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2005.04.22

禁酒について

4月21日は預言者ムハンマド生誕祭で祝日になっています。
普段ではビールも飲める中華料理店でも、昨晩からは規定で
アルコール飲料は出してはいけないことになっているとかで、
飲めませんでした。
そう言えば、我が家の近所の酒屋さんもきょうは一日店を閉めて
いました。
飲酒の規制が厳しいのはアラブ諸国に共通していることですが、
クウェートを訪れた時にヨルダン以上い結構厳しかったのを
憶えています。
有名なクウェートタワー近くの海岸沿い、アメリカンスタイルの
しゃれたステーキレストランを訪れたときも、いかにもお酒が
飲めそうなカウンターバーまでしつらえてあるお店なのに、
お酒はダメ。
代わりに頼んだのがノンアルコールのバドワイザー!
バドにノンアルコール物があるとは知りませんでしたし、
やはり味は今ひとつでした。
外はビールを飲みたくなる暑さなのですが、こればかりは残念。

イスラム諸国ではなぜ禁酒なのかにも諸説がありますが、
お酒を飲むことで一瞬でもアッラーのことを忘れることがあっても
いけないのだという説を聞いたことがあります。
ヨルダンの某氏の説明による、飲酒によって精神的にたがが
外れて、コーランでも禁止されている良くない行いをする恐れが
あるから最初から酒を飲むこと自体が禁忌事項になっているのだ
という説もより現実的、具体的で説得力があると思います。

na_bud
“NA=ノンアルコール”の表示も目立つバドワイザー
(4月8日、クウェート)

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2005.04.19

あれから一年後に

2004年の4月前半は日本人人質事件の発生中に
バグダッドに居て、救出に向けての動きにも加わり
一喜一憂する日々が続いていた。

私の場合はあれから一年後として節目の日となるのは
4月18日のことだ。
この日にバグダッドを発ち飛行機でアンマンに移動して以来、
イラク国内に足を踏み入れる機会を失っているという意味で。

BIAP

写真は一年前、2004年4月18日の撮影で、バグダッド
国際空港に向かう道路上で、炎上したトラックの残骸が見られた。
そして、ほぼ一年後の2005年4月16日(土)このほぼ近くと
思われる、空港に向かう道路で自動車爆弾による自爆攻撃により
アメリカ人ほか3名の命が失われた。
このアメリカ人はイラク人の一般市民の戦争被害者に対して
賠償金を支払うようにと議会に訴える活動をしていたNGOである
Campaign for Innocent Victims in Conflict(CIVIC)の代表
Ms. Marla Ruzicka さん(27歳)だった。
この様な外国人だけではなく、毎日のようにイラクの市民にも
武力衝突による犠牲者が出ている。しかしそうした犠牲者に
補償をと訴えていたNGOのメンバーが命を落とすとは何という
皮肉なことだろうか。

1年前に、イラク人道支援活動に携わるメンバーを含めた
日本人人質は無事に解放された。そしてまた、NGOとして
現場に居た自分は幸いにも危険な目に会うことなく今も
過ごすことができている。しかし、この様に命を落とす人道支援
関係者もいる。
安全には万全を期していると言うのはたやすいが、しかし、
やはり次は自分の番にならないとは限らない紙一重の差の
ところで過ごしていることを意識せざるを得ない。

Marlaさんの活動に敬意を表しつつ、彼女の命を奪った運命の
非情さに言葉を失う。                    合掌

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格闘技好き

YVSI
<イラク対イエメンの試合>


中東の人々は格闘技が大好きらしい。
映画でもアクション映画に人気がある。
日本人だと誰でも空手など格闘技の心得があると
思われている節もあるし、もっと困るのは、バグダッドでも
経験があることだが、日本人だとわかると「ジャッキー・チェン!」と
声を掛けられること。
日本人と香港人の区別が付かないのかと笑うのは簡単だが、
それでは、日本人から見てヨルダン人とシリア人とイラク人と
エジプト人の区別が簡単にわかるかと言われれば、相手のことを
笑えなくなる。

