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2005.02.28

JVC佐藤真紀の帰国

Konpo

6日からほぼ一ヶ月に渡って
アンマン訪問中だったJVC
東京事務所イラク担当の
佐藤さんが帰国の途についた。

期間中開かれていたUNHCR主催の絵画展で、
イラク-ヨルダン国境の難民キャンプの人々が描いた
絵を3点購入したので、これを抱えての帰国。
今後、この絵を通して日本の人々にも難民の状況を
もっと知っていただける様に紹介したい。

(写真は梱包中の絵画)

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奇跡の薬

Fungizone

27日は朝からヨルダンのキングフセイン
ガンセンター(KHCC)を訪問して打ち合わせ。
この準備で慌しい朝を過ごしている間に、バグダッドの
子ども福祉教育病院のマーゼン医師よりメールが届く。
メールのタイトルに「amphotericine B」とある。

この薬の名前ははっきりと憶えている。
今回のアンマン到着早々の1月18日の夕方に、イード休暇で
アンマンからイラクに向かって帰省するという、ヨルダンで
研修中のバグダッドのハイダル医師に託してバグダッドに
持ち帰りをお願いした薬だ。
そして、そのハイダル医師はバグダッドに向かう途中で
交通事故に遭い、亡くなってしまった。
1月24日のBlogで報告)
この事故の混乱で薬の行方もわからなくなっていた。

そうか、やっぱりどうしてもその薬がないと困るので、
改めて送って欲しいという依頼のメールなのかと思って
マーゼン医師からのメールを読み始める。
しかし、それは、薬をもう一度送って欲しいというメールでは
なかった。

何と、事故に遭った薬が無事に保管してあって、病院に
届けられたのだと言う。
受け取りの確認が必要だから、寄付を証明する
書類を送って欲しいという依頼だった。

送った37個のうち壊れていたのは1個だけで、残りは
亡きハイダル医師の遺族が冷蔵庫に入れて保管していた
とのこと。
単に事故に関する情報がないだけではなく、今回の薬品が
冷蔵を必要とする薬品だったこともあって、とてもダメだろうと
諦めていたところが、冷蔵箱入りだったことがかえって幸いした
ようだ。
事故の際の衝撃に耐え、行方不明にならずに見つけられた
のは奇跡的といって良いが、それも冷蔵箱入りだったため
だろうか。

私はそれほど信仰深い訳ではないが、やはりどこかに
神様がおられて見ているのだという気持ちになる。

事故の状況も、その後、新しい情報が入って来ていた。
アンマンで治療を受けていて、ハイダル医師にも
お世話になっていたイラク人の少年がいたが、
その父親が事故の当日に同じルートを逆方向の
バグダッドからアンマンに移動していた。
途中で見た交通事故は1箇所だけで、ヨルダン-イラク国境を
イラク側に入ってすぐのところだったと言う。

彼の説明によると事故の様子はこうだ。
イラクを出てヨルダンに向かう方向の車線で、国境通過の
許可待ちのコンテナ貨物車の長い車列が出来ていたという。
これを迂回して先に出ようとした一般車があって、反対車線を
走った。
時間帯が早朝でまだ暗く、視界が利かないのにこの車は
ライトを点灯していなかった。
運が悪いことに、そういう車が走ってきたところに、
ハイダル医師の乗車するGMC(四輪駆動車)が居合わせて
しまったらしい。
自分の車線を反対向きに走ってくる車があるとは露知らず、
気づいた時には間に合わず、正面衝突だったという。

最悪の悲劇が起きたが、一方で、奇跡も起きた。
ハイダル医師の冥福を改めて祈ると共に、
彼が命を賭けて守った薬が再びの奇跡を起こして
ガンで苦しむ人々の命を救うことを願いたい。

(写真は「奇跡の薬」とBさんによる事故の説明書き)

