病の子どもたち、もし、自分が生まれたときの臍帯血を
冷凍保存していれば、それを移植すれば助かる可能性が高くなります
赤ちゃんとお母さんをつなぐへその緒には血液が流れています。
これをさい帯血と言います。
赤ちゃんがお腹の中で生活している間中、栄養や酸素を送り続けます。
お産と同時にその役目は終わるため,出産後は捨てられてきていました。
しかし、この臍帯血が白血病などの治療に役に立つ細胞がふくまれて
いることがわかりました。これを造血幹細胞といいます。
もともと造血幹細胞は骨髄の中にたくさんあるので、白血病などの治療
には骨髄移植が行われてきました。そのために骨髄バンクという組織が
設立されているのは御存じのとおりです。
さい帯血の造血幹細胞も骨髄のものと同じ性質の細胞であることが
明らかになり、さい帯血移植が行われるようになってきたのです。
イラクでこのような技術が確立できると多くの子どもたちが助かるでしょう。

しかし劣化ウランなどがもし臍帯血に含まれていたら大変なことになるので、
どうスクリーニングしていくかもイラクの医学では重要な問題ですね。
今のうちから、医師たちが意見交換をしていこうと今回、イラクのがん治療の
重鎮、イブラヒム・ナシールさんを招聘することになりました。
短い滞在ですがぜひ、一般の皆様にも、イラクの白血病治療の現状、おそらくは
湾岸戦争のときから経済制裁でいったいどんな治療がされてきたのか、イラクの
小児がん医療の歴史といっても過言ではないイブラヒム医師のお話を聞いて
みませんか?
JIM-NETからは井下医師が同行し、わかりやすく解説してくれます。

イブラヒム・ナシール医師(69歳)
イラク唯一の独立した小児病院であるセントラル小児教育病院の創立
にもかかわり、ガンの専門家としてだけではなく小児科医として、
サダム政権下から非常に大きな働きをしてきた医師。バグダッド大学
医学部を卒業後、1970年代の初めにはアメリカやカナダで小児がん
治療を研究現在はバクダッド中央子ども教育病院 小児がん科部長。

■ 日時:2月25日(土)18:00 ~ 20:00
■ 場所:文京区民センター 2A会議室
■ 講演者:イブラヒム・ナシール医師
井下 俊 医師 (JIM-NET医療コーディネーター)
■ 参加費:500円

湾岸戦争後の経済制裁期からイラク戦争、そして今に至るイラクの
医療現場をつぶさに見てきたイブラヒム・ナシール医師の現場から
の声を聞くことで、あらためて私たちにできることを考えてみる
良い機会になると思います。お忙しい中とは存じますが、ぜひ
ご参加くださいますようご案内申し上げます。(イブラヒム医師の
写真等はJIM-NETサイト、CADU-JPサイトをご覧ください。)

■ 問い合わせ:JIM-NET事務局
          TEL: 0263-46-4218/FAX:0263-46-6229
         E-mail: info-jim@jim-net.net

共催 JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
    CADU JP(劣化ウラン廃絶キャンペーン)
    イラク・ホープ・ネットワーク

協力 PEACE ON 
    日本国際ボランティアセンター(JVC) 


【長野県松本市でも開催!】

2月27日(月) 午後6時~8時
長野県松本市勤労者福祉センター
参加費:無料 

主催:JIM-NET
    JCF(日本チェルノブイリ連帯基金) 
   原水禁松本地区協議会
問い合わせ:JIM-NET (TEL.0263-46-4218 / Fax.0263-46-6229)


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2006.02.18

人道支援にふさわしい組織かどうか?

sdf_japan

ふとイラクの衛星TV局「イラキーヤ」をつけると、そこに映っていたのは
なじみのある日の丸の国旗をつけた部隊だった。
「自衛隊」と言うが、どう見てもこの様子では軍隊にしか見えない。
戦争状態のイラクでは武装していないと自分たちの身を守ることが
できないし、人道支援のためにふさわしい組織として派遣されて
いるのだという説明をたびたび聞かされて来たが、しかし
本当に人道支援にふさわしいのは、武装した組織ではないだろう。
武力で身を守る発想は相手を敵として見ることでしかなく、
相手を敵と見ることは、人道支援基本的に相容れない発想だと思う。
自衛隊は何と説明しようと武装した組織であり、こういう組織を
諸外国では「軍隊」と呼ぶ。

このニュースを見た後に、ヨルダン在住のイラク人に会った。
彼曰く、日本の自衛隊もこれからイラクから撤退するのだろうと言う。
3月に撤退開始、5月撤退完了の見込みがもうイラクでもニュースで
伝えられている様子だ。

しかし、この撤退にしても、もともと駐留目的が人道支援と言うなら
支援を受けるイラク側の都合で決まるべきところ、どうもそのような
話は聞かない。
ならばもともと居た理由は何だったのか?
そもそもの駐留の目的だと言っていた「人道復興支援」が建前に
過ぎなかったことを示してはいないのか。
すっきりとした説明が聞きたいと思う。

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2006.02.14

ヨルダンのバレンタインデー(その2)

Valentines01

今度は別の花屋さんに行ったらもっと飾りが賑やかだったので
この店に入ってみました。
このお店は花屋さんなのですが、金魚も売っています。
金魚のお値段は小さいもので0.5ヨルダンディナール(80円
くらい)から大きいものでは2ヨルダンディナール(330円くらい)
です。
お花はひと束で安いものでは33円からあるそうです。
花はちゃんとヨルダン国内で栽培しているのだそうです。

Valentines02

さて、イスラムの国なのにバレンタインデー?という質問に
店のおじさん曰く、
「そりゃ、そう言われれば、イスラム的にはちょっと違うわな。
 しかし、商売には流行も追わなくっちゃ!」
という具合のお話しでした。

日本ではバレンタインデーと言うと、女性が男性にチョコを
贈る日ということになっているようですが、こちらでは(と言うか
欧米では?)チョコレートに限らず、また、贈り物をするのも
女性から男性とは限りません。
むしろ男性から女性に贈り物をするという感覚の方が強いです。
このお店に他にプレゼントを探しに来ていたのも若い男性。

「あんたも恋人かどなたかに買って行かないのか。奥さん
でもいいし、前の奥さんでもいいよ。」と店長に声をかけられて
からかわれたのは他ならぬワタクシでありました。

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2006.02.12

ヨルダンのバレンタインデー

イスラム国のヨルダンですが、花屋さんや化粧品などのお店、
主に外国製品を扱っているスーパーなどでバレンタイン商戦が
花盛りです。
必ずしもキリスト教国と言えない日本でクリスマスセールスが
盛んなのと同じような感覚の様にも見えます。

Valentine

そう言えば、電飾を売る店でもラマダンが終わると
(イスラムのシンボルの)月や星の飾りを早々に片付けて
翌日にはクリスマス用のツリーの形をした電飾を売り始めるなど、
商魂たくましかったことを思い出します。

昨年の2月14日はイラク・ヨルダン国境の難民キャンプを訪問して
いました。国境管理の事務所で待たされている間に、待合所に
置かれていたTVがベイルートからの速報として、レバノン前首相の
ラフィック・ハリリ氏の爆殺のニュースを伝えていたのを思い出します。

その後のレバノンからのシリア撤退など、この1年の間に起こった事とは
信じられないほどのめまぐるしい変化です。

*バレンタインデーにちなんでJIM-NET(日本イラク医療支援
  ネットワーク)
では、募金を下さった皆様にバレンタインチョコを
提供するキャンペーンを展開中です。
  皆様ご支援、ご協力のほどよろしくお願い致します。

  vt18


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2006.02.11

イラク国民議会選挙、開票結果の最終“確定”発表とは?

2月10日(確定)発表の模様(アルジャジーラの画面より)
Kakutei



イラク国民議会選挙、開票結果の最終“確定”発表とは?

2月10日午後、BBCの衛星放送でTVニュースを見る。
トップは相変わらずムハンマド風刺画に対する抗議行動の件だ。
その後にいくつかニュースが続いた後に、イラク国民議会選挙の結果発表が
あった。
一瞬、1月20日の報道の再放送かと目を疑った。しかし次に続くニュースは
オリンピック開催の当日になっても会場準備に忙しいトリノからの中継で
あったので、最新ニュースであることに間違いはなかった。
1月20日の発表とこの2月10日の発表の違いを理解するのに時間がかかった
のは私だけだろうか。
共同通信の記事ではこれを最終開票結果の“発表”(1月20日)と“確定”
(2月10日)と言葉を使い分けていたがこれでもわかったようでいて、良く
わからない。

JAN20Result
(1月20日の発表:BBC Worldの画面より)

FEB10Result
(2月10日の発表:BBC Worldの画面より)
<表記の仕方が多少異なるだけで結果は1月と同じ>

1月19日の段階で投票に関する異義申し立てを審査した国際選挙監視団の
発表があり、受け付けた2000件ほどの疑問に対して実際に開票結果に影響が
あり得るのは50件余りであったが、しかし最終的に選挙は公正に行われたと
判断できるとしていた。
これを受けて翌20日の最終開票結果発表に踏み切ったものだと思っていた
ので余計にややこしい。
謎が解けたのは独立選挙管理委員会のホームページ
(The Independent Electoral Commission of Iraq)を見てからだった。
このページはまだ1月20日の内容からほとんど更新されていない状態なの
だが、1月20日の開票結果発表を”未確定“の最終結果としている。
1月の時点で最終結果として票数まで発表されているのだが、その後、
協議の上、議席数を”確定“させるに至ったのがきょうの発表と言うわけ
だった。

しかしそうは言っても未確定としながらも1月の段階で各党派別の議席数
まで既に発表されている。きょうの確定結果を見ても結果が覆った訳では
ないし、既に与党第一党の統一イラク同盟も単独過半数を取るに至らな
かった結果を受けて既に他の会派との連合をもくろんで、幅広い党派の
参加を得た「挙国一致」ならぬ「国民融和」政権を作ろうとして動き出して
いる。

ともあれ正式にはこの2月10日の最終結果”確定“を受けて政治プロセスが
動き出すことになる。
まずは15日以内(2月25日まで)に議会を召集し、その後30日以内
(3月末?)に大統領と副大統領を議会の協議で選出し、さらに15日以内
(4月中旬?)に首相候補の指名となる。
これでまだ終わらない。首相候補者は30日以内(5月中旬?)に組閣
名簿を議会に提出し、議会承認を待って政府が成立することになる。
こうして先読みをしてみてもまだ先が長いことがわかる。
しかし早くも有力な首相候補の名前が取り沙汰されている。
(有力だとされる4名として
 1.現首相のイブラヒム・ジャファリ氏(アッダワ党)
2.イラクイスラム革命最高評議会の
   アディル・アブドゥル・マハディ氏(現副大統領)
3.核物理学者のフセイン・シャフラスタニ氏
4.ファディーラ党のナディム・ジャビリ氏
などとする説もあります。)

イラク国内の知り合いに聞いたところでは、街の声としては、与党の中でも
比較的世俗派に近く、庶民寄りだとしてジャビリ氏の人気が高いと言って
いる。

*2月12日更新: 
 その後、第一党のシーア派「統一イラク同盟」では内部調整の結果、
 ジャファリ現移行政府首相の擁立を決めたとする報道が出ています。

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2006.02.10

アシュラ

イスラム暦新年10日目、今年は西暦では2月9日がその日に当たり、
聖地カルバラを中心にシーア派の祭事「アシュラ」が執り行われています。

karbara2006-2
(写真はイラクの衛星TV局、シャルキーヤの画面より)

(調べてみると、こんな風に解説されていました。)

イスラム教シーア派の第3代イマーム(指導者)フセインの非業の
死を悼む同派最大の宗教行事で、毎年アシュラ前後には盛大な
哀悼行事が行われる。
街頭パレードでは男性が刀で自分の体を傷つけたり、鎖で背中を
打つなどして、フセインへの共感を表しながら行進、宗教感情が
非常に高まる。
もとはイスラム暦の1月10日を指す語で...

この祭事はサダム・フセイン時代には禁じられていたこともあって、
前政権崩壊後復活してからより盛大に行われるようになったとも聞きます。
イラクの衛星TV各局もこの模様を伝えています。
この祭事を狙っての爆破事件を警戒して、今年も警察は厳戒態勢で、
巡礼者のボディーチェックをする模様もTV映像で報じられていました。

幸い、9日はイラクでは大事なかったようですが、パキスタンでは
爆破事件が起きてしまいました。
宗派の対立を扇動しようという動きなのか、悲しい限りです。

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2006.02.09

砂嵐のち雪

さて、砂嵐の中を自宅アパートに帰り着いた後からは風が強くなり、
我が部屋の窓は強風に叩かれ通しの嵐の一晩になりました。
さて、9日の朝になり目覚めてみると外の風景が普段と違うと思ったら
街がうっすらと雪化粧していました。
さすがに侮れないイラク人。知人の予報はぴったりと当たり、昨晩の
うちに雪が降ったのでした。

cars_in_snow

写真でごらんの通り、日本の感覚では大した降りではないように
見えますが、何しろ普段は雨でさえ備えがほとんどないところなので、
アンマンではこれだけでも大変なこと。
小学校は臨時休校になるは、両替をしようと訪れた近くの銀行の
支店では、その日は現金の取り扱いは中止になるなどの影響が
ありました。
(交通がマヒして現金輸送車が来れなかったらしい)、
某国連事務所で予定されていた会合も出席者の足の確保が
怪しくなり、急遽中止になるなど散々な結果でした。

もっと困ったのがバグダッドからアンマンに飛行機で来る予定
だった知り合いのイラク人で、飛行機に乗ろうとバグダッド
国際空港まで行ったところで今回の悪天候の影響で飛行機の
運休を知らされても後の祭り。
おいそれと市内に戻れないので、ついには次の便が出る
明日まで空港で宿泊となりました。

何しろバグダッド市内の空港へ向かう道路は再三武装勢力の
攻撃にさらされる危険地帯なのでそう何度も往復する訳には
行かない。
しかもきょうはシーア派の祭事のアシュラの日に当たるので、
聖地カルバラはもとより首都バグダッドもテロ攻撃に対する
厳戒態勢で幾重にも検問所を設けている状態なので、余計に
移動の自由が利かないと言うわけなのです。

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晴れのち小雨、そして砂嵐?

こちらに在住の長いある日本人によれば、
「うららかな日和が、一転して嵐に変わる」
と言うのが典型的なアンマンの冬にふさわしい天候だと言います。

この8日がまさにそのような天気の変わりようで、
朝から暖かな陽気でこれならもう春だと思っていたら
午後には一転して曇り空になって冷え込んで来て、夕方からは
小雨交じりになると言った具合。
アンマン在住イラク人の知人と夜から打ち合わせの約束があり、
備えて待っていたら電話があり、今夜の打ち合わせの予定を
延期したいと言う。理由はこれから雪になるからだとのこと。
確かに冷え込んでは来たものの、雪になることを心配するほどの
雨の降りでもないので、ずいぶんと用心深いことだと苦笑する。
それではと待ち合わせに備えて近くまで来ていた外出先から
家に帰ろうと外にでると、雨に当たった車がずいぶんと汚く見える。
良く見ると雨で濡れた上に砂が吹き付けられての汚れ。
雪を心配する前に砂嵐が先にやって来たという訳でした。
(この話は先に続きます)

Sandstorm0208

ちなみにこの細かい砂にやられ易いのがパソコンなどの精密機器。
どうも中東に持って来たパソコンの調子が悪くなるのが早く、
この3年は毎年のようにパソコンを変えています。
(正確に言うと、毎年ハードディスクを交換しています。)
この1月末にも一度パソコンがダウンしていました。
以前にデータを全部使えなくする苦い経験をしているので、今回は
日本出発の段階で用心のためにバックアップを取ってあったので、
これが効果を発揮し、バックアップ時点までのデータは復旧できました。
毎度これでは困ったものです。

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ムハンマド風刺画事件の波紋

ムハンマド風刺画事件の件はさらにイランやアフガニスタンをはじめ
各国での抗議デモが活発化する一方で、フランスなどで改めて
言論の自由を主張しつつ絵が再掲載されるなどして問題が広がって
いると聞きます。
私自身は先に書いたように、表現の自由は認めつつ、同時にそれには
責任が伴うので、他者の信仰を冒涜すると思われるような表現については
自ずと節度が必要だと考えています。その節度は表現者が判断すべきで、
政府が決める筋合いのものではありませんが。

しかし、事の始まりとなった風刺画の新聞掲載の経緯と、今回なぜ問題に
なったかを振り返ってみると、事はそれほど単純な話ではないことが
わかって来ました。

これについては、村上龍氏の主宰するJapanMailMediaにて最近配信された
デンマーク在住の高田ケラー有子さんの論考が非常に示唆に富むものでした。
デンマーク社会の中にはもともとイスラム系移民の文化を尊重する考えが
あること。
一方でこの国をはじめ西欧社会の中の表現の自由の観念もまた強いこと。
絵が掲載されるに至った経緯の中で、表現の自由に対して冒険的な
試みがあったことは事実にせよ、しかし当初は容認できる範囲内であると
考えられていたことなど、当初からイスラムの信仰を冒涜する考えはなかった
ことが書かれており、しかしその上で何故、今この件が問題となるのかと
考えた場合、悲しむべき結果であるが問題にしている方も事を必要以上に
大きくすることなく冷静に対応しなくてはならないという思いが伝わってくる
ものでした。

陰謀話がお好きな方々の間では、今回の件もCIAが仕掛けたのではという
話が出回っていることも聞いていますが、話がそこまで行ってしまうと
真偽のほどは何ともいえません。

私自身は今はイスラム世界の中に居て、ムスリムの人々の反応を直に聞く
立場にあるので、やはり自分たちの信じるもの、大事にしているものを
汚されたという思いの方がより直接的に胸に響いて来ます。

ヨルダンも引き続き抗議デモが行われ、不測の事態に備えて、デモ会場の
近くに事務所を構えていた国際NGOはスタッフを一時退避させるところも
出て来ていました。

夜に自宅アパートに戻る途中で乗ったタクシーの運転手は、今夜はこれから
午前1時まで仕事だ。最後の仕事はデンマーク人のお客さんを空港に送って
行く仕事だと言った後に、「やはり今回の件はけしからん、ヨルダンの
ハシミテ王家も先代のフセイン国王はムハンマドに連なる家系なので、
今回のことは悲しく思う」と言っていました。

こうした反応も理解しつつ、しかし事実を冷静に見極める必要もあるのだと
今回の件を見ながら考えています。


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2006.02.06

「表現の自由」の名の下に信仰を冒涜することは許されない

昨年デンマークの新聞に掲載された預言者ムハンマドの風刺画がイスラムを
冒涜するものだとしてムスリムの人々の怒りを買っている。
最近になってノルウエーで掲載された上、さらにフランスと欧州各国で転載
されてそれが火をつけた形だ。

中東では、パレスチナ・ガザ地区での抗議行動、イラクでの抗議行動が報じ
られていたが、4日のシリア(ダマスカス)、5日のレバノン(ベイルート)の
抗議行動ではついにデモ隊がデンマーク大使館に放火する騒ぎとなった。

ここヨルダンでも週末に抗議デモが行われたほか、市内の外国製品を扱っている
スーパーではデンマーク製品のボイコットが行われている。
(ヨルダン紙にも問題の風刺画が転載されたようで問題になっている。)
boycotted

抗議行動が暴力に発展するのは好ましくないが、ムスリムの友人の話を
聞いてみると、怒りの大きさは良くわかる。

問題となった風刺画を掲載した新聞社は表現の自由を主張し、デンマーク政府も
表現の自由の観点から取り締まりまでは行っていない。これが却って怒りを
あおる結果になっている。確かに政府が表現を取り締まるようになっては困る
ので、そういう意味では政府の対応は正解と言える。
しかし、表現の自由を主張する側にも責任があるはずであるし、異なる宗教や
文化を尊重する感覚が無くてはならないと思う。
それなくしては表現に共感は得られないし、最終的に取り締まりによって自分の
首を絞めて表現の自由を狭める結果にならないだろうか。
今回の件では日本は関係していないが、他山の石としなくてはならないだろう。