18日は日本からの訪問者があったので、アンマン旧市街を
案内ついでに中心部のローマ劇場に行ってみた。
すると、やけにきょうは訪問者が多く盛り上がっている。
聞くとこれからキックボクシングの大会があり、10分後には
始まるというので、それでは見てみようという訳で中に入る。
円形劇場のすり鉢の底に当たる部分にロープなしの特設リングが
しつらえてあり、観客席には各国別に応援団が陣取っている。
参加国はイラク、パレスチナ、イエメン、チュニジア、シリア、
レバノン、ヨルダンなど、国名だけを見ると日本では紛争国の
イメージが強すぎる国々だが、ここではそんなことは関係ない。
それぞれひいきの国を応援しつつ和気あいあいと言った雰囲気だ。
しかし、その中でも一番賑やかと言うかうるさいのはどこかと
言えばイラクだった。

Oendan
<応援席は手前からイラク、パレスチナ、イエメン、シリア>

さて、確かに始まると聞いた時間にアナウンスがあったものの、
なかなか始まらない。
前年度の入賞者の表彰だろうか、延々と表彰をやっている。
見るとほとんどの級で1位はイエメン。おかげでイエメンの国歌を
何度も聞くことになるのだが、録音テープの状態がおかしいのか、
音が間延びしている。それでも国歌演奏と国旗掲揚ということで
粛々とセレモニーが続く。

結局試合が始まったのは最初のアナウンスから1時間ほど
後だっただろうか。このあたりもやはりアラブの国らしい。
試合は3分2ラウンドで4名の審判の判定により勝負が決まる。
最初はイエメン対パレスチナ。同僚がパレスチナで仕事をして
いたり、関係があるので、パレスチナを応援するが、鍛えた
筋肉で安定した動きを見せる赤コーナーイエメンに対して、
青コーナーのパレスチナ選手は終始劣勢で、素人目に見ても
迫力が足りない。案の定負けてしまったが、試合後に互いの
健闘をたたえ合う様子は見ていてすがすがしい。

第2試合は赤コーナーイラク対青コーナーイエメン。
この試合は互角の打ち合いになる。観客席ではイラク応援団が
大声援を送るが、やはりイエメン強し!
僅差の判定でイエメンの勝ち。
しかし、イラク選手も応援団席に戻って大歓迎を受ける。
次の試合の選手がリングに上がろうとしていても、声援が
終わらない。
イラク人はこんなに熱い国民だったっけ?とふと思う。

第3試合は赤コーナーチュニジア対、青コーナーシリア。
シリア選手も健闘するが安定度の勝るチュニジア選手が
的確なパンチを浴びせて判定勝ち。
こうして観戦記を書いていると、中東の人々の格闘技好きが
私にも伝染して来たような思いがする。
そう、こういう試合で一喜一憂して、そういうこちらの人々の
人間くさいところが好きだ。


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2005.04.16

Asylum Seeker

アサイラム・シーカーというコトバは
日本語に直すと「庇護希望者」となるのですが、
なかなか日本ではなじみの少ないことばでは
あろうかと思います。

パリの中心部で15日未明に発生したホテル火災の
事件に関する報道を見ていたら、この言葉が出てきました。
このホテルは旅行者向けのいわゆる「安ホテル」だった様で、
日本語のニュースではアフリカ系移民も多く利用していたという
表現になっていますが、この部分をBBCのニュースでは
AsylumSeekerが利用していたと伝えていました。

「庇護希望者」という言葉は、移民、そして難民に対して
使われます。
そこには保護を必要としている、希望しているという意味が
あります。
移民、難民の存在が当たり前になっているヨーロッパ諸国では
この言葉が良く出てきますが、日本語でなじみがないのは、
そういう移民、難民を受け入れてきた土壌が少ないことの
反映かもしれません。
難民認定前の申請中の人々についてもこの言葉が使われる
のは、そういう人々が保護を必要としているからに他なりません。

