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2005.01.30

イラク移行国民議会選挙(2)

Poster
(ヨルダン、アンマンの在外投票所近くのポスター)

イラクの移行国民議会選挙について、データ的な部分を
中心に続報です。

1)在外投票の進捗状況(28日から30日)
   イラク国外14カ国で人口235万人中、有権者数が
   125万人(国際移住機関(IOM)調べ)
   うち25日までの9日間の登録期間中に登録した
   のは280,303人(登録率23%弱)
   登録者数が最大なのはイラン(60,908人)で
   有権者の過半数。
   しかし推定有権者数が最大のシリアでの登録者は
   16,581人で、約6.6%と低調。
  (BBCの報道では、シリアは自国の政治体制が
   独裁で、選挙の場合は信任投票になる国。
   しかも旧フセイン体制とも通じるバアス主義が残る国。
   イラク選挙により複数候補者への投票という
   手続きが国民に知れ渡ることを牽制している模様。)

   ヨルダンの登録者数は20,166名で11.2%

   在外投票は28日より30日の3日間受付け。
   在外投票14カ国の合計で初日(28日)の投票者は
   登録者の29%だった。
   ヨルダンは41.9%とUAE(48.9%)に次いで高い。
 
   これらの数字はIOMの在外投票の公式サイトで
   見ることができます。
   http://www.iraqocv.org

2)イラク国内投票(30日)
   イラク国内の有権者数は1,420万人
   登録政党は223政党、政党が共闘を組むので、
   党派数で言うと35になる。
   これ以外に政党に属さない独立の候補者が
   48名。
   国民議会選挙の候補者数総数は7,761名で
   この中から得票別比例配分で275の議席が決まる。
   投票所の数は全国で5,578ヵ所。当日、投票所への
   攻撃を防ぐため一般車両の利用禁止の規制が
   かかるが、投票所はほとんどの場合、住民の
   徒歩圏内になるので問題ないとのこと。
   在外投票の結果が2月5日にイラクに送られて、
   この日に取りまとめという情報があるので、恐らく
   投票結果が公表されるのは投票日の約1週間後と
   なる見込み。
  
   これらの数字は以下の公式サイトを参照
   http://www.ieciraq.org/English/Frameset_english.htm

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イラク移行国民議会選挙(1)

Busstop
<アンマンのバス停(在外投票キャンペーン)>

イラクの移行国民議会選挙がいよいよ始まりました。
昨晩(29日)までに聞き取った状況をまとめてみました。

1)イラク概況
投票日の30日を前に28日(金)より31日(月)までの
間が休日となり、バグダッドでは夜間外出規制が
28日夜7時より始まりました。
国境閉鎖は事前にイラクの運送会社の関係者からは
29日18時からと31日18時までと聞いていましたが、
28日から始まった模様です。
アンマンのイラク人ドライバーもこの日を前にイラクに
帰っていました。
バグダッドでは28日以降の期間中には商店も
開かないのと、外出が危険で出かけられないことを
見越して、直前に駆け込みで買出しに出かける姿が
多く見られたと聞きます。


2)地域別の状況
一説に、爆発物のリモコン操作に使われるのを防ぐ
ために投票日前後に携帯電話による通信を遮断する
との噂もありましたが、29日までのところでは通話は
可能でした。

29日夜に携帯電話で尋ねた地域別の状況を記します。
投票に積極的なバスラとそうでない他の地域の反応の
違いがやはり気になります。
 
バスラ(A医師)
 投票には行く予定。
 電力が来るのは一日6-8時間のみ。その他は
 日中のみ6時間は地域で共用の自家発電装置を
 使っている。
それでも夜間を中心に残り半日程度は電力がない。
 上水道の供給はあるが、水質が悪く飲用には適さない。

モスル(B医師)
 数週間前から自宅待機状態で、勤務先の病院
 にも行けず、患者の様子が心配だった。
 最近になって市内の自宅に居るのも危険になった
 ので、郊外の別の町に避難した。
 投票など問題外だ。とても行ける状態でない。

バグダッド(C氏)
 28日から29日にかけて、市内は静かになって、
以前は毎日の様にあった爆発は起きていないが、
撃ち合いがある。
 29日からはほとんど外出する者はいない。
 選挙は行かない。
投票所に行くのが危険だと言うのは理由と
 しては二の次で、一番の理由は今回の選挙が
 信用できないことだ。
 候補者もサダム政権時代の苦難の時代を
 海外で過ごしていた者が多く、イラク人の
 本当の苦労を知って代表できる者がいない。

アンマン長期滞在中のイラク人
 投票には行かないつもりだ。アンマンなら
 イラクの中よりは安全なので、治安上の問題は
 ないが、何より問題なのは、今回の選挙が
 アメリカの影響下にあることで、暫定政府が
 信頼できない。
 このような状況の中で投票することには自分の
 中で葛藤(コンフリクト)を感じる。

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2005.01.28

ホロコーストを風化させてはならない

ASW2

ASW1

1945年1月27日、この日にロシアの軍隊によって
アウシュビッツが「解放」されてから60年になると言うので
現地で盛大な式典が催され、衛星放送テレビで生中継を
3時間以上放送していた。
日本ではこの風景は放送されていたのだろうか。
60年前の出来事なので、生き残りの証言者も高齢化しており、
これが大規模な式典としては最後の機会とも言われていた。
イスラエルからやって来たという女性は、「私たちは番号で
呼ばれていた」と怒りに震える声で訴えていた。
こうした声を風化させてはならず、人種差別と民族主義に
陥りがちな傾向に抗して行かなければならないとする
考えには賛同する。
式典は、かつてそこに犠牲者を乗せて到着した貨車の
汽笛で始まり、汽笛で終わった。
汽笛が消えた後に私たちはどこへ行くのだろうか。
新たな迫害が現代にはないと言って、犠牲者の霊前に
胸を張れるのだろうか。
(画像はいずれもBBC Worldより)

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2005.01.25

イラク人医師の死を悼んで

20日にバグダッドの子ども福祉教育病院の小児ガン
専門医から悲しい知らせがメールで届きました。
「H医師が昨日(1月19日)、アンマンからバグダッドに
向かう途中に交通事故で亡くなったと聞いたところです。
子どもたちも一緒に亡くなり、奥さんは重体です。
昨今のイラクの中でも、類まれに誠実な方の死を悼みます。
彼とご家族に神のご加護を。」

このイラク人医師は昨年の9月より3年間という長期の
予定で、バグダッドの病院からの派遣でアンマンの
ガンセンターに研修医として勤務していて、今回は1月20日の
犠牲祭(イード・アル・アドハー)の休暇を機会に家族連れで
帰省する途中でした。

彼にアンマンの研修先で会ったのは昨年の11月のこと。
イラクで必要な医薬品についての考えを真摯に語ってくれた
のが印象に残っていました。
バグダッドの病院向けの支援の医薬品の受け渡しがあって
アンマン出発直前の18日の夕方に彼に会っていた私は
彼の死を大きな衝撃をもって受け止めました。

「昨年の11月中旬のラマダン明けの休日には帰省しなかった
ので、今回はぜひとも帰省して病弱な母親を診なくては
いけないんだ。私たちの元気な姿を見せたいしね。」と笑顔を
見せた姿を見たのが最後になってしまいました。

バグダッドの別の医師からも「私たちはその献身と誠実さでは
比類のない人材を失った。彼は真の兄弟であり、友人であった。
彼を失い苦い思いと深い悲しみを感じる。」との言葉が届きました。

私も全く同じ気持ちです。
本当に誠実と言う言葉を贈るにふさわしい、得がたい人材を
失ったことに、深い悲しみを覚え哀悼の意を表したいと思います。
そしてご遺族と、そして彼の所属していたバグダッドの病院に
謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。

彼の死については昨今のイラク国内の治安情勢のこともあり、
最初の連絡メール以上の詳しい状況がわかりません。
彼の死がどの様な原因であったにせよ、こんにち、多くのイラクの
人々が家族や近親者を失い、同様な悲しみを抱えつつ
日々を過ごしていることにも思いを馳せずにはいられません。


***************

※今回の事故に伴い、彼の所属するバグダッドの病院からの
要望に答える形で手渡した抗真菌薬(Fungizone37個、
要冷蔵品、総額$1200相当)も損失してしまいました。
多くの方々から頂いていた募金が無駄になってしまったことは
非常に申し訳なく思っています。
しかし、イラクの子どもたちは、薬を必要としているので、
私達は、情報収集に勤め、最もリスクの少ない方法を選んで
今後も、薬の供給を続けて行きます。
よろしくご理解とご支援のほどお願い申し上げます。

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2005.01.18

アンマンに‘戻って’

Nippon<しばらくさようなら。日本!>

11月26日から年末年始をはさんでの
日本一時帰国の期間もあっという間に過ぎ、
1月18日よりアンマンに「戻り」ました。

自分の気持ちとして、やはりここは「戻る」という表現が
ぴったりと来ます。
日本滞在中には今回は私としては初めて各地でお話を
させて頂く機会を得たのもありがたいことでした。
その期間中の報告もこの場に載せるべきでしたが、
作業が伴わず申し訳なく思っています。
昨年はバグダッドで年越しをしたので、実に2年ぶりの
日本の正月でしたが、年末のスマトラ沖地震の津波の
影響を聞くにつけても落ち着いた気持ちがしませんでした。
(JVCではタイの農村で通常プロジェクトとして地域支援を
 行っていますがその様な縁もあって、地元NGOとの
 ネットワークで被災者の支援を行いますのでご支援を
 お願いします。)
http://www.ngo-jvc.net/jp/notice/notice20050105_thai_tsunami.html

イラクの方も一年前にバグダッドで年越しをしたということが
信じられないくらいのこの1年の治安状況の変わりようです。
某通信社の支局で高遠さんとも一緒に雑煮をご馳走に
なったのが今にして思うと嘘のようです。

さて、今年はその様に治安が悪化する中でとりあえずの焦点は
月末に予定されている国民議会選挙となる訳ですが、
この選挙自体が治安悪化の要因となると考えられる始末で、
とりあえずのところ明るい要素がないのが残念なところです。

Frankfurt
<経由地のフランクフルトにて。これもしばらくおさらばか。>

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2005.01.09

60年目の年頭に(広島)

Hiroshima

Fuji<羽田-広島便の機内より>

戦後60年の年始に当たって、
どうしても行っておきたいところが
あったので、1月9日に出かけた。
ここ、広島に行くのは、学生時代に
卒業前に出かけて以来2度目になる。
平和記念博物館での展示もそういう訳で2度目であったが、
今回改めて衝撃を受けたのは米国側の資料で跡付けられた
原爆投下計画を目にしたことだった。
原爆の効果がわかるように候補地(広島だけでなく京都も
含む)にはあらかじめ通常の空襲も避けていたことなど、
周到に計画されていたことがわかって改めて衝撃を受けた。
そして、周到に計画された大量虐殺という意味で、現在、
イラクで、ファルージャで起きていることとどれほどの差があると
言えるのか、どうかということも。

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