Accident

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2005.02.27

相澤”Yatch”に再会

Cats

26日はヨルダン-イラク国境の難民キャンプ支援の
ために協力している地元の王室系NGO「ヨルダン・
ハシミテ財団」を訪問。
日本のスマイル子どもクリニックの加藤先生
資金提供を得てキャンプの診療所に寄付する
医薬品のチェックを行った。

お昼はダウンタウンのイラク料理のお店で食べる。
店員はもちろん、お客さんもイラク人というわけで、
オーストラリアへの移住を希望してアンマンに
滞在して3年になるというイラク人の一家に出会う。
戦争前からイラクを脱出して来ていることになる。
店員の中にも、1991年の湾岸戦争後の3月、
サダム政権転覆を狙ったシーア派の蜂起に
加わったものの、政府側に撃たれたと言って
古傷を見せる者もいて、こういうところでの
出会いの中にも歴史を感じる。

そうこうした後、前夜にシリアのダマスカスから
到着したPeaceOnの相澤”Yatch"との連絡がつき、
早速滞在先のホテルを訪問して再会する。
今までもたびたび出会う機会があったが、何故か日本より
アンマンで出会う時の方が多く、毎回印象深い。
イラクから、ローカルスタッフのS氏も来ていて、再会を喜ぶ。
陸路でやって来て、前の日に国境を越えるのにイラク側で
3時間、ヨルダン側で5時間待ちの合計8時間待ちだったという
から大変なことだ。
治安確保のために国境の警備と出入りのチェックが厳しいと
言えば聞こえが良いが、治安がちゃんと保たれているか、
結果で判断したい。

自宅アパートに帰ると、イスラエルのテルアビブで
爆破事件があったとの報道を目にする。
イスラエル-パレスチナ間では、先日のエジプトでの
トップ会談を受けて一応停戦合意が結ばれているが、
薄氷を踏む状態だ。

写真はこの日の再会のホテルの中庭で見た光景。
猫同士でも恋人(?)を取り合って駆け引きがあった。


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2005.02.25

季節は過ぎ行く

Flower

ここのところ最近のニュースを振り返ってみると、
ここで紹介してひと言でもふた事でも言わなくては
ならないと思いつつ、表の話の裏側の闇を見ると
気が滅入ってしまい、紹介をためらっている。
項目だけ列記しておきたい。

☆エジプトでのイスラエルとパレスチナの
 トップ会談

☆イスラエルのガザ地区からの撤退の議会承認

☆ブッシュ米大統領の欧州歴訪
 (イラク問題での亀裂の修復)

☆シリアのレバノンからの撤兵の暗黙の示唆
 (即座に否定されたが)

☆アシュラ(シーア派の祝祭)期間中の
 バグダッドでの爆破事件の続発

☆選挙結果を受けてのイラク移行国民議会の
 召集と新首相候補の内定

この様なニュースに目を奪われつつ、私が思うのは
一年ほど前にバグダッドの病院を訪問した頃に出会った、
ガンや白血病に罹った子どもたちが次々と命を落としてゆく
姿だった。
ちょうど一年前に、一晩のうちに2名の命が失われて、
翌日にはもう姿が見えなくなっていたのを思い出す。

こうした子どもたちの命を救いたいとして、日々の
支援活動に携わっている訳だが、一年後の今の成果はと
問われて、遅々として進まない様子に苛立ちを覚えもする。

そんな事とはお構いなしに季節は過ぎて行く。
きょうもアンマンのアパートの前の家の庭にはサクラに似た
花が咲き始めていた。
(後日補足:これはアーモンドの花だそうです。)

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2005.02.15

血のバレンタインデー(2)

Hariri

後から、このベイルートの爆破事件で、
ハリーリー前首相が殺害されたと聞く。
翌15日発行のレバノンの地元英字紙
Daily Starも、大きくこの事件を扱っていた。
(この新聞は、New York Times系列の
 International Herald Tribune紙への
 挟み込みという形でヨルダンでも手に入る。)

