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2005.09.26

イラク西部地域での緊急支援

本当はこのブログという場では、仕事を離れた話を紹介したいと
思っていますが、なにぶんNGO現地職員という仕事柄、仕事と
私的な時間の差が少なく、なかなかうまい具合に仕事を離れて
面白い話があるというものでもありません。

きょうはそのものずばり仕事の話です。
イラク緊急支援の呼びかけですが、「今そこにある危機」でも
なかなか事件にならないと注目されないので、困ったものだなと
思いつつ、しかしそこに危機がある以上、対応をするのが
知ってしまった者の務めでもあると思います。

タル・アファルは21日の時点で既に避難民の帰還が始まっていました。
しかし、その時点から次なる危機は始まっており、サマッラの近郊では
次の戦闘を避けて避難民が出始めていました。
そして、今回はラマディなど、ユーフラテス河流域の地域です。

支援そのものも大事ですが、強引な軍事作戦によって民間人被害者が
見込まれる状況の中で、作戦そのもをを止めて欲しいというのが
切なる願いです。


以下、JVCのHPにも掲載した呼びかけ文です。


軍事作戦により民間人への被害が出ないよう訴えます

10月15日に予定されているイラク憲法草案賛否を問う国民投票を前に、
イラク政府軍と多国籍軍はシリアから国境を越えて侵入する武装勢力の
拠点となる地域に攻撃を加え治安の安定を図るとして、イラク西部地域での
武装勢力掃討作戦を強化しています。

9月10日-14日頃にかけて展開された北部のシリア国境近郊の都市
タル・アファルでの作戦もその一環です。作戦そのものは既に終息したと
伝えられていますが、この作戦に伴って多数の避難民が発生し(イラク政府
緊急支援室発表の数値で一時は6600名以上)、イラク赤新月社をはじめ
人道支援機関の支援の手が差し伸べられました。一部の避難民の帰還は
始まりましたが、攻撃により家屋が破壊され、水や電気などの設備が
破壊されているので、生活の立て直しは困難となっています。
このように、軍事作戦が展開されるたびに、その地域に居住する
一般市民の生活に危害が及ぶことが繰り返されています。

イラク国防相のサドゥーン・ドレイミ氏は武装勢力への攻撃の手を緩めず、
タル・アファルに引き続き、ザルカウィグループの潜伏地であるとされる
イラク西部アンバール州のユーフラテス河沿いの街道の都市、村落や
抵抗勢力の拠点とされるサマラなどの地域での作戦展開を表明しています。
実際にこれらの地域からの一般市民の避難が始まり、空爆や小規模な
戦闘も既に始まっています。

私たちは昨年の10月以降のファルージャ一斉攻撃の際に、ファルージャ
総合病院や市内の診療所がいち早く攻撃の対象とされたことに衝撃を
受けましたが、その後、Premiere UrgenceなどのNGOによる現地調査の結果、
これらユーフラテス河沿いの都市でも戦闘が起きるたびに、抵抗勢力と
治安当局の双方の攻撃により医療機関が被害を受けていると報告されて
います。

地元のNGO関係者を通じて伝えられたアンバール州の行政当局(アンバール
再建室Anbar Reconstruction Room)からの支援要請によると、現地は
砂漠地帯で気候の変動が激しい地域ということもあり、各年齢層に共通して
抗生剤などの薬品の需要が最も高いとのことで、以下の要請を受けています。
(総額1万2千ドル相当、9月11日時点)

 クラフォラン (アンプル)   3,000本
 アンピクロックス (アンプル) 3,000本
 ボルタリン (アンプル)    2,000本
 アモキシリン(シロップ)    1,500本
 ケフレックス(カプセル)    2,000個
 ケフリックス(サスペンション、小児用)1000個
 包帯       患者400名分に足りる数

JVCでは、この支援要請に応えて緊急支援を9月19日より開始しました。
当面支援要請の3分の1に当たる4千ドル分の支援を計画していますので、
皆様からのご支援の募金をどうぞお願いいたします。

