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2004.07.15

パレスチナ人ドライバーに会って

中東の社会情勢に目を向けていると、どうしても報道で
目につく暴力的なできごとに目を奪われがちですが、
それでも、この地で粛々と人々の日常生活が営まれて
いたりします。
これから紹介するお話もそんな中のひとコマですが、
その中にもやっぱり社会情勢が垣間見えて来ます。

(7月14日 アンマン)
手を上げて、流しのタクシーに止まってもらったら、
後部座席には既に大きな荷物が置いてあり、
座れない状態でした。
もともと、この地域でタクシーにひとりで乗るときは、
助手席に乗るのが当たり前のような習慣なので、
別に構わずいつもの様に助手席に座りました。
後ろの荷物を気にする私の視線を察してか、ドライバーは、
「私の家の赤ちゃん用のベビーベッドですよ」と説明して
くれました。
赤ちゃんの年齢を聞くと、3日前に生まれたばかりの
男の子だと言います。
しかも、このドライバー夫婦には最初の子どもだという
ことで、説明しながらも彼も嬉しくて仕方がない様子。
「でも、僕はまだこの子どもの顔を見ていないんだ。」と
話が続きます。
話によると、彼ら夫婦はパレスチナ人で、奥さんは
パレスチナ人パスポートを持っていて、パレスチナへの
入国許可が下りるので、出身地のナブルスに里帰りをして
子どもを生んだとのこと。
ドライバーの彼の方は自分のパスポートがヨルダン国籍の
パレスチナ人なので、今のイスラエル占領下のパレスチナへは
入国許可が下りなくて、一緒には行けなかったとのこと。
また、子どももヨルダンで生まれると、ヨルダン国籍となり、
パレスチナパスポートにならないので、子どもがパレスチナの
パスポートが取れる様に、パレスチナで生むことにしたという
いきさつなのだと言っていました。
子どもも、生まれてから3週間近くはパレスチナに滞在して、
パスポート手続きを終えなくてはいけないので、このドライバーが
ヨルダンに帰って来た奥様と赤ちゃんに会えるのは、更に3週間後
くらいになると、待ち遠しそうに話をしてくれました。

タクシーの行き先でも別のパレスチナ人に会ったので、解説して
もらったところ、別にパレスチナパスポートが取れたとしても、
実質的に社会保障など経済的にメリットがある訳ではないと言います。
それでもパレスチナのパスポートにこだわるのは、自分たちが
パレスチナ人であることへの誇りのためではないかと推測されます。
普段、自分が日本人であることの誇りを意識することはほとんど
ありませんでしたが、こういう様子を見ると、国家とか民族に対する
誇りとは何だろうかと考えさせられます。

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7月14日(イラク革命記念日、1958年)

7月14日は、1958年のこの日にイラクが王政を脱して
共和制となったことを記念する革命記念日である。
その14日の朝も、バグダッドのグリーンゾーン(安全地域と
いうより厳重警戒地域といった方が実態に近い?)の前で
自動車爆弾による爆発が起き、10人死亡、30人以上が負傷
したと伝えられている。
こうしたニュースが続いていると、慣れというか、感覚が鈍く
なって来て、「またか」という感覚になるのが怖いことで、
自分を戒めなくてはと思う。

午後には、イギリスの特別委員会で、先週米国の委員会で
行われた様に、イラク戦争開戦の判断材料とされた情報機関の
情報が適切であったかを調べる委員会報告がなされた。
米国上院の委員会でも、情報機関の出した情報が不正確であったり
誇張されたものであったことが公に問題とされていたが、
イギリスでも結論は似たようなものだった。
情報ソースが限られており、正確な情報が入手できていなかったり、
サダム・フセインが、45分以内に生物化学兵器を配備可能である
とした情報の根拠が不明確であることが明らかにされた。
しかし、それでも、それらの誤った情報によって、開戦の決断を
下した首相の判断そのものに対して、辞職などの形で決定的な
責任を問うまでには至らなかった。

情報が不正確であったことによって個人の責任が問われることには
ならなかった。(次期情報機関のトップに内定していた者の
席は無くなったらしいけれども)
しかし、それで、不幸なできごとであったとして済ませても、
戦争によって命を落としたイラクの一般市民の人々は浮かばれない。

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2004.07.13

プチ停電?

