« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005.03.31

一気に夏?

Hanabi0330
(3月30日、アンマンの自宅アパートより)

2月よりアンマンに滞在し、医療の専門家としてのアドバイスを
頂いていた井下医師が27日の晩にアンマンを出発して
日本に一時帰国されました。
この井下医師の出発を待っていたかのように、一気に
アンマンは暑くなり、冬から春を通り越して一気に夏に
なったかの趣きになっています。
アンマンの渋谷(と言ったらほめ過ぎ?)のシメサニ地区に
ある温度計の表示はついに29日には28℃を超えていました。

日本でも夏といえば花火!
これにちなんだわけではありませんが、アンマンでも
良く花火は打ち上げられます。
恐らくは日本ほど火薬の取り扱い規制が厳しくないと
言うこともあるかと思いますが、結構街中でも打ち上げて
います。
今年も暑くなったかと思ったら、早速花火も登場しました。

こういう花火を眺めている余裕があるうちはまだましなのでしょう。
バグダッドでは爆発音といえば花火などと悠長なことを言っている
場合でなく、本物の爆発や撃ち合いでしたから。
そのイラクでは29日に召集した2度目の移行国民議会の集まりで
多数派工作をもくろんだシーア派とクルドの政党の調整がつかず、
議長の予定だったヤワル氏が固辞するなどの影響で、新政府を
作ることができないでいます。
バグダッド市内では、この議会審議の進行と、この月末に行われる
シーア派のお祭り(アルバイン)を控えて厳戒態勢で、
道路封鎖が厳しく、知り合いの医師は30日には病院に出勤できない
ほどでした。
アンマンもそうですが、イラクもこれからまた一段と暑い夏に
なりそうです。

TVでは昨年末以来の2度目の地震に襲われたインドネシアの
模様が伝えられています。こちらの方にも目が離せず心配が
続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.27

井下医師の帰国とイラク報告会

2月からアンマンに来られていて、医師として専門の立場から
JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の現地医療
コーディネーターを勤められていた井下医師が27日の晩に
アンマンを発ち、一時帰国されます。(成田到着は29日の朝)
早速4月1日にはこちらでの成果を日本の皆さんにお伝えする
報告会が開かれます。
エイプリルフールと言わずにだまされたと思って足を運んでみて
ください。移行国民議会選挙も行われ、イラクは「民主化」された
などと言われていますが、医療の問題をはじめとしてこの国の
社会福祉のインフラの問題はまだまだ問題が山積みになって
います。
その様子の一端でもお聞かせできればと思います。

JIM-NETについては、以下のURLをご参照ください。
Blog: http://www.doblog.com/weblog/myblog/18838
HP:  http://www.jim-net.net/

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
              報告会のご案内
           ~イラク戦争から2年~
         「イラクの医療支援を考える」
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 イラク戦争が始まって2年が経ちました。いまだ復興は
進まず、現地の人々は厳しい状況に置かれたままです。
医療現場の状況も厳しく、湾岸戦争の劣化ウラン弾の
影響と思われる白血病の子どもたちは、依然として
十分な治療を受けることができません。
 JVCはヨルダンを拠点に、イラクの白血病の子どもたちへ
医薬品支援を続けています。ヨルダンから一時帰国中の
井下俊医師と佐藤真紀が、医療支援の現場からとらえた、
今のイラクについてお話します。

【日時】4月1日(金)18:30開場 19:00開演
【場所】平和と労働センター8F 全日本民医連会議室
【住所】東京都文京区湯島2ー4ー4
     (JR御茶ノ水駅から徒歩10分)
【地図】http://www.min-iren.gr.jp/search/map/map.html
【資料代】500円 
【定員】70名 ※事前の予約は不要です。

【報告者】
・井下 俊 :医師。西チモールやパレスチナ、コソボなどで活動。
       趣味は尺八。世界各地で吹きまくる。
・佐藤 真紀:JVCイラク担当。パレスチナ駐在を経て現職。
       著書に「子どもたちのイラク」(岩波書店)など。

問い合わせは makisato@ngo-jvc.net
まで

| | コメント (0) | トラックバック (0)

エルサルバドルに想う

BCCワールド(衛星放送ニュース)をぼうっと見ていたら、
中米で殺されたカトリックの司教の追悼記念祭の模様が
放送されていました。
私の記憶に間違いがなければ、これは1980年の3月24日に
ミサの最中に射殺されたエル・サルバドルのロメロ司教の
ことではないかと思います。
このエル・サルバドル内戦については、長倉洋海氏の
写真で知り、長い間興味を抱いていました。
(アフガンは最初にソ連の侵攻時に注目していて、
後からやはり長倉氏の写真で更に興味を抱きました。)