この事件によって、1975年から1990年まで
続いていた内戦の記憶が呼び起こされ、
再び内戦かという観測まで流されているの
には憂鬱になる。

ハリーリ前首相は、親シリア的な政策を取る
ラフード大統領と対立して昨年9月に首相を
辞任している。
レバノンには15,000人のシリア軍が駐留して
いて、事実上シリアの支配下にあるとして、
直接シリアを名指しすることを避け、外国軍の
撤退という穏当な表現を使いながらも、
駐留軍撤退の国連決議が昨年に採択されて
いる。

政府による今回の事件の調査委員会設置に
対して、野党は、政府側の調査では公正な
結果が出ないとして反発しているほか、
今回の事件はシリアの仕業によるものだという
話まで出ていて、きな臭いことこの上ない。

政治的な説明はこの際置くとして、
事件を報道する新聞を買い求めた時の
書店の店主(ヨルダン人)のことばが
耳に残る。
「ハリーリは良い人だった。
(彼がビジネスマンとして儲けたことを批判する人が
いるが)世界中どこにでも汚い(ダーティ)な者は
居るものだ。」

beirut_inerconti

今回の事件では350kg規模のTNT火薬が
使われたと推定され、現場には直径10mの
クレーターができたという。
(手前が今回、被害を受けた現場近くの
インターコンチネンタルフェニキアホテル。
2004年9月の撮影。
奥は内戦時に破壊されたHoliday Inn Beirut)

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血のバレンタインデー(1)

Border

14日はヨルダン-イラク国境の難民キャンプを訪問。
日本から医師団を案内して、健康診断を実施した。
その模様は別に報告の機会を持ちたい。

さて、ヨルダン国内のキャンプサイトから、UNHCRの
車に乗ってヨルダン側出国ゲートを越えて国境の
無人地帯(No Man's Land)にある難民キャンプへと
向かったのだが、何かの手違いで、事前に手配して
いたはずの許可証が届いていないとして、一度、
国境管理官の事務所に出頭する必要ができた。
国境管理には厳格で、日本大使館の了解が
出ているかどうか確認をするとまで言うのだ。
許可証が届いた確認ができて、結果的には立ち入りは
許可されたのだが、この許可待ちの間に事務所で
ついていたTVの画面は、何やらただならぬ風景を
生中継していた。
戦争による爆撃で破壊されでもした様に焼け焦げる
市内の風景がそこにはあった。
思わずイラクかと聞いたが、それはレバノンの首都
ベイルートの風景だった。

ベイルートと言えば昨年の9月に一度訪れている。
(ベイルート訪問記参照)
http://rep-eye.cocolog-nifty.com/iraq02/2004/09/index.html
かつての内戦で破壊された町並みを、外国からの
経済投資で再建しようとする再開発の槌音が
響く様子をそこで見て、中東の中でもモダンなその
風景に簡単したものだったが、今はその市街の一角が
無残にも爆発で修羅場と化していた。

(写真はヨルダン国境ゲート手前でイラク行きのために
 出国を待つトラックの列。この列が長く続く。
 2-3日もここで待たされることもあると聞く。)


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2005.02.14

バレンタインデー

JDFlowers

中東のイスラム国ではバレンタインデーは関係ないのかと
思っていたが、どうもそうでもないらしい。
どこの国でも商売になるとなればたくましい。
そう言えば、昨年の11月中旬、ラマダンの終了後ほどなく
電気装飾店の店頭の商品が、月と星をかたどった電飾
(ラマダンの印)から、さっさとクリスマスツリーに切り替わった
のを思い出す。

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投票結果発表

iraqocv

イラクの選挙結果が13日午後4時
(バグダッド時間)に発表された。

全体の投票率は58%だったほか、
シーア派が多数を占める南部地域と
クルド人地域の投票率が高く、
スンニ派が多数の中西部地区での
投票率が低かったことは予想通りの
結果だった。

これらの結果が票数にも反映しており、シーア派の
シスターニ師の推す統一イラク同盟がトップを取り
(140議席)、次いでクルド同盟(75議席)、
アラウィ首相の率いる”イラクのリスト”が40議席と続く。
他には共産党系の政党が2議席、キリスト教系の政党が
1議席を確保したというところも興味深い。
(以上、AFP通信の報道を参照)