7月12日(月)

きょう、アンマン時間の午後11時ごろに10分ほどの停電があった。
アパートの5階にある自分の部屋から見回してみると、自分の
家の近所の一角だけの停電だった。
短時間で回復したから良かったものの、冷蔵庫の中身やら、
水道の送水とかが心配になった。
私からすると、日本ではほとんど経験することのない
珍しい出来事と笑って済ませられない思いがする。
...というのは、イラク、特に自分の居たバグダッドに限っても良いが、
一般家庭では停電は日常茶飯事だったからだ。
ここで、日常茶飯事だったと過去形で書いて良いものかどうかも
怪しい。
少なくともバグダッドに私のいた4月中旬までは、3x3とか2x2とか
言われていて、一向に改善の兆しが見えなかったからだ。
(ちなみに、3x3とは、一日の中で3時間通電、3時間停電の
繰り返しのこと。)
夏になり、暑さで電気の消費が増える時期だからこそ、むしろ今の方が
困ってはいないかと心配になる。

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2004.07.11

パレスチナ西岸の分離壁に国際的な司法判断!

7月9日(金)

この日、中東の今後を占う上で重要なニュースがありました。
ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が、パレスチナ被占領地区の
うち、ヨルダン河西岸地区の分離壁についての司法判断を下し、
違法であるとしたというものです。
実際には正式発表前に情報が漏らされていた様で、報道機関は
昼過ぎから活発に報道していたが、正式発表はエルサレム時間
午後4時(私の居るヨルダンも同時間帯)でした。

更に詳しくは、イスラエルの主張する様に、分離壁の建設が
パレスチナからのテロ攻撃に対するイスラエルの自衛のため
だとしてもパレスチナ住民の生活に不利益をもたらしており
違法で、壁を撤去すべしと言うもの。
また、イスラエルに対してパレスチナの人々の被る不利益に
対して補償せよとして賠償責任に触れたのも画期的なことです。

実際には、違法とされても、拘束力がないとしてイスラエルは
無視する構えを取っているので、今後の課題は、国連安全保障
理事会などの場を通して、どれだけ国際社会がこの司法判断を
尊重して、イスラエル及びその支援国に対して圧力をかけられる
かに掛かっています。
後からWEBで日本の新聞記事のタイトルを見たところでは、
「分離フェンス」という表現も少なくありませんでしたが、
高さ8m以上のコンクリート壁をフェンスと表現するのが
適切でしょうか。私の持つイメージでは、フェンスなどと言う
生易しいものではないと思うのですが。

さて、この報道と合わせて、同時間帯でトップニュースを
競っていたのが米国上院特別委員会の発表で、対イラク戦争の
根拠としてCIAなどの情報機関が提出した情報が誤っていたか、
誇張されたものだったとするものです。
今に至っても大量破壊兵器が見つかっていないという事実も
踏まえて、そもそも、イラク戦争に大義があったのかを
検証する意味で、これもまた重要なニュースでした。

そして、BBCの衛星放送ニュースで3番目だったのが、
北朝鮮の拉致被害者の曽我ひとみさんがインドネシアで家族と
再会とのニュース。
この説明は、このブログの日本からの読者が分かり易い様に
私が噛み砕いて書いたもので、実際のBBCの報道は、
元脱走米兵のジェンキンスさんが主語になっていました。
そのジェンキンスさんが、妻の曽我さんと再会という論調です。
BBCも英国の放送局であるし、英語放送なので、欧米の視聴者が
興味を抱く見方に焦点を当てているのは当然と言えば当然ですが、
日本の感覚と異なるところに興味深いものがあります。

