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2005.05.27

すわ爆撃か?(ヨルダン独立記念日)

Hanbii

5月25日の夜7時半ごろ。
たまった仕事に追われている最中に、街中に響き渡る
時ならぬ爆破音に集中力を妨げられる。
アパートの前後を揺さぶる勢いの音に、何事かと窓の外を
見ると、ご覧の通りの模様。

確かに夏になると盛んに花火が打ち上げられるのだが、
この日は普段とは勝手が違って、主なものだけで
アパートから見て前後2箇所、それ以外を含めて
同時多発的に打ち上げている。
結局これが10分近くも続いた。

アパートの管理人曰く、明日(26日)はヨルダンの
独立記念日なのでこれを祝っているのだと言う。
前後2箇所に聞こえたのは正しく、2箇所の宮殿から
打ち上げているのだという。

しかし、この大音響には驚かされた。
隣国イラクでは連日爆撃が続き、27日にもバグダッド
市内で爆破事件があり、また、イラク西部のハディーサを
中心とする地区で米軍とイラク治安維持部隊による
武装勢力の掃討作戦が大規模に展開されているのだと
聞く。
(ハディーサは14日頃まで大規模攻撃(闘牛士作戦
OperationMatador)が行われていたシリア国境のカイムと
バグダッドのちょうど中間の当たりで、今なお不明な
齋藤さんが交戦した?と言われているヒートからも
そう遠くないところ。)
これらの作戦で、負傷したとも言われるザルかウィを
捕まえることを狙っているようだ。

どうも隣国のことを思うと花火の音も気楽に聴くことが
できなくなる。
イラクではまだ実質的に独立を獲得できずに苦悩している。
しかし、一方で、私たちの国日本も本当の意味で独立を
獲得していると言えるのだろうか。

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2005.05.16

”イラクで爆破事件続発”の報を聞いて(2)

UWB
(写真は5月15日アンマンにて携帯電話で撮影。
 本文の内容とは直接関係ありませんが。
 これって”United We Stand”のもじりでしょうか?)

毎日新聞12日付け東京夕刊は、「戦闘激化、移行政府に
重い課題 掃討とテロ、暴力の連鎖」と題する記事
を掲げていた。
続発する爆破事件を単純にテロであると言い切って良いか
どうかは判断を保留したいところなのだが、「掃討とテロ、
暴力の連鎖」とは確かにわかりやすい表現ではある。

私も、現状を「“イラクで爆破事件続発”の報」と書いているが、
実は「続発の報」と書き、「続発」と断じていないのがミソである。
移行政府が発足した4月28日以降、既に治安維持部隊、警察、
政府関係者と一般人の間に400名以上の死者が出ているのは
事実で、確かに1月末の選挙実施後のひと時に比べて、この
被害者数の多さを挙げれば「続発」と表現するのもなるほどと
思えるかもしれない。

ただ、連続攻撃、目だった攻撃が増えたのは確かにしても、
その前から攻撃が無かったわけではなく、バグダッド在住の
知り合いに聞いてみると、バグダッドなどでも爆破事件や
撃ち合いは頻繁にあったと聞くので、報じられる割合がただ
少なかっただけと思えなくもない。

むしろこの1-2週間で顕著なのは米軍とイラク治安維持部隊
による「武装勢力掃討作戦」である。
15日の英字紙「ヨルダンタイムズ」掲載のロイター電によると、
5月7日から14日に渡ってイラク西部、アンバール州などの
シリア国境沿いの地域を中心に展開された武装勢力掃討作戦
Operation Matador(闘牛士作戦)によって125名以上の
武装勢力のメンバーが殺され、39名が拘束されたという。
聞くところによると、この作戦は昨年11月のファルージャ攻撃
以来の大規模攻撃だという。
この作戦は「5月7日に始まって14日に終わった」と言われて
いるけれども、実際には戦闘はそんなにきっちり始まって
終わるものでもないということにも気をつけておきたい。
もっと前から武力衝突は始まっていて、負傷者が出ていたとも
NGOから聞いた。
また、戦闘が激化してからは更に350家族ほどが激戦の
中心地となったカイムの市街を離れて砂漠地帯の周辺地に
避難する状態になったという赤新月社の報告もある。

ヨルダンのもう一つの英字紙(週刊)のThe Star紙は、
“米国の攻撃がイラクの抵抗に会っている”との見出しを
掲げている。もともとリベラルな紙面であることを差し引いて
考えても、それでもこの方が実態に近いのではないかと思える。
ニワトリが先か、タマゴが先かという議論になりかねないが、
どちらが先に戦争を仕掛けたかという根本に立ち返って考えたい。

13日の金曜日にイラク移行政府は国家非常事態宣言の
更なる30日間延長を決めた。この宣言もファルージャ攻撃を
気に選挙前の治安安定を目的として昨年11月に60日間で
定められ、延長に延長を重ねて来たものだ。

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2005.05.14

”イラクで爆破事件続発”の報を聞いて

「身を切るような痛み」などという月並みな
表現しか思い浮かばずもどかしい。
他でもない、バグダッドでの爆破事件続発の
報を聞いての感想だ。

9日の夜、日本からの問い合わせの第一報で、
齋藤昭彦さんらしいと言われる日本人拘束の話を
聞いたが、こちらでもその後続報がない。
この件についてはいくらアンマンがイラクに
近いからと言っても情報が乏しい。
したがって私からも今の段階でのコメントは差し控え
たいが、一つ言えるのは、彼の命が日本で心配されて
いる一方で、イラクで失われる命の数が増えており、
こちらではその方がより注目の対象になっていると
いうことだ。
もちろんどちらもそれぞれの命はそれぞれの命なので、
最初から比較の対象にもならないのだが。

さて、バグダッドでの爆破事件に話を戻すと、とりわけ
悲しく思うのは、先週以来、続発する事件の現場が
私もなじみのある地域であることだ。

皆さんにもいきなりイラクを想像してみるというのも
無理な相談だと思うが、私の知るあの広場の角、
あのパン屋さんや薬屋さんの店先、あの市場で
爆破事件があるなどと想像してみたらどうだろうか。

私にはそういう日々が続いていて、事件が報じられる
のを見ては毎晩、バグダッドに電話をかけて知人の
無事を確認する日々が続いている。
事件は朝に起こることが多いのだが、バグダッド時間の
日中に相手に電話をすると、誰が回りで英語で会話を
するのを聞いているのかわからないので、相手の
安全のためにも万全を期すには夜の電話になってしまう。
その夜を待つまでの間がまたもどかしい。

1)5月7日(土)午前11:20頃 タフリール広場 
 自動車爆弾により2名の米国警備請負会社の社員と
 20名のイラク人民間人が死亡と報じられている。
 33名の民間人が負傷しているとのことだが、
 その中に、広場に隣接する学校の女子生徒が多数
 含まれているというのがまた悲しい。
 この学校はキリスト教系の女子学校で、私もバグダッド
 滞在中の宿泊先に近く、この学校の前はもちろん、
 広場も良く通りかかったなじみの場所だ。
0410T-SQ

2)5月10日(火)サドゥーン通り
 自動車爆弾により7名の民間人が死亡。13名余りが
 怪我を負う。
 ここは医薬品や機材の買い付けで走り回った覚えの
 ある場所で、宿泊先のすぐ裏だった。
 爆発現場がすぐ隣だったと言われるハンバーガー
 ショップは店内にサッカー選手のポスターが沢山
 貼られていて、日本で言えばスポーツカフェと言った
 趣だったのを覚えている。
0413Sadoon

3)5月12日(木)午前10:55頃 ニューバグダッド
 イラク治安警察が頻繁に食事場所にするレストランの
 近所で自動車爆弾が爆発。
 現場は庶民の買い物で賑わう市場の近くで、自動車で
 通るにも混雑を避けるのに大変だったのを憶えている。
 そんな場所だけに死傷者も多く、21名死亡、84名以上が
 負傷と報じられている。

<写真はいずれも現場付近。2004年4月撮影のもの>

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2005.05.13

【番組案内】NHK-BS1にヨルダンで治療中のイラクの子どもたちが登場!

MUAMEN1
(今回の番組の舞台のアル・モーメンホテル)

イラクの隣国、ヨルダンの首都アンマンでガン・白血病の
治療を受けているイラクの子どもたちの状況について、
昨年12月と今年の2月の2回に渡って現地取材をされた
NHKのドキュメントをご紹介させてください。

5月14日(土)
NHK・BS1 午後10時10分~(50分)      
BSドキュメンタリー
 アルモーメンホテルの子供たち
   ~がんと闘うイラクの家族~
(番組編成上の都合で放送日時が変更になった場合は
 ご容赦ください)

補足: 
教えてくださった方がいらしたのですが、
番組案内雑誌の情報では、再放送予定が
あるようです。本放送をお見逃しの方はぜひ。

5月16日(月)午後6時10分~午後7時(50分)
NHK BS1 です。

本番組は、JVCとJIM-NET(日本イラク医療支援
ネットワーク)にて取材に一部協力をさせていただいて
います。
完成作品を見ていないのでどのように仕上がっているか
わかりませんが、現地の取材クルーの奮闘ぶりから見て
力作だと思います。

前にご紹介した綿井監督作品の映画
Little Birds -イラク 戦火の家族たち-では
不肖ワタクシがバグダッドの病院で医師との
打ち合わせのシーンで登場しますが、
この番組の方では出番はありません。
もっぱら主役はイラクの子どもたちとその家族
です。(たぶん)
その姿をじっくりとご覧頂ければと思います。

ただ、このようにイラク国外で治療を受けられるという幸運に
恵まれた子どもたちはほんの一握りであることにも想いを
致さなくてはならないと思います。
イラクの中できちんとした治療を受けられる子どもたちが
ひとりでも増えることがJVCやJIM-NETの医療支援の
最終目標です。

この場を借りての宣伝となり恐縮ですが、私どもの
活動へのご理解とご協力もよろしくお願い致します。

原 文次郎
日本国際ボランティアセンター(JVC)
イラク事業 現地調整員(アンマン滞在中)
JVC HP: http://www.ngo-jvc.net/
個人Blog: http://rep-eye.cocolog-nifty.com/
JIM-NET Blog: http://www.doblog.com/weblog/myblog/18838

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2005.05.10

日常と戦場と

映画「Little Birds -イラク 戦火の家族たち-」の
紹介をしていて思い出したのが、バグダッドでは
日常と戦場が同居している姿だった。
日本で報道を見ていると、どうしても事件として
報じられる「戦場」の方に目を奪われがちなのだが、
しかし、そうは言っても市街戦が毎日続いて四六時中
弾が飛び交ったり、爆破事件が起きたりしている訳ではなく、
事件が起きる中でも、淡々と普段の生活が営まれていたり
する。
人々も年がら年中下を向いて生きている生きている
わけではなく、涙を拭いて生きることも必要だし、
したたかに生きるたくましさを見せたりもする。
そんなことを映画の画面を見ながら考えた。

私は報道を仕事にする人と違うので、自ずから伝えなくては
いけないものも違うはずだが、例えば戦車が市内を走り回る
風景よりも、子どもたちが遊ぶ風景の方を伝えたい。
いずれも昨年、ほぼ同じ時期のことなのだが。

0408Tank

0311Ball

ちなみに子どもたちの遊んでいるところは、最近では
バグダッドの中でも「反米勢力」との衝突ですっかり
有名になってしまったハイファ通りのすぐ近く。
子どもたちの日常の場所を「戦場」と呼ぶような場所に
したのは一体誰のせいなのか。

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2005.05.05

Little Birds -イラク 戦火の家族たち-

4月末の某日、アンマン某所にて、綿井健陽監督作品
『Little Birds -イラク 戦火の家族たち-』を見た。
(参考URL: http://www.littlebirds.net)
LB2_234_60
本作品は現在、東京・新宿K's Cinemaにてロードショー
公開中の作品(http://www.ks-cinema.com)なので、
本来そこに足を運んで見たいとこがこちらは海外滞在中の身。
本来は涙を呑んで我慢して...というところが、たまたま
この時期アンマンに来られていたイラク支援関係者のAさんが
DVDを持参されていたので、急遽こちらで鑑賞する機会を
得たのだ。
同じく支援関係者のBさん、イラク人のCさん(いろいろ事情が
あるので全部仮名ですみません)と一緒に見るという、
考えてみるとかなり贅沢な環境で見ることになった。

作品のあらすじ等は前記のURLを参照して頂くとして、
ひとことで感想を述べてしまうと、「痛み」を感じる作品だった。
後づけのBGMを排して現場での録音と映像で構成される
イラクの報告は、実際に自分が現地に足を運んで感じたもの、
イラクの人々に出会って話しを聞いたときに感じた胸の、
身体の「痛み」を追体験させる迫力があった。

そうは言っても、私自身は戦争の現場に立ち会ったわけでは
ない。
私のイラク体験は、わずかなもので、全てが2003年の戦争の
後のことだ。
それでも、以下のような出来事を走馬灯のように思い出させて
くれたのがこの作品の映像と音だった。

○ 私にとってイラク入りの初日、2003年7月16日にラマディで
  自分の乗る車に米軍から威嚇射撃を受けたときの射撃音と
  そのときの戸惑い(怖さを感じる前に戸惑っていた)

○ バグダッドで出会った、街中を縦横無尽に走り回る
  戦車の音
  (米軍の装甲車部隊には、その後も銃口を向けられることが
   何度もあり、肝を冷やした)

○ チグリス川沿いを超低空飛行で威嚇するかのように飛ぶ
  軍用ヘリコプター
  (ヘリコプターの音と言えば、2003年3月、当時滞在中の
   米国サンフランシスコでイラク反戦デモの時期に上空を
   一日中飛行していた取材用ヘリの音も記憶から消えない。
   しかし、軍用ヘリはそんな比ではなく、高速回転の
   ローターが爆音を立てるのだ。
   この音を聞くと反射的に身を伏せたくなる。)