予想通りの結果だが、実質的に選挙に加わらなかった
スンニ派を今後どの様に政権に取り込んで行くかが
イラクの真の意味での民主化という意味では課題に
なると思われる。

既に水面下で各政党同士の駆け引きも始まっていると
聞く。

今回の選挙を成功だったとする報道も続いており、
中には11月のファルージャ攻撃が今回の選挙の
「成功」の鍵だったとする報道もあると聞いているが
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200502050298.html
これは攻撃作戦の一方の当事者と言える米軍関係者の
発言だけに、割り引いて考えた方が良いと思う。
実際のところこの発言でも選挙前の攻撃の数がいくらで
それがどの程度に減ったのかを具体的な数字で明らかに
明らかにしていない。
さらにはこの報道の後、選挙結果の発表に至るまでの
間にむしろ攻撃が激化していると見られる兆候がある。

選挙結果の発表を前にして、イラク政府は9日から13日に
かけてヨルダン、シリア、クウェートなどと接する陸路の
国境を閉鎖した。
(これは公式発表の日程。ヨルダンとの国境の場合、
実は11日には国境は再び開いた。)

昨年にはカルバラやバグダッド市内カダミーヤ地区の
モスクが爆破されるなどの事件の起きた時期に当たる
シーア派の祭りであるアシュラ(19-20日)をはさんで
再び17日から22日まで国境が閉鎖されるとの話が
伝えられている。

この様に、主要な時期には国境を閉鎖するなどの
強硬策を取る中で薄氷を踏むような状態で何とか
治安が保たれようとしている状態に過ぎない。

選挙と言えば、最近お隣のサウジアラビアでも
初めてと言われる地方選挙の投票が行われた。
しかし投票できるのは男性だけ。
「民主化」とひとくちで言ってもこれらの国々では
難しい。西洋式の民主化が本当の意味での
民主化かどうかが疑わしいところもある。

(写真はいずれもアンマン市内の
イラク料理店にて撮影)
iraqfood


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2005.02.09

世の中の役に立つとは?

このBlogはNiftyから提供されているココログという
サービス
を利用しています。
そういうわけで、このサービスのフロントページで
紹介されているBlogを見ていて、タレント(?)の
眞鍋かをりさんのBlog(眞鍋かをりのここだけの話)
の2月8日をを読み、きょうは考えさせられました。

何でもトラックバックの数では日本一とも聞いている
このBlogで、普段はたわいのない話を書かれて
いるのですが、この日はそのようなBlogを、
「意見のないブログ」と言い、「世の中をプラスの
方向にほんの1ミリでも動かすことのできる熱い
ブログがどこかに存在していて、そういったブログこそ
本当に評価に値するブログなんだろうな」と書いて
います。

私のBlogが何に値するかは置いておくとしても、
NGO活動は、世の中を少しでもプラスの方向に
動かそうという動機づけがなくてはできないものだと
普段感じているので、それになぞらえると、Blogに
限らず、NGOの活動で評価に値するものは何だろうか
と考えさせられました。

自分では少しでも世の中を良くしようと考えて
やっていることでも、それが自己満足で終わっては
いけないので、世の中の評価を受けなくては
なりません。

世の中を動かすという自負がなくてはNGOの活動も
できないけれども、しかし、それが過大な自己評価に
つながり尊大になってもいけない。

そういうことを考えると、自分のやっていることも
世の中の役に立ちたいと思ってやっていることでは
もちろんあるのだけれど、あくまで評価は他人の評価、
何ぼのものでもないという謙虚な気持ちにならなくてはと
思うのです。

世の中に意見などという大層なことを言えた身の程でもないと
常に反省が必要。そんな気持ちにさせられたひと時でした。

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2005.02.01

イラク移行国民議会選挙(3)