ロメロ司教は死の直前に兵士に対し「わたしは乞う、願う、
命令する。神の名において、民衆抑圧をやめよと!」と
説教したとのこと。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/salvador/salvad1.htm
軍事独裁によってもたらされる悲劇について聞かされることは
少なくありません。
また戦争の不条理は今現在もここで日常の様に見聞きしています。
しかし、私の中の原点として、エルサルバドルのロメロ司教暗殺の
エピソードほど衝撃的で心に引っかかったことはありませんでした。

この話はオリバー・ストーン監督の映画「サルバドル~遥かなる日々~」
の中にも出て来ます。ちなみにこの映画はフィクションながら戦場の
現場の視点から反戦を訴えている秀作で、私はこの映画に多くの
影響を受けています。戦争の不条理、現場の切迫感、ささやかな幸せと
家族のつながりが国境を越えたところで「不法滞在」の紙切れの
おかげで断ち切られるなど、今の私がテーマとしている問題が
全てここに出て来ます。同年(1986年)に作られた「プラトーン」の
方が有名ですが、私はこの作品の方が上だと思っています。

最後に、カトリックと言えば、現在、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の
健康状態が心配されていて、このニュースも気になっています。
ヨルダンでは衛星TVで英語ニュースを見ていてもヨーロッパの局が
中心なので、この件をはじめとしてヨーロッパのニュースが身近に
伝えられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.20

2年前のこと、そして今は...(その2)

2年前に戦争が始まったその日、
私はアメリカ西海岸にいた。

SFO

2月から難民救援NGOのIRCでのインターンで
約3ヶ月の米国滞在中のことだった。
5月のブッシュ米大統領の「主要な戦闘は終わった」
との演説を聴いた翌日に米国を後にして日本に
帰国したので、結局開戦前から戦争中、戦争直後を
通して、戦争当事国の米国でこの戦争を見ていた
ことになる。

2月の国連査察団の撤収と国連決議による
外交圧力の高まる中で、サンフランシスコでの
反戦デモに毎回の様に参加。
米国と言っても戦争に賛成する者は周りには
ほとんどいなかった。
そして、西海岸時間19日の夜は、よりによって、
NPOインターンシップのプログラムで、平和に
関するワークショップを開き、私はその司会を
務めていた。
ワークショップ開始前のぎりぎりまで、開戦前の
最後の抗議行動とも言われた街頭デモに
顔を出すなど慌しい日だった。
ワークショップでは、平和をどう考えるべきか、
私たち市民の中からどう育てるべきかという
議論が交わされた。
そういう議論をあざ笑うかのように現実は
先に進んでしまっていた。
ワークショップを終えた頃に、ゲストで招いて
いたバークレー市の平和と正義(Peace&Justice)
諮問委員会のスティーブ・フリードキン氏の
携帯電話に連絡が入り、雰囲気が慌しくなり、
彼から聞いて攻撃が始まったことを知った。

翌日の朝、反戦デモはサンフランシスコ市内
中心部をブロックするほどの大きな抗議行動と
なった。
この時にPeace&Justiceと大書した棺おけを担いで、
始まってしまった戦争への抗議の意思表示をしていた
グループの模様が印象深かった。
たしかにあの戦争でアメリカの平和と正義は
死んでしまったという実感があった。

PandJ

それから連日、新聞の最終面はイラクの地図で
埋められ、進軍の模様が図示される日々が続いた。
でも、その戦争が本当は何であったのかを、私は
アメリカで見ることはなかったのかもしれない。
イラクに来て初めて知ることになった。

2年後のアメリカでは、パサデナでの抗議行動で
米国の戦死者の数を表す戦闘靴(ブーツ)が
並べられた。
アメリカはこういう形でしか戦争の結果を見ることは
なかったのか。

日本でも2年後の抗議行動も開かれたが、どうも
覚めてしまっている自分が気になる。
イラクは2年前よりも、とにかく目の前をどう過ごして
行くかの方がまだ気になる状態だから、どうしても
そちらの方に目が行く。

Boots


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2年前のこと、そして今は...(その1)

PB

BBCの衛星TVニュースでは、アジア各国を訪問中の
米国のライス国務長官の北朝鮮に対する強気の
演説を報じていた。日本発のこの報道に続いて、
その国務長官訪問中の日本ではという調子で
日本で行われたイラク戦争開戦2周年を期しての
反戦デモの様子を伝えていた。
ユーロニュースも同様に、日本発の反戦デモの
模様を時間をかけて伝えている。
時差の関係で世界で最初に始まるということもあっての
ことだが、これだけ丁寧に伝えると言うのも、アメリカ
一国主義を止めたいという欧州メディアの考えの
反映ではないかと思われる。

WPN


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.19

ハラブジャの悲劇と日本の関係?