郵便振替: 00190-9-27495
   加入者名: JVC東京事務所
   通信欄: 『イラク緊急』とお書きください

これらの医薬品はバグダッド市内の保健省認定の薬局から正規に購入が
可能なので、地元のイラク人協力者の助けを得てバグダッドで購入の上、
アンバール州西部、シリア国境の都市カイム近郊の村落の診療所に配布します。

私たちはこれらの緊急支援を続けると共に、民間人が適切な医療を受ける
権利を奪い、人道的な危機を生じさせる医療機関への攻撃を行わないよう
紛争当事者双方に訴えます。

2005年9月25日

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2005.09.24

国境を越える人々に安住の地はあるのか?

22日にアパートの家賃を支払うついでに大家さんと
世間話になる。
ちなみにヨルダンの場合、借家の契約は長期契約で半年なり
1年契約が普通なのだが、私の場合、最初は短期のつもりで
あったこともあって、今も家賃は月払いだ。
私はアラビア語が不自由なので、家主と話す時にはアパート
住み込みの管理人のラシャードに同席してもらい、英語に通訳
してもらっている。

先月まで私の部屋を除いて他の6部屋がイラク人の借家人で
賑やかだったこのアパートも静かになったと思ったら、
ほとんどがヨルダンを出てしまったと言う。
危険なイラクを脱出してヨルダンに移民・難民として来ている
イラク人の数について正確な統計はないが、今は50万人とも
言われている。ヨルダンの人口が500万人なので、10人に
ひとりはイラク人になってしまう勘定だ。
しかし、ヨルダン政府のイラク人への待遇は良くない。
もともとヨルダンは産油国でもなく、独自の産業に乏しいので、
ヨルダン人にとっても求職は難しいのだが、ましてイラク人には
職がない。
社会保障で自国民でない人々を養えるほど豊かな国では
ないので、ヨルダン政府の方針としては厄介者になるイラク人には
長く滞在して欲しくないのが本音のように見える。
ヨルダンの新学期は8月28日頃から初まっているのだが、ヨルダンに
長期滞在の資格を持たない子どもたちはヨルダンの学校で教育を
受ける機会が与えられない。これは公立、私立を問わず全ての
学校で公の教育はういうことになっているのだと言う。
既に1年ほど前からそのような規定になっているらしいのだが、
とりわけこの新学期のなってこの規制を政府が強めている。
アラブの人々は子だくさんで、どの家にも学齢期の児童がいるのは
普通だ。
移民・難民の人々も例外でなく、家族ぐるみでイラクから逃げて
来ている人々も多いのだが、教育を受ける機会が奪われてしまうと
この国に長く居ることができない。
そんな訳でアパートにいたイラク人の住人たちも、本当はヨルダンに
もっと長く滞在したいのだがと言いながら去っていったという。
ある者はイラクに帰ったが、もともと危険があるからイラクを
出て来た人々だ。帰るに帰れない人々の多くはエジプトに行ったと聞く。
エジプトの場合はヨルダンほど滞在が厳しくなく仕事の機会もあり、
子どもの教育の機会も与えられているのだと言う。
私の部屋のひとつ下の階の一家もイラクで住んでいた家を売り払った
元手でエジプトで車を買い、タクシードライバーをしているのだと言う。

そういう話を通訳してくれた管理人のラシャードもスーダン人で、
もともとのヨルダン人ではない。
2歳とまだ赤ん坊の二人の子どもが学校に行く年齢になったら
スーダンに帰って教育を受けさせたいと言う。彼の場合、ヨルダンで
教育を受けさせることも可能なのだが、子どもの将来を考えたら
やはり自分の国が一番だと言う。しかしそのスーダンも政情不安定な
国だ。
彼に言わせれば、今の政府の高官は政府のイスが欲しくてしがみ
ついているだけの人々で、そのためなら殺人でも何でもするのだと言う。
話を聞きながらどこかの国の政府も似たようなものだと思う。
ラシャードにも母国は安住の地ではないようだ。

