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2005.08.31

備忘録とするには重要過ぎる話

M-OP

このブログのURLがrep-eyeではじまっていることにお気づきの方も
おられるかもしれません。
「報告者の眼」といったところでしょうか。
しかし、私は報道関係者ではありませんから、ニュース記事を載せるのが
本来の役目ではありません。
しかし、これだけは忘れたくないということで記事の紹介を載せておきます。

米軍、イラク西部を空爆 45人以上が死亡(朝日新聞8月30日)http://www.asahi.com/international/update/0830/008.html

Scores killed in Iraq air strikes(アルジャジーラ英文サイト)http://english.aljazeera.net/NR/exeres/26914D3F-489D-449B-9D66-4F1E59ECB34C.htm

イラクの衛星TV局のシャルキーヤでも、従軍取材映像を交えて
この模様を伝えていました。(写真)

朝日新聞の記事はアルジャジーラの記事を元にしているようです。
イラク西部、アンバール州のシリア国境地域のカイム周辺(斉藤さんの
襲われたヒートもこの地域からほど近い)では、国境を越えて侵入して
来る武装勢力を掃討すると称した軍事攻撃が絶えません。
これもその一例です。
攻撃によって武装勢力の幹部を殺害したとも報じられているのですが、
しかし、一方で民間人の被害も甚大だという話も伝えられています。

なかなか記事にもならないのですが、一方で更に北のもう一つのシリア
国境へのルートで、モスルにも近いタル・アファル地区でも同じく武装勢力
掃討と称する戦闘が継続しています。民間人の被害者に対して人道支援
関係者が支援を差し伸べるべく被害の実態調査をしようとしても、
担当のMODM(イラク避難民・移民省)の担当官でさえなかなか現地への
立ち入りが許可されず人道上の問題となっているという話も国連/NGO間の
会議の席上で伝えられています。

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2005.08.30

キャンプ・ケイシー

camp_kusa

イラクの憲法草案がやっと提出ということで、翌日のアラビア語紙
各紙はどのように報じるのか興味があり、ニューススタンドに行く。
...とは言ってもアラビア語が読めるわけでないので、もっぱら
1面がどのような写真になるか眺めに行くに過ぎないのだが。

各紙とも一斉に1面トップにイラク国民議会の模様を掲げる...と
思いきや、意外にそっけない。確かに議会の面々やタラバ-二
大統領の笑顔を載せている新聞もあるのだが、ヨルダン川西岸で
起きたバス乗客による自爆事件を載せる新聞もあり、自国のニュース
をトップに挙げる新聞もあり、扱いはばらばらだった。

そんな中で異彩を放っていたのが、イラク国民議会の模様を伝える
某紙の隣で、1面に”BRING THEM HOME”<彼ら(=兵士)を
自国へ返せ>という横断幕を広げた模様を報じた紙面だった。

どうも見たところ、キャンプ・ケイシーの記事らしい。
イラクの議会の記事と並べて見るとなかなか意味深長に見える。

軍隊に参加した息子を昨年イラクで亡くしたアメリカ人女性のシンディ・
シーハンさんがイラク戦争の大儀を問い、ブッシュ大統領に面会を求めて
大統領の別荘のあるテキサス州クロフォードの牧場に座り込み、
これに賛同した反戦団体の人々が加わり、大きな運動になっているという。
亡くなった息子さんの名前を取って、この座り込みの運動の現場を
キャンプ・ケイシーと呼んでいるらしい。

しかし、英語メディアを見る限りでもなかなかこの運動の模様は報道されて
来ない。たまたま数日前にチャンネルを切り替えている途中で、スーダンの
アラビア語衛星TV局がキャンプ・ケイシーの模様を伝えているのが映った
位だ。

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2005.08.29

イラク憲法草案は”やっと”提出、しかし問題は残った

28日、イラク憲法の草案が”成立”した。
法的には22日の時点で成立していることになる
そうだが、スンニ派をはじめとする各派の合意が
成っていないということで修正協議が続いていた。

最終的にスンニ派の合意なしで草案の再修正と
更なる協議を打ち切って28日(日)に開催された
暫定国民議会に提出したことになる。

わたしは昨日にこのBlogで、
「渦中の憲法草案はスンニ派の反対を押し切って
 国民議会に提出され、議会はこの日曜日に開催される。
 肝心の議決を先延ばしにしながら、草案のテキストは
 頒布されて、10月15日の賛否投票を待つような
 状態になるのが心配だ。」
と書いた。
正にこの状態になってしまったのが残念なことだ。

