世界遺産を見に行く(Qasr Amra)
<Qasr Amra>
11月5日(金)
ヨルダン在住の日本人NGO仲間の誘いを受け、金曜祝日を
利用して、アンマンから東部の町、Azraq近郊にある
世界遺産のアムラ城を見に行った。
Azraqの町はヨルダンの首都アンマンから103km東部にあり、
イラクへの経路の途中にあるので、今年の初めまで、
アンマンからバグダッドまでの陸路での移動が可能だった
時期には良く通ったところで、なじみがある場所になる。
しかし、いつもは通り過ぎているので、遺跡の見学を
目的として訪れるのは楽しみだった。
昼前にアンマン市内を出る。イラク方面のバスやタクシーの
出発点でもあるマハッタの近くを抜けて、幹線道路を
いったん北東に向かい30km。
小一時間もしないうちに、人口80万人ほどの町、Zarqaに着く。
街中のバスターミナルも人々で賑わっている。いたって
普通の町なのだが、今はここの出身者の名前を挙げた方が
わかり易いと思う。
そう、ここは今はヨルダン人テロリストとして有名な
アブムサブ・ザルカウィ(本名、アフマド・アルハイララ)
の出身地なのだ。
詳しい説明は新聞記者の現地レポートに譲るが、
地元では悪い評判はなく、好青年であったらしい。
ザルカウィ一派の仕業と言われる香田さん殺害事件から
それほど時間が経っておらず、また、NGOの現地責任者で
人質になっている、英国籍のマーガレット・ハッサンさんが
同種のグループに身柄が引き渡されるという話が伝わって
いる折だけに、この地を訪れても複雑な心境になる。
Zarqaの町を離れて道を一路東に向かう。町の郊外には
ヨルダン軍の軍事施設がある。気をつけて見ると、
ここに限らず郊外に出て砂漠の中を走っていると、
ヨルダン軍の施設が郊外の土地を占めているケースが
結構あるのに気がつく。
(この日、遺跡のある街のAzraqからアンマンへの帰途には、
幹線道路の一部が臨時に飛行機の離着陸用の滑走路として
使える造りになっているところもあった。)
ヨルダンは親米路線を取り、対テロ戦争にも事実上
参加している状態にあるが、そのために使われる
軍事施設の一部がザルカウィ氏の出身地の近くにも
あるというのは皮肉なことだ。
また、Zarqaからイラク方面に向かう街道沿いには
工業団地や石油の輸送基地があり、ここを出入りする
石油の輸送タンク車が多いのが目に付く。
最近の様子は再度確認する必要があるが、サダム政権
時代には、ヨルダンは石油供給の多くをイラクからの
輸入に頼っていたので、そういう事情もあるかと思う。
さて、肝心の遺跡のある街、Azraqは砂漠の中の
オアシスで、ここにある湿地帯は中東随一の規模で
あったと聞く、しかし、アンマンなど都市の水源と
して使われた結果、過去30年の間に水位が下がり、
現在はほとんど枯れてしまっている。
街にある野生生物の保護センターを訪れてそういう
説明を聞き、自然と共生する人間の活動の難しさを
痛感する。
中東は石油資源の奪い合いの政争の地と言われて
いるが、地球規模で言えば、21世紀は水資源も
また奪い合いの対象になる。
実際、パレスチナとイスラエルの問題も、ヨルダン川
西岸地区では、実は水源を巡っての争いという面も
あると聞いているので、そういう点でも水資源問題に
注目しておく必要はあるかと思う。
遺跡の訪問記を書こうとしても、ついつい中東問題に
ついての話になってしまった。
世界遺産に登録されているアムラ城(Qasr Amra)は、
砂漠の真ん中にある。
6世紀に隊商宿として建てられたそうで、井戸や
浴場も残っていて再建されている。
内部の壁画も、剥げ落ちたりしているものの、
評判通りの美しさだった。
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コメント
原さんから発信していただいたイラク市民からの手紙を、一人でも多くの人に読んで欲しくて、blogにアップしました。昨晩あった友人から「改めて危機感を感じた」と言われました。非常事態宣言が出たと思ったとたんの今日未明からの攻撃開始。
多くの命が失われていくのをどうやったら阻止できるのか..
自分の周りの人を巻き込んで、声をあげ続けるしか今は出来る事が見つかりません。
投稿: kero | 2004.11.09 08:05
keroさん
コメントありがとうございました。
本家本元として掲載しておかないのも何なので、
遅ればせながら手紙を掲載しました。
(11月8日)
投稿: はらぶん | 2004.11.09 10:29