アルジャジーラの報道によれば、閉鎖中のシリア国境でイラクに帰れず
辛酸を舐めているイラクの人々がいると伝えられている
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/15C433A0-CF95-4921-910B-E90B793AA6E6.htm
国境を越えても、越えられなくても苦しむ人々がいる。

そしてそんなことを考えていると、私の携帯電話が鳴った。
日本からの国際電話の主はキリスト教に改宗して難民申請中の
イラン人のAさんだった。彼は日本で難民申請中のところが認められず、
強制退去処分を受けて収容中のところを面会に行って知り合った。
声が明るいと思ったら、収容が解けてとりあえず仮放免の状態に
あるという。
収容が解けたこと自体は喜ばしいことだが、彼もまた国境を越えて
安住の地を求めるもののひとりだ。

携帯電話をかけて来る主にはもうひとつ、イラク=ヨルダン国境の
無人地帯に身を寄せているイラン系クルド人を中心とする新たな
イラク難民の家族もいる。
今年になってから来た家族200名近くが難民キャンプに入ることも
できずに辺境の地に置き去りにされている。
国の方針が変わらない限り、彼らが積極的に受け入れられる
保証はない。
国境を越える人々に関わりながら、それぞれに幸あれと願いながらも
私の力の及ばない限界を知り、嘆息することも少なくない。
そういう自分もここでは外国人だし長期滞在の資格を持たない。
いつお互いが逆の立場になってもおかしくないのだ。

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2005.09.19

イラク憲法草案やっと完成?

イラク憲法の草案がやっと出来上がり、18日(日)に
国連に提出されたと報道されています。
え?8月28日に国民議会で草案は承認されてなかったっけ?と
思われる方も少なくないと思いますが、細かい文言の修正に向けて
交渉がまだまだ続いていた訳です。
何で今になって国連に提出かと言うと、10月15日の賛否投票の
判断材料となる最終草案の印刷を国連が行い、500万部を刷って
配布する段取りになっているからです。
新聞報道では、最後まで争点となったのは連邦制に関する部分で、
クルド自治政府と同程度の自治の独立性を南部のシーア派地域に
認めると国が分裂するとして主にスンニ派が反対している部分です。
このほか、大統領の権限に関する部分、イスラムを国の基本と
するか否か(”唯一の法”という表現)という部分が争点だと言われて
います。
イラクがアラブ諸国に含まれることも、自明なはずなのですが、
元の草案にはなく、スンニ派の提言で復活したと聞きました。
しかし、一方で、その前の草案にあったものが削られているとの
指摘も上がっています。

第44条:  全ての個人はこの憲法の趣旨と規定に反しない限り、イラクの 締結した国際人権上の条約及び規約に言及された権利を享受する 権利を有する。
(8月24日付け草案の英文訳より試訳したもの。 要するに国際人権規約を含む、国際法上の人権保護条項を尊重する 規定です。)

この条文が削られたと聞いています。
削られた理由として、現在の治安状況を考慮して、国家安全保障と
治安維持のために国際法上の個人の人権に制約が加えられることも
やむなしという判断があるのではと推測されており、これによって
人権保護に問題が出ることが懸念されます。

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時々刻々(番外)

シリアスな話ばかりが続いていますが、こんな話もあるということで。

9月16日(金)
金曜はイスラムでは休日なので、アパートの自宅で片付け仕事中。
午後1時台に何となくTVをつけると、アル・ジャジーラでどこかで見た
覚えのあるドキュメンタリーフィルムを上映している。
何だったのか思い出すのに少々時間がかかったが、何とマイケル・
ムーア監督の「華氏9-11」を全編放送中だった。
後でヨルダン人の知り合いに聞くと、「また夜の12時にやるよ、
きょうは2回放送だ!」と言う。
ぜひともこれを見たイラクの人々の感想を聞いて見たい気がする。