恐らく、この日の日本の報道は、BBCの取り上げ順と全く逆で、
曽我さんの家族対面がトップニュースだろうと思っていたところが
果たしてその通りだった様です。
しかし、曽我さんニュースと、国内の選挙関係のニュースが
ほとんどで、分離壁と米国情報機関のニュースの扱いは更に
大きく差がつけられて小さかったと聞くにつけ、日本の報道の
バランス感覚の悪さに唖然としています。

選挙と言えば、年金法案の強行採決が災いするなどして、
小泉政権の支持率が最低になっているという記事が数日前の
ヨルダンの地元英字紙のヨルダンタイムズにありました。
比較的抑えた論調の記事で、淡々と調査結果を説明しており、
日本の中東政策との関連付けが記事の中に全くないのが
かえって気になりました。

<7月11日>
ここ数日、回線の状態が良くないので、文章を実際にアップする
のは11日になりました。
今朝、イスラエル側のテルアビブで、バス停留所近くで小型爆弾が
爆発し、女性1名が死亡、負傷者多数と見られるとのニュースが
報じられています。
解説によっては、パレスチナ側の勢力が、強気のイスラエル側に
対して、西岸の分離壁を築いても、攻撃を防ぐことにはならない
として力を誇示するためにやったものだという説明もありました。
しかし、壁に対する司法判断も出て、国際社会の支持を得ようと
いうこのタイミングで暴力に及ぶのは、穏健派の支持を失うという
意味で逆効果ではないかと思います。
暴力に対して暴力で対抗しても何の解決策にならないというのは、
今までの苦い体験の中から学ばれてきたはずと思いたいのですが、
残念なことです。


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2004.07.08

アンマンで地震?

7月7日(日本は七夕ですね)

午後5時半頃、机に向かっていたら、揺れを感じた。
日本の感覚で言えば震度2か3くらいの地震だ。
アンマンで地震があるのか、聞いた事がないので、
知り合いのヨルダン人に電話してみると、彼も知らないと言う。
いつも頭の中でイラクのことを考えているし、その隣国という
場所柄を考えると、何かの爆破事件という考えも一瞬頭をよぎった。
日本ではそういうことを考えなくて良かったから、楽なものだったが、
ここでは、まじめにそういう心配をする必要もあったりする。
しかし、爆風とか衝撃波は感じなかったので、変だと思いつつ、
アンマン在住の日本人の知り合いに電話をすると、やはり地震だと
言い、今年の2月にもあったと言う。
地震で良かったとすべきか、爆破を心配しなければいけない事情を
どう見るか、複雑な心境だ。
実際、ヨルダンから見て、イラク側とは逆の国境を越えたパレスチナ
の地でも、ガザではイスラエル軍によるパレスチナ人過激派掃討と
称してミサイル攻撃が加えられていたりするのだ。

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暑い!(アンマン7月7日)

暑い!

本来、アンマンは高地なので、中東の中では比較的涼しい。
ヨルダンには湾岸諸国のお金持ちが避暑に来るぐらいだ。
従って、イラクに比べれば、暑さはそれほどでもなく、
夜には涼しくなる...はずが、昨晩辺りから、夜も涼しく
ならなくなって、熱風が吹いてくる。
今日になったら、日中の暑さも一段と厳しくなった。
40度はもう軽く越えているだろうか。日差しも厳しい。

そんな暑さの中で洗濯をしていたら、室内の洗濯機の音を
軽くかき消して、低空飛行で戦闘機が飛んで行った。
アパートの私の部屋は日本式で言う6階の最上階なので、
余計にこの音が耳に響く。
こういう音を聞くたびに緊張する生活をしなければならない
のは困ったことだろうと、隣国イラクを想う。

そうこうしている間に、TVニュースはイラク暫定政府の
記者会見を映している。
今朝から適用という、イラク治安維持の新法の発表だ。
治安維持を第一優先に取り組むために首相権限を強化し、
この目的を達するためにやむをえない範囲と言いつつ
一部に人権の制約も容認すると言う内容を含むという。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MYZ&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2004070701003404  

こうした臨時的な法の制定によってでも、治安改善の努力を
進めなくてはいけない新生政府の意欲が伝わってくる。
昨日、バグダッドからアンマンに移動して来た日本人
ジャーナリストのS氏も、バグダッドに住むイラクの人々が
今、一番に望んでいるものは治安の安定だと言っていた
のを思い出す。
それを抵抗運動と呼ぶにせよ、テロと呼ぶにせよ、また
占領軍側からは治安維持のための制圧だと呼ぶにせよ、
イラク戦争後、この1年余りの間の暴力の応酬に、すっかり
バグダッド市民は飽き飽きしているという。
無理も無いことだと思う。石油収入もあり、農業に必要な
水もあり、元々は豊かな暮らしができる基盤があるはずの
ところが、水も電気も、生活に必要な最低限のことが、
主要な戦闘が終わって一年も過ぎているというのに
直っていないのだから。
そう、今、「戦争が終わって」と書く代わりに、
「主要な戦闘が終わって」と書いた。
イラクの人々にとって、戦争はまだ続いているのと
変わりないのではないかという考えからだ。

後から伝え聞くニュースによると、今朝もバグダッド市街地、
チグリス右岸沿いの幹線道路のハイファ通りで武装グループと
治安維持部隊の戦闘が数時間に渡ってあったという。
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2004070701006313      

戦争はまだ続いているのだ。

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2004.07.04

ヨルダンがイラクに派兵を検討?

7月3日 ヨルダン発

イラクの主権委譲にからんだ文章がこのところ続いていて、
我ながら硬い文章だと思いつつ、スタイルは変えようがないので、
このまま続けます。

さて、サダム・フセインの法廷出頭は、日本でもそれなりの大きさで
報道されたものと期待していますが、今日お伝えする話は、恐らくは
日本ではそう大きくは扱われていないだろうと思います。
しかし、今後の中東を占うには大事な話だと思うので、アンマン発の
地の利を生かしてお伝えします。

発端は、ヨルダンのアブドゥラ国王の7月1日のBBCとの
インタビューです。

ヨルダンがイラク派兵を検討と言うニュースとして伝わり、大騒ぎ。
確かに表明したのはアラブ諸国では初めてということでニュースの価値あり。
けれど、このインタビュー。改めて聞いてみると、イラクからの要請が
あればという条件付けにしている上、肝心の要請はまだないとも言っている。
私も、本当に派兵することがあるとすれば、隣国だけにその影響は大きく、
また、イラク国内に留まらず、ヨルダン国内がイラクの抵抗勢力なり
武装集団なりの攻撃の目標になりかねないと思い、少し心配になった。
でも、本当に派兵はありえないと思う。


日本語でのこの報道を見ていると、なるほどと納得。
ヨルダンもアメリカ側と暫定政府の両方に協力姿勢を見せて、
良い顔をしておきたい。その本音が垣間見える報道です。

そして、2日の午後になってBBCもこの報道。

イラクもアラブ諸国に派兵による治安維持への協力を要請。
ただし、国境を接する隣国は影響が大きすぎるとして好まず、
エジプトなどを希望と言う。
見方によってはイラク側も随分と自分に都合の良いことばかりで
勝手を言っている様に見えなくもないが、現状では仕方がないの
だろう。


日本語ではこれ、イラク暫定政府は、すぐにヨルダンに
派遣の要請をする考えは無いことを表明。
初めから、隣国に派遣要請するのは現実的でないと
わかっていそうなものだが、こういう話になるということは
結構、裏では駆け引きがあるのではないかと想像させられる。

そう言う訳で、今日は報道の読み方教室のようになりました。


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2004.07.02

現実は多面的~サダムフセインとイラクはどう見られているのか~

7月2日 アンマン発

7月1日午後4時半過ぎ、アンマンのホテルの前で拾った
タクシーの運転手は、乗り込むなり、興奮した様子で、
「サダム・フセインがTVに出ていた。お前は見たか?」
と話しかけて来た。

この日、暫定イラク政府の法廷の前に、前イラク大統領、
サダム・フセインは犯罪者として訴追される立場で
引き出された。
このタクシー運転手の反応が象徴する様に、サダム・
フセインの動向はアラブの民衆の関心事なのだ。
しかも、それは犯罪者と言うよりも、むしろアラブ民族主義の
体現者で、英雄としての扱いでもあったりする。
サダムには独裁者という負の面はもちろんあるのだが、
直接被害を受けていない他のアラブの国の人々の間には、
彼の強さとカリスマ性をプラスに評価する者が少なくない。
そういうところにもアラブの状況の多面性、複雑さが感じられる。

多面性ということばを使ったのは、そのタクシーを飛ばして
会いに行った、ヨルダン大学病院勤務のイラク人ドクターの
F氏だった。
彼はイラクの中で医師として専門教育を受けたが、サダム
時代のイラクの中では良い待遇を受けられず、家族を
バグダッドに残して単身でヨルダンで病院に勤務している。
ひと通りの用件が終わって、雑談になった時に、イラク人として、
今のイラクの状況(2003年の戦争からこの7月の主権回復
までの流れ)をどう思うかと聞いた時の第一声で出てきた
ことばが
「現実はひとつではない。見る人の立場によっても違い、
いくつもの写真、像があるのだ。 現実は多面的なんだ。」
ということばだった。

F氏によれば、サダムの前政権が倒されたことは良いことだと
言う。
しかし、それは、決して手放しで歓迎する話でもなかったりする。
政権が続くことによって、イラク国民によってより悪い結果が
もたらされるのを防ぎ、より良い方向への変への契機となった
ことは良いことだと彼は言う。
しかし、実際にイラク戦争によってもたらされた良い事というものは
少なかった。唯一良くなったのは、自分の思っていることを自由に
言えるようになったこと位かなと彼は言う。

暫定政権に主権が委譲されたことについても、F氏にとっては
まだすぐに評価はできないと言う。
「しばらくの間は混乱があると思う。しかしイラク人である自分たちが
思うことを言える体制になったのだから、この後しばらくの間は
自分たちのそういう意向をどれだけ政府が反映してくれるのかを
見守る必要がある。評価はその後だ。」別れ際にF氏はそう言った。

この話を聞いて、私は前の晩に見た英国BBCの衛星放送番組
での視聴者討論を思い出していた。
ロンドンから参加した、サダム時代からイギリスに亡命していたと
思しきイラク人が、しきりに暫定イラク政府の正当性を問い、
イラク国民の信任を受けた正当政府であると言えないとして
批判的だったのに対して、今現在バグダッド在住のイラク人の方が
冷静に、
「しかしそれでは、それに代わる何があると言うのか?そうは
言っても、今ある政府で始めてみるしか他に前向きな選択肢は
ないのではないか。」
と言っていたのが印象的だった。

F氏の後に会った薬剤師のH氏は、元々はクウェート生まれの
パレスチナ人で、クウェートでは外国人、そして特にパレスチナ人で
あるとして差別されていたところが、1991年当時、サダムのクウェート
侵攻に遭遇したという経験を持っているだけに、未だにサダムを
英雄視しており、肯定的に評価している。

H氏に言わせれば、アラブ一般の評価としても、イラクの隣国は
国同士としては政治的には仲が良くなかったものの、アラブ民族主義
の体現者として、サダムフセインの評価は高いと言う。
もともと、今のアラブ諸国の国境の線引き自体が英国植民地からの
独立に従って便宜的に線引きされたものであるので、国としての
独立の感覚は少なく、国民というよりもむしろ大家族、部族への
帰属意識が強いのだと言う。
そのような中で、特にイラクでは歴史的に強者への尊敬の念が強く、
英雄を尊ぶ気風があるという。サダムはそれを利用したのではないか
と思えなくもないが、なるほどそういう面もあるのかと思う。


7月2日朝

イスラーム休日の金曜日は静かに迎えられるかと思ったが
そうでもない。
バグダッドでは中心部のホテルを狙った迫撃砲攻撃で、
死傷者が出ている模様との報道に緊張する。

早速、バグダッドに電話をする。バグダッドでは、戦争により
通信設備が破壊された後、復旧がなかなか進まず、また、未だに
停電も多いということもあって、固定電話に外国から電話をかけて
通じることはまれである。

1月末から携帯電話サービスが始まっているのだが、むしろこちらの
方が通じ易かったりする。通じ易いと言っても、固定電話と比べての
相対的な問題なので、日本の感覚で普通に通じると思うと、そうは
問屋が卸さない。
回線の数が限られている様で、回線使用中の表示が出てつながら
ないことも多い。ここ数日、そういう状態で、主権委譲後のバグダッドの
様子を聞こうとしても一向につながらなかった。
どちらかと言えば午前中の方がつながり易いので試してみたら、
3回目でようやく運転手のS氏につながった。

まず最初に、
「俺はシェラトンホテルの様な高級なところに住んでいないから
大丈夫だ。」
と言って軽口が帰って来る。
自宅に居て、これから金曜の礼拝に出かけるところだったと言う。
この感じからすると、大丈夫そうだ。

6月28日(主権委譲)後は、市内に警察官も増えて、一般治安は
良くなった様に見えるので、心配は要らないという。これから段々と
良くなるのではないかという期待感もあると言う。
主権移行期間中のここ数日間はイラクは休日扱いになっているが、
治安の悪化を恐れて外出を控えていないかと質問するとあっさりと
否定して来た。
曰く、市内は平静で、市民も普通どおりに外出しているので、市内の
幹線道路の渋滞もいつもの通り見られるという。

彼のようなイラク市民から見た情勢と、私のような外国人では
また状況が違うことになると思うものの、思ったほどには状況は
悪くないのかと、少し安心する。

後から電話でつかまえて状況を聞いたバグダッド滞在中の日本人
ジャーナリストR氏も、外国人関係者の泊まる主要ホテルの襲撃は
前から日常茶飯事なので、特に今朝の襲撃によって驚くことはないと、
あっさりしたものだった。

さて、S氏のコメントに戻ると、昨日のサダムフセインの法廷出頭の
模様について、
「サダムが批判していた様に、法廷の手続きが不当なものだ。
訴追される様な犯罪行為を行ったことは否定できないが、
イラク大統領としての務めを果たしてこの国に良いことをしたのも
事実だ。」
「法廷でのサダムは威厳を失わずに堂々として実に立派だった」
などと、サダムを全面的に擁護する。
確かに感想を聞く相手を間違ったかも知れない。
S氏はパレスチナ人でスンニ派なので、サダム擁護の発言になる
のも無理がないところなのだ。

日本人ジャーナリストのR氏も、イラク人でも立場によって、今の
サダムに対する感想は大きく分かれると言う。
スンニ派は擁護する立場だし、迫害を受けていたシーア派が批判的
なのはもちろん、クルド人に至っては、早く犯罪人として処刑して
しまって欲しいという声が多いという。ここにも立場の違いによる
多面性を感じる。
しかし、それよりも興味深かったのは、多数派の声として、
「もうサダムは過去の人になったからどうでも良い、それよりも、
治安維持軍として駐留を続けるアメリカ軍の横暴の方を何とかして
欲しい」という声が
上がっているということだ。


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