憲法草案は10月15日に国民投票にかけられるが、
規定では3州で反対が3分の2を占めると否決される。
現在の憲法草案が否決された場合は暫定国民議会が解散し、
再選挙の上で草案の制定作業もやり直しになる。

米国大統領はこのたびのイラク憲法草案の提出を歓迎し、
協議の遅れにも、米国自身、憲法制定には多年の年月を
要したとか、協議が長引いたのももイラクの民主化の
表れであるとして前向きに説明しているが、そもそも
イラクに戦争を仕掛けたのはどこの国か、イラクの
現在の混乱と市民生活の苦しみをもたらしたのが
どこの国であるかを振り返ってみれば、その様なことが
言える立場でないことは明白である。

このようなまやかしがいかにも正論であるかのように
語られ、それを信じる者が出ることは当のイラク人は
もちろん国際社会にとっても不幸なことではないだろうか。

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2005.08.28

ほっとけないイラク

Hottokenai

アンマンの繁華街、スワフィーエの一角にある文具店に
行くと、店頭に色とりどりのアームバンドが置いてある。
私の属するJVCや、活動を共にしているJIM-NET
でも「ほっとけない世界のまずしさ」キャンペーン
賛同しているのでこの種のバンドは気になる。
お値段は1個1.5ヨルダンディナール(約250円)
なので、日本で買うより(300円)は多少安い。
しかし、こちらの貨幣価値で言えば日本では450円位の
感覚ではないかと思う。そう考えると高い。

ここヨルダンで今まで見たところでは、実際に身につけて
いるのは「ほっとけない」のホワイトバンドよりも、
ガン撲滅キャンペーンのLIVESTRONG
イエローバンドの方が目立っている。
私も元々自転車乗りで、かつてはアマチュアレースに出場した
事もある端くれとしては、ツール・ド・フランスのヒーローで
あるアームストロング選手にちなんだLIVESTRONGも常々気に
なっている。

閑話休題、これらのバンド、やけに色の種類が多い。
白、赤、黒、緑...こんなにあったっけと思っていると、
一緒に居た佐藤真紀さん(元JVC、今はJIM-NET
事務局長で一緒に仕事をしている)曰く、これはヨルダンの
旗に使われている色で、「ヨルダンはひとつ」キャンペーン
ではないかと言う。

*「ヨルダンはひとつ」キャンペーンについては、
  佐藤さんのブログ「くろよん平和主義」に詳しいので
  そちらも見てください。

要するにヨルダン国民としての意識を高めることで、
国民の間の分裂を避け、不満が政府に向かないように
との目的らしい。

このヨルダンとはまったく別の意味合いになるが、
憲法草案策定のプロセスの中で連邦制による分裂の
危機にある今のイラクのことを考えると、別の意味で
「イラクはひとつ」のキャンペーンが必要なのではと
考えたりする。イラクも「ほっとけない」のだ。

渦中の憲法草案はスンニ派の反対を押し切って
国民議会に提出され、議会はこの日曜日に開催される。
肝心の議決を先延ばしにしながら、草案のテキストは
頒布されて、10月15日の賛否投票を待つような
状態になるのが心配だ。

Demo-Sa

(写真はサダムフセインの写真を掲げて連邦制への
 反対の意思表示をするスンニ派の人々のデモ。
 BBC Worldの画面より)


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2005.08.26

3度目の正直(イラク憲法草案)

protest_s

「期限までに合意されたと伝えられているが、
 まだ話し合いの余地を残しているし、議決は
 延期 されている。」

イラク憲法草案の制定も3度目の正直で、再度の延長で
決められた3日間の話し合い期限を迎えたが、伝えられる
ニュースは3日前のものとそう変わりのないもので、判断
に困っている。

やはり一番の焦点は連邦制のことだろう。
連邦制によってクルド自治政府の独立をある程度認める
ところまではスンニ派も合意できるところと聞いている。
(あるイラク人の知人の話によればクルド人の80%は
 スンニ派だということもある。)

ただし、問題なのは南部のシーア派地域の自治も認める
場合だ。
この場合は中央政府の権限が弱まり、イラク中部のスンニ派
地域が浮いてしまい、「一つのイラク」の考えは形ばかりに
なる。
スンニ派地域も対抗して独立色を強めれば良いというもの
ではなく、地域割りで独立を強めると、北部や南部のように
原油の産地を持たないスンニ派地域が経済的に不利になる
という事情があるためだ。

連邦制に反対するスンニ派のデモではシーア派の宗教
指導者の姿もボードにして掲げて行進する風景も見られて
いるという。(写真参照)