9月17日(土)
講演と研修で招待され、日本に向かう途中のバスラからの
医師3名がアンマンに到着。
今回はバスラーバグダッド、バグダッド-アンマンと飛行機の
乗り継ぎで到着されたということなのだが、何とバグダッドー
アンマン間は立ち席だったと言う。
飛行機の立ち席など今まで聞いたためしがないのだが、
本当に本当だと真顔で言われた。
何でも飛行機会社のオーバーブッキングなのだが、
乗せないことには乗客をさばき切れず、残った乗客は
治安上最も危険な道だとも言われているバグッド市内への
道を引き返す訳にも行かず、次の便まで空港泊まりになる
こともあると言うわけなので、言わば非常手段ではある。
しかし、バスではあるまいし吊り革があるわけではない。
離着陸の時にどうするのか聞いたら、近くの座席にしがみつく
のだとこれまた真顔で言われた。笑うに笑えない。
その医師曰く、バスラは治安はバグダッドに比べればまだましな
方だと言うものの、相変わらず停電があり、3x3(3時間通電、
3時間停電)になって、これでも少々前に比べれば「改善された」
とのこと。
ごみ収集も行われないので市内は汚れ放題だとか。
夕食をご一緒させていただきながら、こんな大変な話を聞いた
のだが、食後には「アイスクリームを食べたい」と長老格の
先生がおっしゃる。そういうわけで大の大人、しかも全員男性が
アイスクリーム屋さんに繰り出すことになった。
そう、アラブの人々は甘い菓子が大好きなのだ。
こんなお茶目な面もあることも知って欲しい。

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2005.09.18

時々刻々

ta_camp
<イラク赤新月社が設置したタル・アファル郊外の難民キャンプ。
 テントはトルコ赤新月社の提供。
  イラク衛星TV局シャルキーヤの画面より。(9月13日)>

タル・アファルの件について書いて以来、おかげ様でこの
Blogのアクセスも増えている。
タル・アファルの件は多くの皆さんに知って頂きたかったので、
しばらくトップにしておき更新が遅れていたが、この間にも
連日のように出来事は起こっていたので、簡単にコメントして
おきたい。

1)日本の9-11選挙の感想
 =>内政、外交の主要課題を争点にせず、郵政改革一本に絞り
   改革か守旧かという単純二元論に持ち込んだ小泉自民党の
   イメージ戦略の勝利か。
  (テロリストの側につくか平和を愛する諸国の側につくかとの
   二元論に持ち込んだ2001-9-11後の米大統領の演説と
   妙な共通点を感じる。)

2)タラバー二大統領訪米、ブッッシュ米大統領と記者会見(9月13日)
 =>ブッシュ大統領はイラクへの武装勢力の関与を許しているとして
   シリアを非難。タラバー二大統領は多国籍軍の駐留がイラク治安
   維持に当面の間必要であるとして、多国籍軍の撤退時期を明言
   せず。

3)国連2005ワールド・サミット(9月14日-16日)
 =>軍縮や国連改革で目立った成果が出せず。
  「対テロ戦争」の名の下に安全保障対策が先行か。

4)首都バグダッドで、攻撃による一日の死亡者数ではイラク戦争
  開戦後最大を記録(9月14日)
 =>カズミーヤ(シーア派地区)で求職者の集まる広場で
   自動車爆弾が爆発。(114人死亡、156人負傷)
   ほか市内や近郊で攻撃が10件相次ぎ、総数153名が死亡。

  同日、シーア派主導のイラク移行政府によるタル・アファル攻撃への
  報復として、ザルカウィ容疑者名で「シーア派への全面戦争」の
  宣言が公表された。

5)アンバール州でも武装勢力掃討作戦が継続中
 (米軍機がラマディ空爆:アルジャジーラ英文サイト9月15日))
  http://english.aljazeera.net/NR/exeres/C6912702-BEA6-40B6-A8F3-9B6AD43453B1.htm

6)バグダッドで連続攻撃、警察を狙った攻撃で31名死亡(9月15日)

7)バグダッド東部郊外で自動車爆弾により30名以上死亡(9月17日)
 =>9月14日から17日までの4日間の死者は250名を越える

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2005.09.11

タル・アファルをファルージャの二の舞にしないで!