しかし、移民先進国と言われる欧米諸国にしても、中東系
移民を中心に、追い返せば出身国で迫害に会う恐れがあると
知りながら追い返している例が、特に9-11以降少なくないと
聞きます。
パリの火災事件を伝えるBBCニュースはその後にそんな話の
一つとしてカナダがシリア出身者を追い返したニュースを伝えて
いました。

日本はその様なニュースを他の国の出来事として聞くのではなく、
「庇護希望者」という言葉がふつうに聞かれるように、保護を必要と
している人々を受け入れる人権先進国であって欲しいと思います。
それが本当の意味での「国際貢献」ではないかと思います。

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2005.04.15

アンマンに”帰国”

14日朝のフライトで午後にはクウェートからヨルダンに
戻りました。
飛行時間約1時間半はあっという間です。
クウェート航空の機内ビデオでは、なぜか航空機を背景に
アラブのおやじが音楽を奏で、踊りまくるというビデオが
流れていました。
おかげさまで中東滞在が長くなってきたので、最近は
この手のものにもかなり慣れましたが、やはり意味が
よくわかりません。

さて、機内から見ると、やはりヨルダンは砂漠の中という
感じがします。

jordan_td

そして、アンマに到着した早々に伝わってきたのが
この日の朝のバグダッド、ジャドリヤ地区での爆破事件のこと。
イラク警察の車両の列を狙って複数の車が爆発し、AP通信では
18人が死亡、36人が負傷とのこと。
現場はジャドリヤ地区の大通りで、アルハムラホテル近くの
レストランの前で、私などもバグダッド滞在の際には良く通りかかり、
なじみのある場所です。

バグダッドではこのところの移行国民議会の開催に合わせて、
厳重な警戒態勢を敷いているので、そのために爆破事件の件数は
確かに相対的には減っていたと報道では伝えられていました。
しかし、事件が起こらなくなっているわけではなく、また規模の小さな
撃ち合いはまだ起きていることはバグダッドの知り合いから聞いて
いたので、事件が起こったことにはさほど驚きませんでしたが、
しかし現場が結構なじみの場所であったことや、今回の事件でも
一般市民から子どもを含む犠牲者が出ていると聞いて胸が痛みます。

<クウェート訪問記は今後順次掲載の予定です>

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2005.04.13

「中国の反日デモ」報道に接して

bbc_china

12日22時のBBCワールドのニュースでは、全部で
27分の時間のうちトップから10分間の長時間に渡って
中国の反日デモに象徴される日中の衝突を扱っていた。
英国時間19時という特別ニュースとして一番注目される
時間帯に米国のラムズフェルド国防長官のイラク電撃訪問の
報道を押しのけてのトップニュース扱いに、BBC(英国)での
注目ぶりがわかる。
日本側の歴史教科書の書き換えを契機にした今回のデモの
話から、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを
狙っての駆け引き、そして中国での旧日本軍による廃棄毒ガス
兵器による被害にまで触れ、非常にバランスの取れた報道だった。
解説者と司会者の対談の最後に、「アジアの2大軍事大国の衝突が
問題だ」とする司会者のコメントに、解説者が「問題はその通りで、
しかも両国の間に相互理解の対話が足りないことが心配だ」として
いるところに寒気を感じた。

4月12日 クウェートにて
(画面はいずれもBBC Worldより)

Koizumi

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2005.04.09

いざクウェートへ

amman_dep

クウェート行きの飛行機に乗ろうとアンマン国際空港の
搭乗ラウンジで待っていると、モニターに映し出されたのは
ヨルダンTVで生中継されるヨハネ・パウロ2世の葬儀の
模様だった。
さすがにキリスト教の祈りが続く場面になりそうになったと
思ったら中継が終わりになってしまった。