一方で、スンニ派が合意に反対すれば、憲法草案の
取りまとめの試み自体が失敗に終わるので、それでは
内戦になると言って牽制する動きもあり、事態は流動的だ。

シーア派も一枚岩ではない。
一枚岩どころか、この24日から25日に掛けて、ムクタダ・
アル・サドルの一派(彼は連邦制を強める憲法草案には
反対している)のマハディ軍と、ハキーム師が率いる
イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)に属する
バドル軍団の間で戦闘が繰り広げられ、シーア派の聖地
ナジャフをはじめとして、ナシリア、アマラ、バスラなど
南部地域に戦闘が飛び火した。
バグダッドでもサドルシティなどのシーア派地域での戦闘を
恐れて市民が外出を控えるなどの事態になったと聞いている。

幸いにも政府の介入もあって事態は沈静化して来ているが、
シーア派の間にも争いの火種が残っている。

ムクタダ派の議員や閣僚の中にはこの暴力の事態に抗議して
職を辞するという動きもあったと伝えられている。

また、この25日にはイラク大統領のタラバニ氏の車列が
襲われ、ボディーガードら8名が死亡する事件が起きている。

なぜか英語ベースの欧米系メディアの報道では、
イラク憲法草案を巡るニュースは伝えられているが、
シーア派同士の争いなどのニュースはほとんど伝えられて
いない、私もイラク人の友人から知らされてアルジャジーラ
の英文ニュースサイトなどで確認をしているところだ。

憲法草案の制定などで混迷を深めている間に、
市民生活はどうかと言えば、相変わらずバグダッドでも
ところによっては3日に一度しか水が送られて来ないし、
停電が多いので水を汲み貯めしておくことが難しいと
言っている。

シリア国境に近い、タル・アファールでは武装勢力掃討
作戦を展開中の米軍とイラク治安維持部隊の作戦のおかげで
一般市民に犠牲者が出て、避難民には緊急人道支援が必要な
事態だと聞いているが、人道支援関係者の現場への立ち入りに
制限が加えられており、実態がなかなかつかめない状態が
続いている。
断片的な情報だけを聞いていて動けない自分が歯がゆい。

(写真は連邦制に抗議するスンニ派のデモの風景
 BBC World画面より)

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2005.08.23

(速報)イラク憲法草案議会提出!?しかし議決なし

仕切り直し後のイラク憲法草案の議会提出期限が来た。
(23日午前0時)
シーア派とクルドの合意が成り、確かに草案は提出された
と聞く。
ただし、連邦制の採用を巡ってスンニ派が異議を申し立てて
おり、期限までに合意に達することはできなかった。
草案の移行国民議会での議決は行わずに更に文言を
2-3日中に協議するのだと言う。誠に分かりにくい動きである。

この時間帯は、ヨルダンで例のアカバ港へのロケット攻撃の
容疑者の一人が逮捕されたというニュースと、レバノンの
ベイルートで爆破事件が起きたとの速報ニュースが立て続け
に届いている。それぞれに直接の関連はないのだが、
何とも落ち着かない深夜である。

ニュースを追いかけている間に、ヨルダンに来ていて求職中の
イラク人A氏からメールが届いた。彼とはたまたまバスの中で
知り合った。 英語も立派に話すしバグダッドの国際赤十字
委員会事務所に勤めていた前歴もあるのだが、その国際赤十字も
爆破に会い、バグダッドを撤退して以来仕事がないと言う。
そんな彼も危険を避けてアンマンに来ているイラク人のひとり
という訳だが、こちらに来たとて、仕事がないことに変わりは
ない。
そんなイラク人がヨルダンでもずっと増えていると聞く。
憲法の草案制定が、そんな彼らに希望となるのだろうか。

一方、憲法案の賛否投票に向けて、選挙人登録も進んでおり、
ファルージャでの登録の模様もニュースで伝えられている。
スンニ派の彼らがYESを投じられる案ができるのだろうか。
残された時間は限られて来ている。

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2005.08.20

8月19日(今年は...)

AQABA

2年前の8月19日のことを感慨にふけっている場合では
なかった。
この日の朝、今年はヨルダン南部のアカバ港にカチューシャ
ロケットが撃ち込まれ、標的とされた米軍の艦船は被害を
免れたものの、倉庫と病院に着弾し、1名の死者が出た。
これまでに爆破事件や撃ち合いのあったクウェートやサウジ、
エジプトなどと比べれば比較的安全だと言われ、治安当局の
監視の眼が行き届いていると言われていたヨルダンで、ここ
数年では初めての事件となった。
イラクから避難して来ている難民も増え、非公式な数字でも
50万人になったと言われるヨルダンだが、ここも安全とは
限らないということか。

(写真はイスラエル側への着弾(不発)
 /BBC Worldの画面より)