1月30日にイラクでは選挙が行われました。
今回の選挙では移行国民議会選挙が最も注目されて
いるようですが、実は平行して18の地方行政区の
委員会選挙も行われていました。
また、クルド地域では、クルド地域の独立行政府の
選挙も行われていたので、ところによっては同時に
3種の投票が行われたところもあったようです。

さて、その注目度では一番の移行国民議会選挙ですが、
投票結果の発表後にどうなるかも注目しておく必要が
あります。

移行国民選挙では275議席が比例代表で争われ、
その議会が大統領と2名の副大統領から成る
大統領諮問委員会を選出します。
次に大統領諮問委員会は首相と内閣を選出します。
首相の指名は大統領諮問委員会発足後2週間以内で、
首相の選出は、諮問委員会全会一致の決定とします。

そして首相と内閣は移行国民議会の信任投票を
受けます。移行国民議会の単純過半数である138票
以上の獲得が信任の条件です。

移行国民議会は8月15日までに憲法草案を起草します。
そしてこの憲法案は遅くとも10月15日までには
イラク国民の信任投票にかけられます。
憲法案が承認されれば、改めて12月15日までに
総選挙が実施され、年内には新政府が立ち上がる
ことになります。憲法の信任が否決された場合は、
いったん国民議会は解散して、新たた国民議会が
選挙により選ばれることになります。
(以上、ロイター通信記事など参照)

今回の選挙に関しては、投票率にしても、選挙期間中の
治安状況にしても、事前に最悪の予想が立てられて
いただけに、これらについて予想を上回る好結果を受けて、
今回の選挙が「成功」であったと盛んに報道されています。

しかし、選挙当日の模様を伝える報道の中で、私にとって
最も印象的だったのは、南部の都市バスラで、停電の中、
ランプの灯を頼りに開票作業をする風景でした。

バグダッド在住の知り合いも、一日数時間しか来ない
電力事情と、きれいな水の供給がないという窮状を訴えて
いましたから、これは決して珍しい風景ではなかったと
言えます。

2003年のこの国の戦争で、主要な戦闘が終結したと
言われてから、1年半以上が経ち、2004年6月末の
主権移譲後でも半年以上が経過しているというのに、
人々の生活に必要な基盤が確保できないという実情は、
人々の生活実感とこの国の政治体制との間の距離を
感じさせます。
しかし、今のイラク政府にこれを言うのは酷かもしれません。
戦後の占領体制の欠陥がこの国の基本的な仕組み作りを
ここまで遅らせて来たと言えるかもしれませんから。

今回の選挙をきっかけに状況が好転することを期待する
向きもあると聞きますが、しかし一方でイラク国内から
伝えられる状況は必ずしも楽観的なものと言えません。

たとえば、今回の選挙で積極的に投票に出かけた者と、
そうでない者がはっきりと分かれる結果になったのも
気になるところです。
イスラム聖職者の呼びかけもあって投票に積極的に
参加したシーア派と、自治権の獲得を目指す動きから
クルド地域の人々が多く投票したと言われています。
一方で、スンナ派の人々が選挙をボイコットしたとして、
これらの3つのグループの「分裂」を強調する解説も聞きます。

しかし、私の知り合いなどでは、これらの民族や宗教の
違いなどによる多様性は認めつつも、それでもイラク国民は
イラクとしてひとつであり、占領体制からの完全な独立を願う
意味では変わりがないのだとする意見が多くありました。
また、「分裂」は必ずしも民族や宗教の違いが元で始まる
ものでもなく、選挙のための連合で今までは蜜月状態だった
政党各派が、選挙後にそれぞれの利害を巡って対立することを
恐れるとした、ファルージャ出身の知人の発言も説得力が
あるものでした。

このように、社会の安定と生活基盤の復旧が進まない中で
実施された今回の選挙の裏で、イラク国内、国外の諸政治勢力、
宗教勢力の駆け引きが垣間見えます。
今回の選挙の成否の評価はまだまだ早く、少なくとも投票結果の
公表を待ち、またこれから新たに召集される国民議会の成り行き
を見届ける必要があります。

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