16日はイラク移行国民議会が召集され、歴史的な日だと
報じられているようですが、17年前の1988年のこの日は
化学兵器による攻撃によって5,000名ものクルド人の
殺戮が行われた「ハラブジャの悲劇」の日でもありました。

そして、旧サダム政権に対してこれらの化学兵器の材料を
売ったという罪状でオランダ人のビジネスマンが起訴された
という報道
が18日にありました。
彼が売ったとする化学兵器の材料が実際に虐殺に使われた
ということが明瞭に証明できないと、法的に有罪とするのは
難しいのではないかとの解説がありましたが、このニュースを
BBCで聴いていて気になったのは、
「彼はアメリカと日本からサリンガスの材料をイラクに売ったと
言われています...」のひとこと。
一瞬聞き間違いかと思いましたが、確かにジャパンと
言っていました。
私はジャーナリストでないので、これ以上突っ込んで調べる
余裕はないのですが、こういうところで日本がつながって
いると聞いて驚いています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.18

レバノンよりシリア軍が撤退中

シリアのアサド大統領がレバノンからのシリア軍の
撤退を表明。今週から実際に撤退が進んでいて
連日のニュースになっています。

これを民主主義を求める民衆の勝利だとする報道も
あって、パレスチナの停戦協定の履行とイスラエルの
ガザ地区からの撤退の話と合わせてイラクに続き
中東の民主化と安定が促進して...と考えると
話は簡単なのですが、どうもそうにわかには信じられ
ないのが困ったところ。

確かにTV,新聞とも各メディアはハリリ元大統領の
死にレバノン現政権とシリアの関与を指摘して
真相の究明を求めよとの主張が強いのも確か。
ハリリ氏の経営の放送局のアナウンサーは、
真相究明を求めるシンボルとして青リボンを胸に
つけて画面に登場しています。

その一方で反シリアの集会に対抗するように、
ヒズボラの動員でシリア支持の大集会が開かれ、
反シリアのレバノン政府批判派と、外国(主に
アメリカを指す)の干渉を良しとしないシリア支持、
現政権支持派が集会を開いているので、
反政府派と親政府派で日替わり集会の様相です。

両者ともにレバノン杉を描いた国旗をシンボル
マークにしているので、区別がつき難いことも。
結局、自分たち(レバノン)のことを自分たちで
決めるのだという主張の点では同じなので
融合すべきだとする意見もありで、理解するのが
難しくなっています。

15日に訪問先の米国でブッシュ大統領と
会談したヨルダンのアブドゥラ国王は、シリア軍の
レバノン撤退を求めるアメリカの立場を基本的には
支持しつつも、アメリカがイスラエルの声ばかりを
聞くのもどうか、パレスチナ解放運動側の声も
聞くべきだとしてヒズボラの重要性にも留意するなど、
アラブの国としての主張を出して微妙な王様外交を
展開しています。

中東の話は理解しづらいのは確かですが、
ここに居ると必然的に考えさせられます。

HaliliF
(ハリリ氏の殺害現場の献花の模様を24時間
生中継で流し続けるレバノンのTV局)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.03.17

イラク移行国民議会召集

INA1

1月末の選挙結果を受けてイラク移行国民議会が召集
されました。(3月16日~20日までの予定)

これを未来に向けての輝かしい一歩だとして米ブッシュ
大統領は歓迎するコメントを出しています。
半世紀ぶりとも言われる「民主的な」選挙を経て選出された
議員による国民議会と言えば、細かいことは抜きにして、
とにかく将来への第一歩を踏み出したとして今後に期待を
持たせたいというのが大方の見方でしょうか。