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8月19日(2年前のこと)

UN0819a

60年前の戦争は節目として思い出すことはあっても、
ともすれば毎日の生活に追われていると2年前のことを
思い出すのが難しかったりする。

しかし、2年前の2003年8月19日のことは忘れられない。
国連バグダッド事務所が爆破されたその時間には、私はバグダ
ッド市内の他のNGOの事務所を訪問し、打ち合わせの最中
だった。
もうその時点で市内で多少の爆発音が聞こえることは珍しく
なかったので、打ち合わせの最中に聞こえたその音も、その
時にはそんな出来事のひとつの様にしか聞こえていなかった。

しかし、打ち合わせを終えてホテルに戻り、泊り客も従業員も
事件の様子を伝えるTVニュースに釘付けになって騒然として
いるのを見て、初めてそれが大事件だと知った。

それから2年経つが、治安は回復するどころかその時点と比べて
も悪くなっている。あといくつの爆破があって、いくつの命が
失われば済むのだろうか。失われた命は戻らないのだから、
本当は「済む」とは言えないのだが。

UN0819b

(写真は2003年9月に現場で撮影したもの。
 献花に添えられた横断幕には
 "IRAQI PEOPLE REFUSED THE CRIMINAL AND TERRORIST
ATTACK ON THE U.N. BUILDING IN BAGHDAD"
「イラクの人々はバグダッド国連ビルへの犯罪的な
  テロリストによる攻撃を拒否する」とあります。
 経済制裁以来、サダム政権崩壊後もイラクで国連が行って
 きたこととそれに対するイラク人の評価は厳しいものが
 あります。しかし一方で、今後の治安維持と復興に向けて
 期待するものも少なくないと聞きます。)

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2005.08.18

繰り返される悲劇

BUS-BBC

17日午前8時頃。治安悪化によりバグダッドの交通量も
一時ほどは多くないと言われていても、時間帯は通勤の
ラッシュアワーの中、バスターミナルを狙った爆破事件が
起き、43名以上が死亡、76名以上が負傷という惨事と
なった。(数字はBBCによる)

最初はターミナル内、次は逃げ場所になるターミナルの
入り口付近、最後には負傷者の担ぎ込まれる近所の
アルキンディ病院の正門前という順番に次々と3発の
爆破があったという。

予定通りの合意には至らず期限を延長しながらも、
憲法の草案が話し合われている中で、こうした将来への
希望をあざ笑うかのように繰り返される悲劇は、イラクの
人々にとってどれほどの痛みを伴うものだろうか。

ここヨルダンに滞在しているイラク難民の推定数も、
数ヶ月前には40万人と言っていたのが、今では50万人を
超えるとも聞いている。
私の住むアパートも7部屋中6部屋はイラク人が住んで
いると管理人に聞いた。
(つまり私以外はイラク人家族と言うわけだ。)
確かにイラク方言の挨拶言葉なども良く聞こえてくる
ようになって来た。
しかし、このように隣国に避難し、しかもアパートを
借りられるようなお金を持っている人々はほんのわずかで、
大半の人々は悪化する治安と、相変わらず来ない水と
電気という最悪の環境の中で、イラクの中で暮らすことを
続けるしかない。

先ほど電話で話したバグダッドの知人も、「今がサダム
政権崩壊後最悪の状況だ」と話していた。
確かに今が最悪だとしても、今後は良くなることを
期待したい。
そうでなければ、このような悲劇の繰り返しは悲し過ぎる。

(写真はBBC Worldの画面より)

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2005.08.16

それぞれの8月15日

8月15日と言えば、日本では「終戦の日」だと思っていた。
確かにそれも間違いではないのだが、ここ中東でBBCの英語
ニュースを見ていると、同時にアジアの解放の日であったことも
わかる。香港で、韓国で、解放を祝う祝典が開かれているし、
インドでは独立記念日であると報道されている。
そして、今年は戦後60周年である。自分自身こうした世界の
ニュース報道に触れながらも、どれだけ日本を相対化して見る
視点ができているか心もとないものがある。
イラクの人々には、「ヒロシマやナガサキなどで米国に散々な目に
合わされながら、戦後は武器を取る方法を選ばずに経済復興を
成し遂げた日本は偉いので、手本にしたい」と評価してくれる
人々が少なくない。
しかし、戦後60年の年月を経て、本当に日本は戦争を放棄したと
言えるのかどうか、当のイラクに自衛隊を派遣しており、米国の
戦争を日本政府は支持しているだけに、私は非常に居心地の悪い
思いをしている。
この8月15日、そのイラクでは憲法草案の議会提出期限だったが、
連邦制の是非(これには石油利権も絡んでいる)と、イスラム法の
扱いを巡って最終合意に至らず、期限は1週間延長された。
そして、ヨルダンから見ればイラクと反対側の隣国のパレスチナ
では、ガザ地区からのイスラエルの撤退が始まった。
この日、それぞれの8月15日が過ぎて行った。