TA

イラク北部の主要都市であるモスルの西方80kmでシリア国境近くの
都市タル・アファルではこの9月2日より本格化されたイラク政府軍(5000人)
と、米軍(3500人)による武装勢力掃討作戦により避難民と一般市民の
犠牲者が出る恐れがあると聞く。
約5万家族、人口40万人近く(イラク赤新月社報告より)のこの都市の
規模はファルージャに匹敵する。一部の住民は警告を受けて事前に避難
しているが、一説には8万人もの住民が包囲された状態にあるとも言う。

事前に退避の警告がされたと言っても、ここの人口はスンニ派トルクメン人が
中心で、彼らは唯一の脱出口となった南部への避難ルートの先に待ち構える
イラク政府軍(シーア派やトルコと対立するクルド人が中心の編成)による
迫害や殺害を恐れて退避しなかった者も少なくないと伝えられてもいる。

2004年10月以降のファルージャへの攻撃激化の前に、この地区でも
武装勢力の掃討作戦が展開されたが、スンニ派トルクメン人が中心の
この地域への攻撃にアメリカの同盟国側についていたトルコが難色を
示したことにより、いったん兵力が退いた。

そして、その後ファルージャとモスル近郊での戦闘に勢力を割かれた結果、
タル・アファルが一種の真空地帯となり、かえって武装勢力を呼び寄せる
結果になったとも聞く。
以来、シリア国境は外国からの武装勢力の入り口に当たるとして武装勢力
掃討の対象となり、より南方のアンバール州の都市カイム近郊でも戦闘が
継続されている。
(これについては8月30日付「備忘録とするには重要過ぎる話」でも書いた)

しかし、軍事作戦を優先させるために人道支援関係者や医療関係者の
現地への立ち入りが制限されることにより、現地の人道支援ニーズ調査と
その後の支援に支障が出るとして再三問題にされている地区でもある。
カイム地区を中心とするイラク西部の攻撃に関してはDoctors for Iraqが
8月14日に攻撃の即時中止とジュネーブ条約違反についての独立機関に
よる調査を求める声明を発表している。
9月8日付けのDoctors for Iraqの声明では一般市民に犠牲者が出ている
ことや、市内から脱出をしようとした20歳から35歳の間の年齢層の
若者が検問所で連行されるなどの事例(ファルージャでも同様な事例が
あったとされる)を挙げるほか、市内からの避難民の健康状態の悪化が
心配されている。
タル・アファルを第2のファルージャにしてはいけない。

本来、このブログはニュースレポートの場ではないつもりなのだが、
見過ごすことができないので書いておく。折りしも日付は9月11日に
なろうとしているのが皮肉なことだ。
(写真はヨルダンの衛星TV局の放送より。異なるTV局で同じ映像を使って
 いる例が見られるので、代表取材か従軍取材の映像と思われる。)

*斜体部分は後から補足修正しています。

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9月11日(その2)

奇しくも9月11日が投票日となって、日本の今後を決める
焦点の日となってしまった。
在外選挙人登録をしていないので、残念ながら私はこの機会に
票を投じることができない。

郵政民営化を争点にして、改革か守旧かというところに小泉首相は
争点を定めることに成功している様に見える。
しかし、より本質的な問題は、この国のあり方をどのような方向に
したいのかにあると思う。
イラクの人々は武力で米国に負けながらも、これに武力で敵対せず、
平和国家としての道を歩み、経済発展を遂げた国「日本」を非常に
好意的に評価してくれている。
今の時代に経済発展を第一というのも問題なしというわけでもなく、
また経済発展を保証して来たのも日米安全保障体制の下ということも
否めないのだが、しかし、平和国家のあり方は今後のアジア諸国との
関係改善という点でも欠かせない点だと思う。
この点は今の小泉内閣の外交政策では失敗だと思う。

そもそも9月11日を投票日にした時点で、国家安全保証のことを
全く考えていないことがわかる。日本国民の安全を保証する責任感を
首相として感じているのであれば、わざわざ9月11日を投票日に
するような事はするべきではなかった。
日本も対テロ戦争へ参加している連合国側にあるという認識と責任感が
薄いのではないか。

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9月11日(その1)

wtc
<写真: 2003年4月、ニューヨークWTC跡にて撮影>

2001年9月11日
いつものように10時過ぎまで会社で残業をしていた私は、
帰宅前に作業机のPCでインターネットのニュースを
チェックしていた。
「世界貿易センタービルに飛行機がぶつかる」との速報の
見出しがそこに出ていた。
ジャンボ機がぶつかるなどとは到底想像していなかった私は、
その時点では小型の自家用のセスナ機か何かが操縦を誤って
ぶつかったのだと思っていた。
そのまま会社のPCを閉じて帰宅してTVニュースを見て
初めて事態の深刻さを知った。

この事件で、出張中の大学の同窓生が貿易センタービルで
亡くなったとの話を聞き、海外出張で実際にNYからLA行きの
アメリカン航空機に乗ったこともある自分としては他人事の
様に思えなくなった。

そして、この事件がアフガンへの報復という展開を見せた時に
違和感を感じたことから、アフガンの実情を知りたいとして
NGOの現地報告会に参加したり、平和運動の人々と知り合う
事が始まった。
そして実際に日本に来ているアフガンの人々に知り合うことに
なったのだが、それらは難民として保護を求めている人々で
ありながら、強制退去処分受けて、収容センターに収容されて
しまった。
このことから難民問題に関わり始めて、結局4年後の現在は
人道支援の現場に居ることになってしまった。

ここに至る自分の判断に迷いは無かったが、しかし4年後になって
対テロ戦争を名目として進められる大国の世界戦略によって
悪化する世界情勢を見るにつけても、それではその中で自分は
何ができているのだろうかと反省することしきりである。

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2005.09.10

9月9日

語呂合わせでこの日は救急の日だと聞く。
この日はどうも苦い思い出がある。
1989年9月9日にグリーンピア三木(兵庫県三木市)で
開かれた自転車レース大会に出場したのだが、試走中に
コース内に進入してきた自動車に接触するという事故を起こし、
肩甲骨と鎖骨の間の関節を脱臼(骨にひび)で1ヶ月入院、
全治6ヶ月という怪我をしてしまった。
初めてのレース参加で張り切っていたのは良かったのだが、
試走時間の終わりかけの時間帯で主催者が駐車場に出入りする
車の通行規制を緩めたのでタイミングが悪かった。

おかげで当時勤務していた会社で予定していた海外研修教育を
受けるタイミングがずれたのだが、おかげで日本国内での英語
研修を受ける当時は91年の湾岸戦争に重なり、スピーチの種は
イラク攻撃の新聞記事だった。そして実際の海外研修のために
米国のコロラドに赴いたのはそれから1年後で、湾岸戦争後1年と、
後にクリントンが選ばれる大統領予備選挙の時期に重なったのを
覚えている。

時は流れてバブルもはじけた。確かグリーンピアも整理されて
今は無くなっているはず。
しかし、今にして思えば以前から米国とイラクには個人的に
妙な縁があったものだと思う。