しかし、ここの「民主的」というところはカッコ付きであるし、
細かいことが抜きにできないのが実際のところでしょう。

現に議会そのものも多数派の統一イラク会派(シーア派連合)
とクルド国民会派との間での調整が会議当日まで成功せず、
大統領をはじめとする暫定政府の選出に手間取っていて、
初日の16日は議員の宣誓式など儀式的なものに留まっています。

政府を作り、憲法草案を練ろうという今後の政治日程と、
宗教色がどれだけ政治に反映されるかを固唾を呑んで
見守っているというところです。

INA2

(写真はいずれもイラクの衛星TV局”シャルキーヤ”の
画面より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.13

日本語スピーチコンテスト

Contest13月12日(土)
朝から雨模様の天気。
昼間に晴れて暑い日があるかと思えば
夜は寒く、そしてこうした雨模様の日が
あったりと、このところのアンマンの天気は
不安定です。

この天気の中を、ヨルダン大学に行き、
大学の語学センターと日本大使館の
主催で、今年で第8回になるという日本語スピーチコンテストを観覧しました。
http://www.jordan.emb-japan.go.jp/

お気に入りの俳句を朗読して、解釈を日本語、
アラビア語、英語で披露する俳句の部と、
自分の好きな場所、最も印象的な出来事をテーマに
日本語で話すスピーチの部の2部構成で、
日ごろの日本語学習の成果のお披露目の場でした。

学生と言っても学習者の層は幅広く、小学生から
社会人に渡り、またヨルダン大学の学生でも
出身はクウェートであったり、シリアからの
学生であったりという幅がありました。

発表者も俳句の部で17名、スピーチの部で15名と
多いのでひとり当たりの発表時間が7分でも
一日がかりの長丁場でした。

晴れ舞台の発表ですからよそ行きではありましたが、
ヨルダンの日本語学習者の日本観がわかって
非常に興味深いものがありました。

私はスピーチの部に期待していたのですが、意外にも
俳句の部の発表が非常に興味深いものでした。
季節の機微を表現する一通りの解釈にとどまらずに、
ひとりひとりの感受性の豊かな発表に驚かされました。

自作の句を出した方もいらっしゃいましたが、ほとんどが
松尾芭蕉や小林一茶などの句で自分の好きなものを詠み
解釈を加えるのですが、単なる自然鑑賞にとどまらず、
戦争などによる人間の営みによる破壊を超えての前向な
希望を表現する解釈が少なくなく、さすが中東と思いつつ、
日本の場合の方がむしろ平和ボケしていてそういう
考え方が少ないのではないかと考えさせられたりしました。

たとえば、優勝者の紹介された句は、
「うちとけて、氷と水の仲直り」

ほかには、次の様な芭蕉の句もありました。
「無残やな、兜の下にきりぎりす」

一番人気で複数の方が紹介されていたのは、
「初夢や、秘めて語らずひとり笑む」

スピーチでは日本のアニメーション技術やIT技術を
習いたいとの熱い思いを語る発表も少なくなく、
若い世代にそうした日本発の新しい技術と文化への
影響が見受けられました。

一方で、日本の人々は礼と道(レイとドウ)を尊ぶ、
外国人を歓迎する心があると聞くので是非とも日本に
行ってみたいという話を聞いて、少し考えさせられました。
確かに一見さん、観光客などの短期滞在者には優しい
心がありますが、果たして外国人長期滞在者、特に欧米系
以外の出身者に心を開く寛容性が日本人に十分あるかと
問われると、特に日本での難民をはじめとする
外国人受け入れ問題を見聞きしてきた経験のある
私としてはちょっと複雑な心境にならざるを得ないのです。

Contest2

(蛇足)
大会の開会の式典でヨルダンと日本の国歌の演奏があり、
出席者は全員起立しました。
ヨルダンの国歌を尊重する思いから起立することには
違和感がなかったのですが、君が代の演奏時に起立する
ことには若干の心の痛みを感じました。
この時期に卒業式を迎える多くの日本の学校で、
君が代の事実上の強制が問題とされていることに
思いを馳せつつ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.11

3月10日(1945年)

3月10日ということで、
日本を遠く離れたところにいる私ですが、ニュースに注目して
いたところ、BBCでちゃんと報道してくれていました。
他でもないこの日は東京大空襲の日。
今年は60周年ということで、戦後60年を記念する出来事は
数々あってもやはりこの日のことは忘れてはいけないと思うの
です。
BBCでは、この日のことはヒロシマやナガサキの原爆の
悲劇の影に隠れてしまいがちだけれども、東京大空襲の
犠牲者の数は原爆の犠牲者の数より多いのだと伝えて
いました。
正にその通りで、市街地を対象に一般市民を犠牲にする
空爆と言えば、イラクのラマディで、ファルージャで今も
行われていることとも相通じるものがあると考えずには
いられません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.03.08

Operation Iraqi Freedom?