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2005.08.14

アンマンもやはり暑い

36D

高温多湿の日本からこちらに来て、
湿気がない分まだ過ごし易いとうそぶいていましたが、
やはり日中の暑いことは半端ではありません。
2時過ぎの繁華街で、温度計は36度を表示していました。
確かに気温も暑いですが、あと数日のことでこちらは
政治的にも熱い季節です。
イラクの新憲法の草案は15日が期限ですが、1日前倒しで
出すと大統領が言ったとかいう話も伝わって来ています。
確かに昨年6月末の権限委譲も末日を待たずに28日に
行った前例があるので、ありそうな話です。
争点は連邦制を取るかどうかと、政治への宗教の関わりを
どこまで認めるかということだと言われています。
ヨルダンから見てイラクの反対側のパレスチナでは、
ガザ地区からのイスラエル撤退の期限が15日です。
こちらも無事に履行されるかどうかが注目されていますが、
肝心なのは期限以降に実際にどうなるかです。

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2005.08.11

8月9日 長崎

Nagasaki

10日の晩。イラクの衛星TV局シャルキーヤに長崎の
平和祈念式典の模様が映りました。
こちらで目にするTVにはヨーロッパのEuroNewsという
ニュース局があって、NoCommentという番組では
その日の世界の出来事をコメントなしで、ニュース映像と
音だけでつづるのですが、それを模したような番組構成で、
コメントはつけず、淡々と式典の模様が映されていました。

そういえば、ちょうど9日には、バグダッドのイラク人医師の
Aさんから親愛なる友人へと題して次のようなメッセージの
メールが日本人の私たちに届いていました。

************************
親愛なる友人へ

広島と長崎の原爆60周年を期に、私はあなた方のことを
思い出しています。
そして、地球上のすべての人々の安全と平和を願い、
あなた方にご挨拶をお送りします。
************************

Koizumi


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2005.08.10

アンマンに到着

ヨルダンに到着。今回は入国時に1ヶ月の滞在許可を
もらえました。(7月以前は2週間)
アンマンの空港の荷物ピックアップで気が付いたのは、
「イラクに行くなら防弾仕様車をどうぞ」という自動車の
広告(車両はドイツ製)。
いつからこの広告ができたのか気が付きませんでした。
(携帯電話での撮影なので画像が悪いのはご容赦ください)

boudansha

2ヶ月ぶりのアンマンに来てみて他に気が付いた変化は、
原油の値上がりによるガソリン代の高騰。
タクシー運転手もメーター表示に頼らずに料金請求をする輩が
前より増えています。
もともと夏は湾岸地域のアラブ諸国からのお金持ちが避暑に
やって来るので混み合うアンマンですが、聞くところによると
今年の夏の道路の混雑具合は例年に増して激しいとのこと。
確かにそんな気がします。ガソリン代が高い分、車が減るかと
思えばそうではないようです。

ダウンタウンの中心部近くの信号には待ち時間の表示機が
出現。アラブ人はそんなにせっかちではなかったはずですが。

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2005.08.09

フランクフルトにて

FF

ヨルダンの首都アンマンに向かう途中、乗り継ぎ地の
フランクフルトは日本から約12時間のフライトです。
時節柄、日本発の飛行機は満席でした。
乗り継ぎターミナルでは6ユーロでシャワーが使えるなど、
設備も充実。無線インターネットもできます。
乗り継ぎ待ちの間の楽しみはソーセージとビール。
この組み合わせも中東に着いたらしばらくお預けです。

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2005.08.06

8月8日に出発(ヨルダン行き)

Hiroshima2005

今回は結構長らくの日本滞在となりましたが、
ついに8月8日に再びヨルダンに向かうことに
なりました。
郵政改革法案の参議院採決や、スペース
シャトルの帰還など、気になる出来事は
ありますが、それらを気にしつつ機上の人に
なります。

この後の終戦後60周年関係のイベントや9月10日(ほっとけない
世界のまずしさキャンペーン)や9月11日関係の催しに出席できない
のが残念ですが、イラクでも8月15日期限の憲法草案や10月15日
期限の憲法承認など政治日程が予定されていますので、現地に
近いところからそれらも含めてご報告できればと思います。

それではまた。

60年後の広島原爆の日に
(写真は今年1月に訪問した際に撮影したものです)

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