○ 2004年1月、滞在中のバグダッド市内のホテルの裏手から
  バグダッドホテルを狙った迫撃砲が発射されたときに
  部屋で感じた、部屋の表と裏の両方から時間差でやって来た
  衝撃波の大きさと恐ろしさ

いやいや、こんな私の記憶などまだまだちっぽけなものだった。
イラクの人々はもっと大変な思いをしていているわけだし、
その様な日々がまだ続いていることにも気づかなくてはいけなかった。

そして何より、日本人としては、この戦争で間接的ながらも
加害者になっていることにも気づかなくてはいけなかった。

戦争は自然災害ではない。人によって引き起こされる。
この作品の中でもそれが告発されていると思う。
そしてその戦争を引き起こす人とは他ならぬ私たちで
あったりするのだということも考えなくてはいけない。
イラクのアメリカ軍兵士は、イラクを「開放」し「民主化」する
ためにイラクに来ていると言われているし、実際に映像に出て
来るアメリカ軍兵士はその様に信じているように見える。
だから綿井氏らの取材で迫られても、告発されても、
戸惑うばかりで何を問われているのかがわかっていないように
見える。
私たちは銃を持ってイラクに来ているわけでは無いが、しかし
戦争の意味を問われて戸惑いを見せるアメリカ軍兵士を
笑うことはできない。
私たちの代わりとして自衛隊が「人道復興支援」だと称して
イラクに足を踏み入れている。その本当の意味をイラク人に
問われて、私たちはイラク人の顔を正視して答えられるだろうか。
無邪気に、食事の風景の取材に応じている自衛隊の映像を
この作品の中で見て、その様なことを思った。

蛇足: 不肖ワタクシもこの作品の中に登場しております。
     綿井さんのレポート部分を除けば恐らく唯一日本語の
     場面であろうかと思います。この様な機会を通じて
     活動の一端を知って頂ければ幸いに思います。

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2005.05.01

オム・ファイサルの哀しみ

アンマン郊外にある薬局に医薬品購入の相談に行く。
パレスチナ人の店主は面倒見が良く、イラク向けの医薬品を
購入する際には何かとお世話になっている。
店先には最近おなじみとなったイラク人のオム・ファイサル
(通称で「ファイサルのお母さん」という意味)がちょこんと
座っていた。
彼女は70歳を越えるお婆さんで足も不自由なのだが
にこやかな笑顔が魅力的なお婆さんである。
娘さんがバグダッド在住なのだが、イラクは治安が悪く
生活が成り立たないということでヨルダン滞在中とのこと。
しかし身寄りがなく、面倒を見てくれる人も少ないので、
薬局の店主が日なが一日、話し相手を務めて面倒を見ている
のだという。
その店主の話によると、彼女のこれまでの経験を聞くと、
大河ドラマとなるくらいに波乱万丈だという。サダム政権下の
イラクからトルコ経由で脱出し、ブローカーにお金を払って
黒海を渡るぼろ船に乗り、東欧からオランダにたどり着き、
娘、息子はそこで移民となったが自分にとってはついに
安住の地とはなりえず、結局中東に戻り今はヨルダンという
あらすじだけを聞いても確かに大変なものだ。

昔は化学を専攻していたということで、英語も達者に話す。
その上、バグダッド在住の娘さんのほかに、オランダで移民となった
息子さん、米国在住の娘さんもいるということなので、どこかで
厄介になればよいのでないかというのは他人の考えることで、
本人曰く、若い子どもの世代はともかく、自分の世代では
移民先では同世代がおらずアラビア語で話せる話し相手も少ない、
老い先短いのであればやはり住み慣れたアラブ諸国が良いという。
最後はやはりイラクに帰りたいが今は帰れないという。

確かに28日には新内閣の閣僚名簿が公表されて、不完全ながらも
イラク新政府は走り出そうとしている。しかしそのとたん、29日には
バグダッドをはじめ各地で爆破事件が続発した。
私の知人の家も近所で起きた爆風の影響を受けてガラス窓が
吹き飛んだという。

そんなことを考えながら次の言葉を捜していたら、オム・ファイサルの
顔が曇って泣き出してしまった。
今のイラクのことを考えるといつも悲しくなってしまうと言う。
美しいイラク、中東の中でも一番と言えるほどの繁栄を誇っていた
時代を知っているだけに、今の荒廃ぶりを見聞きするにつけ、
いたたまれなくなるという。

オム・ファイサルがいつも笑顔で過ごせる日はいつ来るのだろうか。

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