長崎で医療研修を受ける予定で来日予定の
バスラの医師2名が本日(7日)アンマンに
到着した。
バスラ~バグダッド間は陸路の移動で、
イラン国境沿いのアマラ市とクート市を結び
バグダッドへ入る道。
「バグダッド市郊外に来るまでは安全だったよ」
とのことば。

この言葉どおり、確かに今はバグダッド近郊が
治安上問題が多い。
バグダッド~アンマン間は空路での移動。
ゲストの医師ふたりのきょうの移動は問題なく、
無事に到着したことで胸を撫で下ろす。

バグダッド市内から空港に向かう道では、先日、
人質から解放されたばかりのイタリア人ジャーナリスト
ジュリアナ・スグレーナさんが米軍に撃たれたばかりで、
大問題になっている。
この事件でスグレーナさんをかばって命を落とした
二コラ・カリパリ氏の遺体は昨日イタリアに送られ。
きょうには盛大な国葬が営まれ、ヨーロッパの衛星
TV局はこれを生中継するほどだった。

「イラクの自由」作戦が行われて2年が経とうとしている。
この間に果たして世界は平和になっただろうか。
そしてイラクに自由が訪れる兆しがあっただろうか。

シリアのアサード大統領の議会演説(5日)を受けて
レバノン駐留のシリア軍は(段階的)撤退を開始したと
報じられている。レバノンの民主化を求める勢力と
国際的な圧力の勝利とも報じられているが、額面通り
素直に受け止めることができないのも事実だ。

片やイラクではいよいよ16日にも選挙結果を受けた
移行国民議会が召集されると言われているが、事前
協議で首相候補の選出を巡り調整に難航した結果、
最大勢力のシーア派の会派から離脱する者も出て
きているので、こちらの方も楽観視できない。

ItalyF
(写真はTVで生中継される二コラ氏の国葬)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.05

アンマン~今昔の同居する街~

SB

ご覧の通りアンマンにもスターバックスがあります。
(2ヶ月前に開店したばかりとも聞きましたが)
メニューも他と変わらない様子でした。

しかし、一方で街中で羊の放牧をするベドウィンの姿も…。
長く滞在するうちにこういう今昔の同居する街アンマンが
好きになりました。

ATOWN

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.03.01

緊迫の中東

FAT-H

レバノンの首都ベイルートでは、禁止令も何のその、
ハリーリ前首相暗殺の真相究明とシリア軍の撤退を
求める反政府デモが27日も夜を徹して行われた。
そして28日の国会でカラーミ首相は辞意を表明した。
一見すると、民主化を求める民衆の勝利(!?)の様に
見えなくもないが、これによってレバノンの政治は
流動化する。その結果が吉と出るか凶と出るかは
予断が許さない。
26日にテルアビブで起きた、パレスチナ停戦合意破り
とも言われている爆破事件も陰にシリアありとして
イスラエルが非難している。
レバノンの暗殺事件と言い、このテルアビブの事件といい、
いずれも影にシリアありとして、シリアへの圧力が
強まっていることは間違いないが、果たして真相は
どこにあるか?

そんなことを考えている暇もなく、イラクでは28日、
バグダッドの南100kmほどに位置するヒッラで
大きな爆破事件が起き、死者が110名を超えていると
報じられている。
選挙後はもちろんのこと、サダム政権崩壊後でも
単独の爆破事件の死傷者としては最大規模だという。
選挙以後、イラク国内の武力衝突の件数は以前と比べて
減ったとも言われていたが、それが根本的に治安状況が
改善したことを意味するのではないことも薄々気がついていた。
でも、こうして大きな事件が起きてしまうと、やはりショックが
大きい。

(写真はヒッラでの事件を報じるニュースの画面を覗く
 ファートマ(3歳)。バスラ出身のイラク人の子どもだ。
 彼女についてはJVC佐藤真紀のBlogに詳しいが、
 機会があればまた改めて紹介したい。
 アンマンで白血病の治療を受けていた母親ミリアムが
 1月に亡くなり、今は父親のイブラヒムと二人でアンマンの
 事務所に居候状態だ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »