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2006.01.31

1月30日はイラクの祝日

ヨルダンは1月30日、31日と2連休になっています。
30日は現在のアブドゥラ国王の誕生日なので初めからわかって
いるのですが、31日の方はイスラム暦の新年の休日です。
こちらの方は暦によって判断するのか祝日になることが正式に
アナウンスされたのは結構間際になってからでした。
おかげで直前の日曜はこの日のうちに仕事を切り上げようと
言うわけか皆さん右往左往で街中が大渋滞で大変でした。
最近ヨルダンでは自動車が増えて渋滞しやすくなって来ている
という事情もありますが。
(ちなみに日曜は休日でありません。金曜がお休みで、新しい週は
土曜に始まりますから日本の感覚で”来週”の約束をする時は
曜日に気をつけなくてはいけません。平日は日曜から木曜までで、
官庁や銀行などは金曜と土曜がお休みです。)
私の場合、こちらに合わせて金曜日を仕事休みにして、
また日本のペースに合わせて土日まで休んでしまうと週休3日に
なってしまいます。
幸いにも(?)仕事が待ってくれていますからそんなに休むことは
ありません。

閑話休題、今日(30日)に用事があってバグダッドに電話すると
知人のBさんは「今日はこっち(イラク)も休みだよ!」と言っています。
明日(31日)が休みなのはイスラム諸国に共通なのでわかるとして
なぜ30日もヨルダンと同じく休みなのかと理由を聞き納得。
「選挙の記念日だよ」というのがその答えでした。
言われて見て気がついたのは、ちょうど1年前の2005年1月30日に
イラク移行国民議会の選挙が行われたということ。
もう1年経つのかという感慨もさることながら、その選挙の意味、
「民主化」された後のイラクの初の選挙の重さがあったのでした。
しかし、この「民主化」もカッコつきなのが問題でしょう。

今日アンマンで会って話しをしたバグダッド出身のイラク人の友人も、
「ヨルダンの西側(パレスチナのこと)の選挙では民主的な選挙が
行われたのにその結果(ハマスの大勝)に欧米諸国は不満足だ。
しかし一方でヨルダンの東側(イラクのこと)で12月に行われた
国民議会選挙の結果に一応欧米諸国は満足しているように
見えるけれど、イラク人の自分にとってはこの選挙はちっとも
民主的ではなかった。どちらを取っても問題だ。」と言っていました。

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2006.01.30

正義そのものが裁かれている

裁判が進めば進むほどドタバタ劇の度合いが上がっているように見える
サダム・フセインの裁判ですが、イラク政府側(そして米国側?)など
外からの介入に抗議するような形で裁判長が辞任したのを受け、
新裁判長に交代してからの初の公判が29日に開かれていました。
(アル・アラビーヤTVではこの模様をずっと中継していました。)

新裁判長のプロフィール(フセインに迫害された側のクルド人で
しかも虐殺で有名なハラブジャの出身だとか)とこの交代の経緯から
考えると予想通りと言えなくもない展開ですが、強権で裁判の
主導権を取って支配しようとした裁判長の進行に弁護団が反発して
退席し、被告のサダム・フセインも最終的には裁判長に抗議を
申し立てた上で退席するという波乱の動きになりました。

しかし、弁護団に加わっている米国の元司法長官のラムゼー
クラーク氏がどこかで言っていたことですが、この裁判は法の支配が
サダム後の新政府の手にあるところで開かれ、あくまでもイラクの
国内法で裁かれる裁判。
戦争犯罪をきちんと裁くのであれば国際司法裁判所などの正規の
国際法廷で裁く手続きを踏んだ方が良いのではないかとの意見を
どこかで聞いた覚えがありますが、まさにその通りではないかと
思います。

29日の裁判の模様を伝えるBBCのレポーターは
この法廷では正義そのもののあり方が裁かれているのだと言って
報告を結んでいましたが、名言だと思いました。

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2006.01.17

1月17日を迎えて

15年前の1991年1月17日に湾岸戦争が開始され、
イラクに対してアメリカの攻撃が加えられた。

当時の自分を思い出してみると、何と前からイラクとアメリカに
縁があったものだと不思議に思わずにはいられない。
私事ながら少し振り返ってみたい。

電機メーカーに勤めていた私は会社の海外研修制度で
3ヶ月間、アメリカに滞在する予定になっていた。
この研修の一環で国内研修として、年明け早々から英語の
トレーニングを受けていた時に戦争が開始された。
ここまではっきり覚えているのは、研修の中で英字新聞の記事を
題材にスピーチを行う課題が与えられていて、イラクへの戦争開始を
扱った記事でスピーチを行ったからだ。
しかし肝心のスピーチの内容を覚えていない。

また、当時の私の過ちは、これらの報道を信じていて、クウェート
侵攻を行ったイラクのサダム・フセイン大統領を悪者として見て、
懲罰を加えるためとクウェートの開放のためにイラクに攻撃を
加えることは当然と見ていたことだ。イラクへの戦争を支持することに
何ら疑いを持っていなかった。

そして当時の研修の成果として実際にアメリカに渡ったのが
1年後の1992年1月3日なので、湾岸戦争開戦後1年は
アメリカで迎えたことになる。
コロラドの田舎町に居たのでCNNや現地紙の報道で戦争を
振り返ることになったが、この時点でもこの戦争による被害者に
思いが及ぶことはなかった。
当時の主な関心はこの年に行われたアメリカ大統領選挙の
方にあった。
(民主党のクリントンがその年に大統領になった)

油を浴びた水鳥の写真や、クウェートの病院でのイラク兵による
非人道的行為などの証言が操作されたものであったことを知り、
メディアの報道姿勢に対する疑いを持つことはあったが、湾岸戦争
そのものは世界情勢記事のひとコマとして見ているに過ぎなかった
のだ。

ましてこの戦争で使われた劣化ウラン兵器による被害者の模様を
知ることになったのは更にずっと後のことになる。

その後、2003年のイラク戦争開戦の日をアメリカで迎えることに
なろうとは、そしてその現地に自分が足を運ぶことになろうとは
予想だにしなかったことだ。

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2006.01.16

今、ふたたびのアンマン

一時帰国のためにアンマンを離れたのが11月の上旬で、
ホテル爆破事件の起きた11月9日には日本に居りました。
それからかれこれ2ヶ月以上も経ってしまいましたが、
再びのアンマン滞在です。

amman_jan06

今回は日本滞在期間が長かった割には直前の日程が
過密になり、そのためか着いてみると日本からアンマン
までの旅程を短く感じました。
しかしそれでも家を出てからアンマンでの泊まり先へ
到着するまで、乗り継ぎのウイーンでの6時間待ちを含めて
丸々27時間が経っていました。

アンマンでは12月のイラク国民議会選挙の名残りもあって、
世俗派のアル・アラーウィ候補のポスターもまだ残っていました。

A-Poster

そして、これは11月のホテル爆破事件以後に貼られたポスターだ
そうですが、「ヨルダンはひとつ」のキャンペーンで、
これらの事件に動揺せずにヨルダンの国民は一致して対処するのだ
ということを表しています。

one_jordan

爆破事件から2ヶ月後とあって、現場になったホテルも何事も
なかったかのように営業していますし、私が到着した際の入国審査も
以外にあっさりしていて何も聞かれずに入国許可をもらえましたが、
それも表面上のことの様子。
アンマンの主だったホテルは玄関先への車の進入は禁止。訪問客の
手荷物検査と金属探知機による検査は徹底しています。

また、ヨルダンでも最近ガソリン代が値上がりした、タバコ代が
値上がりしたとの声が聞かれており、経済的にもなかなか楽な状態では
なさそうです。

しかし、そうは言いながらも来るたびに車が増え、渋滞がきつくなって
いる様に見えるアンマンです。

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2006.01.01

新年

明けましておめでとうございます。

2003年はクリスマスイブにアンマンを発って陸路バグダッドに行き、
そのまま2004年をバグダッドで迎えたことを思うとあれは何だったの
だろうかとえらく遠い昔のことのように思えて来ます。
その後、2005年も2006年もなぜか年越しを日本で迎えることができ、
有難いことです。

12月に国民議会選挙を終えたイラクもまだその選挙の最終結果が
発表されていない有様でこれからが正念場の年にもなります。

七転び八起きを願って今年の初詣では起き上がり小法師の
だるまを買い求めました。

Daruma

(年末年始はPCも持ち主もウイルスにやられて寝正月をして
 おりました。このためBlogも更新が遅れていました。)

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