クウェート航空は今年で50周年記念だそうで、機内誌にも
その歴史が綴ってある。
興味深いのは、やはり90年8月の「イラク侵攻」に触れている
くだりだ。
空港設備が破壊されたり、飛行機が戦利品として取られたり
という被害に遭いながらも、会社はエジプトに避難させて存続し、
91年2月の”解放”の後、国外からの避難民の輸送に尽力したと
書いてある。侵略に遭いながらも国の独立を訴えたという話と
一緒に、当時の子どもの絵も掲載されていた。
行間を読むまでもなく、そこからは国の独立を奪われた痛みと
「侵略者」イラクに対する怒りが表現されていた。

機内誌の表現だけでもこの調子なので、クウェートでイラクの
話を聞いたらどういう反応になるのかと心配になった。

さて、そうこうしているうちに1時間半ほどでクウェートに着く。
実は出発時間が1時間ほど遅れたので、到着時間が気になった
のだが、到着時間は予定通り。
到着時間の余裕をみて最初から出発時間が遅れても良いと
見込んであったらしい。
どうりで出発が遅れても何もアナウンスがなかったわけだ。
この辺がいかにもアラブの国らしい。

クウェートはヨルダンとも時差なしなので楽だ。
ただ、空港到着時にビザを取ることになっていたので、
入国手続きでごった返す入国カウンターにそのまま向かう訳に
行かない。さて、どうしたものかと思っていると、入国カウンターとは
別にImmigration(移民)の看板がある。
そこでも結局違うと言われて、上の階に行かされて、ビザ発行
カウンターで無事に3ヶ月滞在可能な入国ビザが発行された。
後から気づいたのだが、移民用の専用カウンターがある当たりが
やはりクウェートらしい。というのもこの国は人口の中での移民の
比率が高く、インドやパキスタン、フィリピンを中心としたアジア系
労働者によって経済が下支えされているからだ。

さて、到着ロビーを出てタクシー乗り場に行くが、タクシー待ちの
客がいるのに肝心の運転手がいない。
しかし、待たされている客も落ち着き払っていて待たせれている
ことに不満な様子がない。
変だと思っていると、しばらくしたら今度は大挙してドライバーが
やって来た。この一団がどこから来るのかを見てやっと納得した。
彼らは空港に併設してあるお祈り所から出てきたのだ。
ちょうど私の着いた時間帯がお祈りの時間だったので、
待たされたわけだ。アラブの国々では万事がこの調子だ。
これでいちいち待たされたことで怒ってはいけないのだ。

Kaaba
(機内モニターにはメッカ(カーバ神殿)の方向が表示される。
 この辺もアラブらしいと言えばアラブらしい。
 そう言えば機内の飲み物にもアルコール類はなかった。)

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2005.04.08

クウェートに行って来ます

4月8日より14日までクウェートに出かけて来ます。

思えば昨年のこの期間はバグダッドにいて、
人質事件も起きててんやわんやの時期でした。

クウェートではイラクを支援する活動をしているなどと
軽率に言わない方が良いと、クウェート在住の経験のある
ヨルダン人の知人から忠告されています。
4月8日はバース党の設立記念日だし、9日はサダム政権が
崩壊した日に当たります。そんな日にクウェートに居ることに
なるのは確かに微妙なものがあるのでしょう。