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2005.09.07

難民キャンプ

campZ
<写真: ザルカより国境に向かう道は石油輸送車が行き交う。
     この道の先に難民キャンプがある...>

9月5-6日の1泊2日でイラク=ヨルダン国境の難民キャンプを
訪問した。
今回はJIM-NET事務局長の佐藤さんの手配で、日本の小児科
病院から来られた医師や薬剤師らの一団が難民キャンプの子どもたちの
健康診断をするので、これに同行しての訪問だ。
アンマンから300km以上、タクシーで片道4時間もかかる国境の
砂漠地帯の中に難民キャンプが設置されたのは2003年3月のこと。
以来、2年半が経っているが、未だに850名ほどの難民がここで
生活を余儀なくされている。イラク国籍の難民は少なく、多くは
イラン革命以後に母国を脱出してイラクで保護されていたイラン系
クルド人の人々で、次に多いのがパレスチナ人だ。
ヨルダンはこれらの人々の受け入れには厳しい政策を取っているので、
最終解決策としては第三国に受け入れてもらうか、イラク国内に帰る
しかない。もちろんイラク国内に居られない事情があって出てきている
人々なので、彼らに取ってみれば後者の選択はあり得ず、受け入れ先が
決まるまでただひたすら待つしかない。
2年も経っていると、既に受け入れ先が決まって出て行った人々も
多くいるので、残された人々の焦りが強まっていて、「どうして私は
行けないのか」と訴えられるが、答えに詰まってしまう。

日本も積極的な難民受け入れ国になって、これらの人々を受け入れる
ような度量があって欲しいと思うのだが、保護を求めて来た人々の
多くを難民ではなく不法滞在だとして強制退去処分にしている
日本の実情を知るだけに、何とも重苦しい気分になる。

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イラク人医師との再会(JIM-NET会議)

9月4日にイラク人医師11名と日本人医師4名
(うち2名はオブザーバー)の参加を得て
第3回JIM-NETアンマン会議を開催した。

この会議は、イラクの小児白血病・ガン患者の支援の
ために協力しているNGOネットワークである
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)
による支援の実績確認と今後の支援方針の打ち合わせ
のためにこれまでにも6ヶ月に1度に開いているものだ。

会議での打ち合わせ事項等はJIM-NETのBlog
詳しいのでそちらを見て頂くとして、やはり貴重なのは
このような機会にイラク現場の状況を良く知るイラク人医師と
直接顔を合わせる機会が持てるということだ。
今回は首都バグダッドや南部のバスラからの医師に加えて、
北部モスルからも危険とされる地域を陸路で移動して来られた
医師があり、無事の再会を喜び合うことができたのがうれしい。
そのモスルの病院も軍事的な拠点に近いこともあって、米軍と
イラク治安維持部隊に占拠されて基地として使われ、主な外来
診療と入院患者は別の病院で手当てをしているという事情もあって
情勢は厳しい。

8月31日のバグダッドでの惨劇があった直後ということもあり、
また、イラクの医療状況も目覚しい進展がなく、医薬品の供給
状況はむしろ戦後2年間のうちで今が最悪ということもあって、
なかなか楽観的な話が聞かれなかったのが残念なところだが、
救いとなるのは、NGOの協力によってわずかながらでも医薬品の
供給が進められることによって、医師が治療を進める希望を失って
いないことだ。実際にバグダッドの病院では戦後になってから
治療によって死亡率が低下する望みが出て来たとのことで、
これは支援を進める私たちにとっても嬉しいことである。

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2005.09.01

バグダッドの大惨事

Baghdad-TRG

憂鬱なことだが、やはりバグダッドで起こった800人超の命が失われた
大惨事に触れないわけには行かないだろう。
ことのいきさつ、詳細な解説については報道に任せたい。
政府内でも責任の押し付け合いの話が出てきているが、
これを単にシーア派とスンニ派の対立の話で片付けて良いものだろうか。
私としては、これだけ多くの人命が失われた、その重さの前に謙虚に
なるしかない。
イラクの政府系衛星TV局イラキーヤでは、画面の左隅に喪章の黒線を
入れて放送をしている。イラクは3日の服喪期間に入った。

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