イラクではデンマークのNGOもノルウエーのNGOも、そしてフランスの
NGOも熱心に支援活動をしていたのを見ているだけに、今回の件でこれらの国が
イメージダウンしたとすれば残念に思う。

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2006.02.04

事故で亡くなる命、そして生かされている私たちの命

サウジからエジプトに向かって紅海を渡るフェリーが沈没し、
多数の犠牲者が出ている模様が報じられている。
日々、イラクでの悲しい事件の連続に接していると、
ともすればひとつひとつの命の重さを報道の「○○人」という
数字で計る錯覚に陥りがちになる。
今回の事故で亡くなった人々の多くはエジプトからサウジへの
出稼ぎ者で、帰省の途中であったとも聞く。
嘆き悲しむ家族の模様を報じるTV画面を見つつ、ここで失われた
命のひとつひとつの重さを感じ、そして、そういう出来事が世界の
中である一方で、”まだ”生かされている自分たちの命の重さも
感じる。

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2006.02.02

米国、イラン、アフガニスタン

米国時間31日(火)の米国大統領の一般教書演説(State of the Union
Address)が行われたのはこちらの時間帯では2月1日の午前にかかる
夜中の時間帯。
Bush06

そういうわけで、結局このスピーチ生で聞く機会を逃してしまったのだが、
それから1日も経たない1日の午後に生で聞くことかになったのは、イラン
大統領のスピーチだった。
IRAN06

折りしもイスラム暦の新年の直後で、イランの国教とも言えるイスラム教
シーア派の祭事”アシュラ”のための巡礼が始まり、聖地カルバラ
(イラク国内)を中心に盛り上がる時期に当たるので、イラン大統領の
スピーチも、もともとはこれを意識してこの時期に合わせていたはず。
しかし、内容的にもタイミング的にも、イランの原子力開発を核兵器の
開発だとして牽制する米国に対して、自国の正当性を主張する場になり、
この半日の間に非難の応酬が繰り広げられた形になった。
このイランの原子力開発を巡りIAEAの対応と、国連安保理事会に付託 
しようとする欧米の動き、そして当のイランの対応を見ていると、
2003年のイラク戦争に至ったイラクの大量破壊兵器の査察問題の
流れが思い起こされて落ち着かないことはなはだしい。

片やロンドンでは31日にアフガニスタン支援国会合が開かれ、カルザイ
大統領も出席のもと、経済支援を後押しすることがとり決められている。

9-11、アフガン攻撃、イラク攻撃、そして...?
この間の4-5年の時の流れの速さにめまいを覚える。

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サダム・フセイン裁判

saddam_court

<1日の法廷。サダムは出廷せず(イラキーヤTV画面より)>

29日のサダム・フセイン裁判の展開を受けて30日に書いた記事
”正義そのものが裁かれている”では、このタイトルが適切かどうかも
含めていくつか意見が寄せられました。
”正義”については、誰にとっての正義かによって解釈が分かれると
思います。そうしたあいまいさを残した点では不適切であったかも
しれません。

事実関係でもひとつ説明が不十分でありましたので、訂正します。
サダム裁判がイラク国内法で裁かれているのは、被告サダムが
大統領の時期に行われた非人道的な虐殺行為について、その
責任の有無を判断し、犯罪性を裁くための裁判だからです。
この裁判の正当性に疑問を差し挟むことによって、罪を免れようと
しているのはサダムの戦術であるとも言えます。
(このサダムの戦術とは別のところでこの裁判の客観性を問う
議論があるのも事実で、裁かれている”正義”として表現しようと
したポイントはそちらの方にあります。)

”戦争犯罪”がこの裁判で裁かれている訳ではないので、
ラムゼークラーク元司法長官の発言として引用した文脈以降の
表現が不適切、不十分であったことをお詫びします。

2月1日には引き続き審理が行われましたが、被告のサダムは
出廷しませんでした。弁護団も裁判長の審理の進め方に反発して
います。
この法廷の模様はイラキーヤをはじめ地元イラクのTV各局で中継
されていましたが、正確に言えば生中継ではなく、実際からは
20分程度の時差をつけての中継です。
証人の保護のために証人もカーテン越しに身を隠して尋問を受けて
いました。
saddam_court2

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