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2005.04.07

竹島問題がアルジャジーラでも

Korea

竹島問題がアルジャジーラでも報道されていた。
自分が遠く離れた中東に居るので、どうしてこの問題が
持ち上がったのか、細かい経緯はインターネットで日本発の
ニュースを斜め読みしているだけなので、きちんと追えている
とは言えないが、とにかくいきなり日韓の国旗が並んで画面に
出て来たので何事かと思い、ニュースに注目した。
竹島の領有権問題を明記するように日本側が教科書を書き換えた
ことに対して韓国側の反発のニュースだった。
ヨルダン人の知人がこのニュースを一緒に見ていたので、
アラビア語の放送の模様を解説してもらっていたら、
彼は「日本は韓国の領土だと言われている島を占領している
のか?」と言う。
報道は日本の動きに対する韓国側の反発を肯定するような
伝え方だっただけに、その中で日本が「占領」と伝えられて
いるとしたら好ましくないと思う。
報道の中で小泉首相も登場して、韓国側に感情的にならない
様にとの発言をしていたようだ。
しかし、そもそもこの問題がなぜ今クローズアップされるのか
という事に立ち帰れば、日本側の責任も免れられないと思う。
領土問題を主張するのも結構だが、長年争った経緯があるので
あれば、感情的に自分の主張を繰り出すのではなくて、冷静な
議論が必要だと思う。
それでもやはり、なぜ今なのかという疑問が残る。
日本が過去の負の歴史の反省を怠ってきたツケが、この様な
機会にも出ているのだろうか。

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REBUILD IRAQ2005にて

Re-IRAQ

さて、ここはどこでしょうか。幕張メッセではないし、現在
開催中の愛知万博の会場でもありません。
アンマン国際見本市会場で4日から7日まで開催中なのは、
”REBUILD IRAQ2005”展示会で、日本語に訳すと
”イラク復興国際見本市”とと言ったところでしょうか。
ここに集うビジネスマンたちは景気が良さそうですが、
しかし、ヨルダン在住のあるイラク人が、「イラクはまだまだ
治安安定をはじめとして問題が山積みで、とても経済復興
どころではない」と言っていたことも考えると、この会場の賑わいも
祭りの華やかさの影で、どこか戦場ビジネスの禿げ鷹のような
寒々としたものを感じます。
そんな一方、イラクではちょうどこの日(6日)になってやっと、
移行国民議会で新大統領が選出されています。

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2005.04.05

ヨハネ・パウロ2世の逝去

Vatican1

ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が逝去された。
私はカトリックでもないし、キリスト教徒ではないが、
ポーランド出身の司教がローマ法王に選出された時の
ニュースを何故かはっきりと憶えている。しかしそれが
1978年のことだったと聞いてそんなに昔のことだったかと
改めて驚いている。

中東でも衛星TVの英語ニュースはヨーロッパの局で
あることが多いので、自然とヨーロッパ中心のニュースに
接することになる。
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の逝去はもちろんヨーロッパに
限らず、間違いなく世界規模のニュースだ。
土曜日の夜、危篤状態が伝えられる段階から、ヨーロッパは
もちろんのこと、南米で、中国で、フィリピンで、世界各地で
回復を祈るカトリック教徒の祈りの模様が報道されていた。
中でも最も印象的だったのは確かパレスチナだったと
思ったが、イスラームのモスクで聖職者が祈りを捧げ、
インタビューに答えて、異なる宗教であっても聖職者に
尊敬の念を抱くのは当然で快癒を祈ると答えている
様子だった。

祈りはかなわず亡くなってしまったが、バチカンの広場を
埋め尽くす人々の姿は亡き法王がいかに多くの人々に
慕われていたかを示していた。

金曜日に行われる予定と発表のあった葬儀も、空前の
規模の参列者が予想されると言う。
その参列者の中に米国のブッシュ大統領が加わるとの
ニュースを伝えるBBCの報道はかなり痛烈なものがあった。
なぜなら、ローマ法王はイラク戦争に至ったアメリカを批判して
いたからだ。
ゲスト解説者の司教に対しての司会者の発言ではあったが、
どの面を下げて米国大統領はローマ法王の葬儀に参列するの
だろうかと言った調子の発言だった。

ことジェンダーに関してはまだまだ保守的との批判もあった
法王であるが、ある程度は致し方がない点もあるだろう。
ただ、世界の平和と和解の促進に関する貢献は大なものが
あるとするのがどの解説にも共通するものだった。

Vatican2
追悼の模様を報じるレバノンのTV局
(左隅の喪章はレバノンの前首相ハリリ氏の暗殺の
 真相究明を求めるもの)

Vatican3
ヨルダンの国旗の掲揚塔も日曜からずっと
旗の掲揚を止めている。

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2005.04.02

夏時間!

ヨルダンでは、31日深夜12時に時計の針が1時間進められて
夏時間になった。
グリニッジ標準時+3時間で、日本との時差は-7時間から
-6時間に一時間縮まった。
イラク時間はヨルダン+1時間なので、イラクの日本との時差は
-5時間になったというわけだ。
今回はイラクとヨルダンが同時に夏時間になったので、まだ
わかりやすいが、必ずしも同じ日に切り替えるわけではないので、
ずれがあった場合はややこしい。
31日付けの地元英字紙ヨルダンタイムズの報道によると、
サマータイムにより省電力効果などで年間5百万ドルの
節約になるとのことだが、あまり実感がない。
確かにここ数日で一気に暑くなったので、夜間の暖房が
必要なくなったのは確かだが。一方で、新聞には、暖房用の
ガスで一酸化炭素中毒で死者が出たとの報道も出ていた。
死者2名のうち1名がイラク国籍というのも、確率の問題で
偶然にしても、この国のイラクとの関係の深さを思わせる
ものがある。

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2005.04.01

アルバインとイラク近況

ALB2

3月30-31日はシーア派の祭事”アルバイン”で、聖地カルバラは
多くの巡礼者であふれかえったと聞く。
(写真はイラクの衛星放送TV、シャルキーヤの画面で、
祭事の最高潮となった30日の晩のもの)

アルバインとは...
7世紀に中部カルバラで対立するスンニ派のウマイヤ朝軍に
包囲され非業の死を遂げたシーア派の3代目イマーム
(指導者)のフセインを追悼する行事。
フセインの死後40日目に当たる日に行われる。
旧フセイン政権は、反体制運動につながるとして禁じていたが、
政権崩壊で昨年四半世紀ぶりに復活した。
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2004/0403_6.html

バグダッドの知人も数日前からバグダッドから徒歩で南に向かう
巡礼者の熱気が凄かったと聞いていた。
イスラム教新年が確か2月10日で、新年10日目(アシュラ)が
フセインの殉教の日で、この日にお祭りが行われ、
さらにそれから服喪期間40日目(アルバイン)がこの日の
お祭りに当たる。
昨年はこの期間にカルバラとバグダッドのシーア派モスクで、
今年もアシュラの後にバグダッド南方のヒッラでの爆破事件で
多数が死傷する事件が起こっているので、アルバインを狙っての
爆破事件が心配されていた。
バグダッドではちょうどこの時期に移行国民議会が召集された
こともあって、かなりの厳戒態勢で警備が敷かれ、さらに南部の
シーア派地域でも万全の体制が取られたこともあって、これらの
地域では幸いにも大きな事件は起きなかったが、しかし、
厳戒態勢の南部の裏をかくように、バグダッド北部のスンニ地域で
シーア派モスクを狙った爆破事件が起きている。

国民議会も29日にいったん開かれたものの、もめにもめている。
占拠でシーア派の会派が多数派となったものの、それでも
総議席275の3分の2の議決権をひとつの会派で占めることが
できなかったので、クルド政党との連合をもくろんで多数派工作を
しているのだが、これがうまく行かず、大統領や首相はおろか
議会の議長さえ決められていない。
29日も途中から報道を締め出しての密室会合になっており、
それでもまだ決まらず、今度は日曜日にも再協議との話も
出ているが、果たしてどうなるのだろうか。

この様な不安定な状況のせいか、ヨルダン-イラク国境も
31日から1日まで閉鎖されている。

ALB1

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